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月と季節の暦
志賀勝から一言
(2009年9月23日)

今回の更新はやや長めで、静岡県水窪町で計画している仲秋名月観月祭についてと富山県で行なわれた八朔行事の報告を掲載しています。

仲秋名月観月祭「月の西浦」

 八朔や 扨(さて)明日よりは 二日月

これは月と非常に縁深い蕪村の句ですが、その八朔(月暦の八月一日のこと)は西暦9月19日のことでした。富山県小矢部市で「八朔盆」の催しがありましたが、その報告は後にし、仲秋名月に向けて昂ぶった蕪村の句のように名月の催し企画についてまず紹介します。

これまでこのHPで静岡、長野、愛知の県境地帯の静岡側山の中で営まれている「西浦田楽」について何度か載せてきましたが、今年の仲秋名月(西暦10月3日)はこの当事者である西浦田楽保存会の方々と私たち東京の〈月〉の会、そして長良川の会との共催で月見の催しを企画することになりました。タイトルは「月の西浦(にしうれ)」。そして、翌日の十六夜は千数百年の古道として今も昔ながらの道が味わえる「佐夜の中山」(掛川市)の散策、という二日に亘る計画です。

先日下見で西浦と「佐夜の中山」を訪ねました(会で企画するときには充実した旅になるようにと下見が欠かせません)。西浦では西浦田楽の中心を担う別当の高木虎男さんに応対していただきました。秋が早い晴天の日で、山の中にある西浦地区は風景というものが持つ、懐に抱かれるような充足感を覚える土地。

西浦田楽が世に知られるようになったのは折口信夫の功績ですが(月暦正月十八日のこの催事は当事者にとっては西浦田楽の名ではなく「観音さまのまつり」、そしてこの催事は最も重要ないち日ではあっても年間の行事のひとつに過ぎないものですが)、折口がこの民俗芸能を取材したときの歌に、

 燈ともさぬ村を行きたり
  山かげの道のあかりは月あるらしも

があります(数年前廃校になった西浦の小学校に折口のこの歌が掲げられています)。まつりは月の出から始まるので、まつりが始まっている後に折口が歩いていったことがこの歌から分かります。彼は明かりを持って行ったことでしょうが、明かりなくても山道は月さえあればその光で十分(実際私も月のない山道と月のある山道を体験し、月のありがたさを体験しました)。

光としての月というのは本当にありがたいものだと思います。『万葉集』にもその光を頼みとする歌がいくつも入っていて万葉以後にもさまざまに歌われてきましたが(万葉の一例「月読の光に来ませあしひきの山きへなりて遠からなくに」)、西浦へ向かう山道では今もその恩恵が実感できます。

こういう地域が日本でもまだ結構残っているとは思いますが、西浦の山の中で見た月の明るさもそうです。しかもその明るさは西浦において一層荘厳なものに感じられるのですが、それはこの土地で何百年に亘って伝統芸能が存続しているからです。伝統というのは本当に驚異的なものです。芸能の舞台となる観音堂に上がると、谷の向こうに桂山がどっしりそびえています。この桂山から月が上がってくるのです。月の光に照らされて、日本のごくごく狭い空間で何百年もの間ひそやかに村の行事が営まれてきたかと思うと、感無量の思いに浸されます。


月暦正月十八日の月の出から翌朝日の出にかけて「西浦田楽」が演じられる。写真は、朝日が昇るころの最終演目であり、別当の高木虎男さんが演じる「しずめ」

この西浦で催事の一部を見せていただき(見せていただく中には、閏年に因む特別な舞の「閏舞」も含まれています)、当事者のご苦労話などをうかがいながら月の出を待ち、観月を共に楽しもうというのが今回の企画。何百年もの間継続されてきた西浦田楽と生まれたばかりの〈月〉の会のいわば「伝統と現代」の融合のような企画ですが、伝統芸能を演じる能衆の方々にとってはその催事が外部のものによって現認されることで意義を再確認していただけるような機会となってくれればありがたいことですし、東京在住者を中心とする私たちにとっては(岐阜の方も多く参加しますが)、日本列島の営みの深部のひとつに触れる機会となり、最近話題のゴーギャンの絵のタイトルではないですが、私たちはどこから来たのか、どこへ行くのか、を考え、そしてまたどこに行きたいかを見定める機会となればと願っています(佐夜の中山についても紹介したいのですが、全体が長くなりそうなのであきらめます)。

なお、今回の旅行は「第四回列島巡礼・静岡西浦編」として企画されるものです。(2007年の西浦田楽との共催行事についてはこちらをクリック

富山県小矢部市の「八朔盆」

〈月〉の会・加越能が創られたのは昨年の八朔(西暦8月31日)、石川県の津幡市でのことでした。この日が選ばれたのは、新月時期の木材伐採を使った仕事に携わる岡田良治さんらが記念に物を残そうということで和船を建造し、その進水式を見える新月である三日月の日に挙行したということに因み、会の結成を見えない新月である朔の日に行おうと話し合い、土地にとって由来のある八朔をその日取りに設定したという経緯でした(催しの翌日、建造なった二艘目の和船にご好意で乗せていただきましたが、櫓を漕いでゆったり進む和船に揺られてのんびりした気分は格別なものでした)。 それから一年経った今年の八朔(西暦9月19日)、「八朔盆」というタイトルで「加越能」の越(越中)に当たる富山県小矢部市で催しが開催されました(富山新聞後援)。石動(いするぎ)駅に近い「称名寺」が会場でした。催しのための関係者の心尽くしは次のようなものでした……

(以下、各画像はクリックすると拡大します)

加越能・その1
加越能・その2

加越能・その3
加越能・その4

加越能・その5
加越能・その6

加越能・その7
加越能・その8

大工職の岡田さんはお供え台や演台などをこの日のために手造り。お供え台は三日月と満月を掘り込んだ手のこんだもの。八朔のお供えものは大きな冬瓜(とうがん)を中心に季節の野菜や果物が飾られています。八朔に因んで「加賀ハッサク」というツバキの品種まで飾られ、念が入っています。設営のためのこの準備には相当の労力を要したと思われますが、催し後の交流会も手造りの郷土料理がたくさん並べられてご苦労が偲ばれました。実に気持ちのいいおもてなしでしたが、皆さんが喜んでくれるのが一番と語るヴォランティアの当事者らが語る言葉がさわやかでした。

催しの中身は、今年の「月と季節の暦」で月の写真を一年間掲載している金沢市在住写真家・桝野政博さんによる「月」の写真スライドショー、岡田良治さんの「月相と木材伐採」の話、地元ミュージシャンによる琴、三線(さんしん)、ピアノ演奏など多彩。交流会でも胡弓演奏のもと越中おわら節をみんなで輪になって踊るなどにぎやかなものでした(桝野さんは夜月明かりで白山登山をするという方、半月の明かりでも登山には十分で、満月よりこの方が星が見えていい、というような話を個人的に聞いて、すごい人だなと感心しきり)。

古い年中行事についての文献を見ても、八朔は由来が分からないとされている面白いフォークロア。このことからは、農村共同体が営んだ古くからの行事であったこと、農村にとってはごく当たり前の行事だったけれども、誰記録することもなく当たり前に毎年営まれた行事であったことが推測されます。超繁忙期である稲の収穫が始まる前の合図の歓楽の日(もっとも八朔を合図にサトイモを掘り始めるという土地もありましたから稲作儀礼に留まりませんが)であり、この農耕儀礼とリンクして子どもの誕生や成長を祝う通過儀礼が習合して各地でユニークな行事が成立していったものと思われます。子どもについてみると、青森県岩木町に「岩木山参詣」という子ども行事があり、西日本の中国地方各地に子どものお祝い行事が多彩に残っています。また、「子ども相撲」の存在も有名で、これも豊作祈願に関わったものでしょう。

由来が分からないほどに古く庶民的、という同じ事情は「卯月八日」についてもいえることですが、今年の〈月〉の会催事の目標は「卯月八日」と「八朔」という一般には知られなくなった二つの行事に置いていましたが、二つとも目標を達することができました。〈月〉の会・加越能の来年の八朔行事はきっと子どもに焦点を当てた計画になるだろうと期待されます。

(事後になりましたが、「八朔盆」のために加越能の会が作成した呼びかけ文を掲載します。第一回八朔の催しについてはこちらをクリック

今月末まで各種メディアに登場します

8月26日「読売新聞」夕刊に私の話や〈月〉の会の活動が大きく報じられましたが、明日24日「サンケイ新聞」朝刊にインタヴューが掲載される予定。また「読売新聞」の九州版でしょうか、9月27日に月や暦についてということで掲載されるとのこと。

このほか、会員の高橋久子さんによる仲秋の「しつらい」が9月29日22時から22時44分の間にNHK・BSハイビジョンで放映されます(再放送は10月4日0時10分から0時54分 NHK衛星第一)。またTBSラジオですが、高校生向け番組ということで乗り気になって私も出演、こちらは27日の「ガクショップ」という番組だそうです。(日時はいずれも「予定」ですのでご注意ください)


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