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志賀勝から一言
(2009年5月16日)

今回の更新では、「卯月八日」の催し(5月2日)、京都での観月の催しと〈月〉の会結成(5月9日)、その京都での話「月の桂について」の論点を掲載しています。長めの構成になりました。

卯月八日の筑波山

卯月八日の月
この日の
上弦の月
(つくば市平沢)

野の中で、初めて歳時を営みました。日本ではもう絶えたといっていい「卯月八日」の行事です。山の神が田に降りてくるともいい、山の神が山に帰っていくともいう日に行なわれたもので、単色ではない多彩なフォークロアが全国津々浦々展開されてきた歳時の重要ないち日でした。

例えば。「世紀の皆既日蝕」の日(7月22日)に私たちは屋久島での催しを計画していますが、この島では近年まで卯月八日に「トビウオ祭り」が行なわれてきました。産卵のためトビウオがこの時季島に押し寄せ、海岸はために真っ白になったといいます。それを祝っての行事でしたが、島周囲をコンクリの護岸で固めてからはトビウオの姿は見られなくなり、行事も断絶しました。この日は山遊びが楽しみないち日だったという話も島の方から聞いたことがあります。

(以下、写真はクリックで拡大します)
ケーブル筑波山頂
満開のツツジと関東平野平沢遺跡の復元倉庫
天道花作り天道花のゲート
野点風景その1
野点その2野点その3
この日の茶菓井坂敦実さん講話
橋岡伸明さんの舞い合唱風景
上から、ケーブル筑波山頂、満開のツツジと関東平野、その右=平沢遺跡の復元倉庫、天道花作り、その右=天道花のゲート、野点風景3点、この日の茶菓、その右=井坂敦実さん講話、橋岡伸明さんの舞い、その右=合唱風景
(撮影・佐々木和宏、このページ同)
さて、卯月八日は今年西暦5月2日。八十八夜でもあり、上弦の月が渡る日でもありました。そして卯月は夏の始まり。初夏のつくば市は素晴らしい好天のいち日でした。催しのタイトルは、「卯月八日の筑波山―上弦の月のもと、初夏を遊ぶ―」。

計画では午前に筑波山の山歩きを楽しみ、午後に野遊びの催しでしたが、集合地の上野から遠からぬ筑波までのマイクロバスの行程も高速1000円の狂騒に巻き込まれての遅着。筑波山山歩きはやむなくケーブルを利用。山頂からは関東平野を一望し、横浜まで遠望できるとのことですが、霞んでいたため片鱗しかうかがえませんでした。

筑波山麓にある広大な「平沢官衙(かんが)遺跡」の野っ原が第二部野遊びの舞台。まずは「天道花(てんとうか)」造り。地元で用意してくださった4メートルを越すと思われた太い竹に、ツツジ、山吹、ウツギ、朴の花、菜の花などさまざまな花を参加者が飾りつけ、その「天道花」を大地に貫かせ天に向かって屹立させたのです(「しつらい」の専門家・高橋さんが解説・指導してくれました)。その瞬間の感動、言葉に尽くせません。

卯月八日の象徴である天道花を立て終わった後、野点に移りました。関係した方々の設営も大変だったと思われますが、初夏の風薫る陽気の中で、野点の心尽くしを頂戴して心満ちた一時を楽しむことができました。心地よい草地をはだしになって遊ぶ人がいます。上弦の月をいち早く発見した目ざとい人がいます。天道花に上弦の月が映えるポイントで、写真家の柳瀬さんがシャッターを押しています……。

その後も、つくば市元教育長・井坂敦実さんの講話「つくはと万葉」や橋岡伸明さん(観世流シテ方能楽師)の舞い「融(とおる)」、そして歌曲「夏は来ぬ」(この曲はこの時季の季節感を表現して見事な歌詞が綴られています)の斉唱(会員の岡崎さん、高橋さんが篠笛でリードしてくれました)と続き、野遊びの午後がスローな時間として流れていきました。

〈月〉の会・東京が各地で企画する行事ではいつも地元の方々のご協力が欠かせませんが、今回の行事はつくば市の「装道」指導者・中山さんや笠原さん、東郷さんはじめ、片岡啓子さん(裏千家茶道教授)、増田正子さん(千草流華道教授)ら関係各位のご助力なしには実現できませんでした。記して感謝します。

省みれば、どうしてこのような素晴らしい遊びごとが伝統から失われたのかと不思議でなりません。「卯月八日」は仏家によっても取り入れられ、お釈迦様の日、潅仏会の日でもありましたが、現行のように西暦4月8日に行うのでは肝心の花がなく、「花まつり」としての体をなさないでしょう。関係者に一考を促したいものです。

「卯月八日」の歳時はかつては極めて重要なフォークロアであり、しかも遊びの要素が豊かに含まれていた行事だったことを実感した体験でした。百聞は一見に如かずですが、さらにまた百見も一体験には及ばないことがよく分かった試みでもありました。この行事の復興を試みた以上は、次にはもう一つの失われた重要行事──「八朔」についても企画していきたいものだとしきりに思われたものでした。

〈月〉の会・京都が起ち上がりました

卯月八日から一週間後、卯月満月(5月9日)は京都で迎えました。季節のいい京都で卯月の観月の集いを、と以前から計画していたもののうまく熟していなかったのですが、4月10日に「京都アスニー」で講演する機会があり、この場には暦をお使いの方も何人かいらっしゃった流れで催しが実現することになりました。

伏見に「ラ・ネージュ」というスペースを運営する旧知の四方さん、そして山科の吉村さんが中心になってそのスペースでの食事会と私の「月の桂について」の話の後、宇治川にかかるかつての月見の名所・観月橋近くの土手で観月に臨みました。

19時前、東南東から満月は上がるはずで土手にたたずんでいましたが、私のミスでコンパスが狂っていて月の出を捕えることに失敗、皆さんに迷惑を掛けてしまいました。東南東とばかり思っていた山の端から出るものと待っていたのが、コンパスは東よりに狂っていて、低めの建物に隠れて月はすでに地平を離れていたのでした。ダイナミックな月の出は逃してしまいましたが、それでも赤みを帯びた大きな満々月を発見して一同歓声。しばし月見の醍醐味を味わうことができました。

自転車を動かしていたある人物が私たちに声をかけてきました。私たちが月見の集団(20人ばかりでした)と知るとまるで信じられないというふう。聞けば、沖縄・那覇の出身者、18時ごろから月の出を待っていたのだとのことでしたが、ずっと月に親しんできた彼が私たちのような存在に驚いた理由が確かによく分かります……

この会には、祇園商店街振興会の方、京都市役所の方も参加もあり、京都での今後の広がりが期待されました。そして何よりのことは〈月〉の会・京都が成立したこと。詳報は次回以降のHPで掲載します。

「月の桂」について私がお話したことの論点を以下綴ってみます。

月の桂について(クリック)


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