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志賀勝から一言
(2009年11月14日)

列島巡礼第4回・静岡西浦編のレポート

長月が間もなく終わり(11月16日)神無月に入りますが(17日)、「月の秋」である三秋(月暦の七月、八月、九月のことです)は月と季節にこだわる者にとっては歳時でにぎやかな季節。七夕からはじまって十三夜まで種々の催しごとを楽しみましたが、今回の更新ではそれらの中でも特記しておかなくてはならない「月の西浦」と「佐夜の中山」峠越えについてレポートします。私は暦・手帳販売の渦中に入りましたので、レポートは〈月〉の会の東京、長良川の両方に属す谷崎信治さんにお願いしました。写真とキャプションは佐々木和宏さんによるものです。

魔法の谷へ
観音堂からの眺め
観音堂から山峡を望む

谷崎 信治 
(〈月〉の会・東京会員)


仲秋、天竜川の両岸を縫い、導かれるように静岡県の西北端、水窪(みさくぼ)町に辿りついたのは、もう夕闇の気配がしのび寄る頃。フォッサマグナの断層が、太平洋から日本海まで走り、山峡が果てなく続くその先には、青崩(あおくずれ)という峠がある。越えれば信州。ここは国境を目前にした、奥の奥の地だ。

山の傾斜に切り開かれた観音堂の境内は、まるで小さな月の前庭だ。地平からすでに昇ったはずの満月を想いつつ、西浦(にしうれ)田楽と呼ばれる、観音祭りの舞いが始まった。

西浦田楽
能衆の舞い
横笛に太鼓。別当の高木虎男さんの、唱えごとのような謡いの前で、扇子を手に、赤鬼の面をつけた能衆が舞う。地に身を沈めるようにして、伸びあがる。伸ばした手の先は、扇子で周囲を払うような所作。これを繰り返す。まさに(はね)能だ。山伏能というのは、自然の現象を模倣し、それを繰り返すと聞いたことがある。その系譜を思わせる舞いだ。地霊を鎮めつつ、辺りを祓い清めているようだ、あるいは地霊の力を解き放つようだ。そのマジカル・ステップに、暫し魅了される。

境内から拝む名月
境内から拝む名月
四番の舞が終わって、宴の仕度をしている途中、十五夜の月が、ようやく顔を覗かせはじめた。山の端から洩れいづる月光の、白く眩しいこと。歓声が上がる。能衆やそのご家族との宴は、山里の秋の収穫と、静岡の海の幸が食卓に溢れ、私たちも土地の精霊になって、酒肴に酔い、時間を忘れた。

翌日、小夜の中山越えを前に、菊川古典を読む会の大嶽幾代さんにお話を伺ったのは、記紀成立以前の由緒が伝えられる、事任(ことのまま)神社の森の中だった。長年、地域に因んだ古典を仲間や教え子たちと共に学び、所縁の地を歩いて来られた。郷土の歴史と文化を静かに語るお姿は、凛として、感銘を受けた。

佐夜の中山峠の谷崎さん
佐夜の中山峠にて(中央=谷崎さん)
大嶽さんの教え子でもある二人のご婦人の案内で、小夜の中山の峠道を登る。昼なお暗いといわれた東海道の難所も、今は明るい茶畑が続く。気持良い山道だ。最後の晩茶の摘みとりが行われていた。

小夜の中山峠から束の間望んだのは、東西同時刻にある、日没の夕日と月の出の満月。秋の日の残照はいまだ眩しく、十六夜の月は、清涼だ。昨夜の、白光を放つ指輪のような月の出も思い浮かべて、「また、来たい」「また、来よう」と胸で呟き、夕闇馴染む峠の坂を下った。

(以下、各写真はクリックすると拡大します)
田楽を楽しむ前に「天竜TSドライシステム協同組合」の榊原正三さんの案内でトマトの温室へ。のどかな秋の遠州路を味覚で楽しみます
続いて協同組合の製材所へ。新月摘み・満月摘みの有機栽培茶(川根茶)での接待も。左写真は銘木・天竜杉を新月直前に伐採する製法の良さを説明する榊原正三さん(両手に端材)
かつて折口信夫が「燈ともさぬ村を行きたり山かげの道のあかりは月あるらしも」と詠んだらしい道(志賀勝説)を抜けると、田楽の舞台・観音堂が。境内にはその歌碑も。堂内には〈月〉の会メンバーによってお月見飾りがセットされました
夕刻から始まった西浦田楽のクライマックスは「閏舞(うるまい)」。心地よい楽奏の中を右へ左へ跳び交う能衆の姿に、肌寒さを忘れて誰もが息をのみ目を奪われました(露光不足のため能衆の人影がブレていますが、そのぶん幻想的な画像となりました)
能衆を率いた西浦田楽保存会の代表・高木虎男さんの乾杯とともに、西浦の方々との交流会。途中で名月が山の端から姿を。昨夜まで雨を危ぶまれたのがまるでウソのような、忘れ難い出会いと思い出の一夜になりました
宿泊地「森の家」での記念撮影とスーパー銭湯に立寄り後、午後は古樹の立ち並ぶ事任(ことのまま)神社へ。月暦を通じて志賀が長い間お世話になっている「菊川古典を読む会」の大嶽幾代さんから貴重なお話をうかがい、いざ東海道へ
東海道日坂宿(上中央写真は旅籠の「川坂屋」跡)から、江戸時代の難所・佐夜の中山へ。きつい坂でしたが、秋晴れのこの日は曼珠沙華の花咲く健康的なハイキングコースでした
峠の茶店で「子安飴」をいただいた後、小夜の中山公園で待つことしばし、西に夕日、東に十六夜満月というまたとないドラマチックな光景が。誰もの口々から歓声があふれ、ため息が漏れる感動のフィナーレに

「第二回全国海水(塩)農業セミナー」

佐賀県藤津郡太良町所在の社会福祉法人「佐賀西部コロニー」が主催する「全国海水(塩)農業セミナー」は、昨年10月末に第一回が開かれ、私も講演者として参加しました。二回目のセミナーが12月1日に開かれる予定ですが、前回は新月時でしたが今回は満月時の開催。問い合わせは電話0954−68−3311、同法人まで。

セミナー開催に向けて格調高い案内文が届いていますので紹介します。

――つい50年程前まで日本では、広く一般的に知られていた太陽、そして月と農業との深い関りとそれらを司る神々への畏敬と感謝の祭りや言伝え等は、今日の私達の生活の中からは遠く過ぎ去った風景となり、言伝えに込められた先人の知恵は姿さえ留めていません。忘却の彼方に過ぎ去り、跡形さえも残っていない現実がそこにあるだけです。……

月の満ち欠けを農作業に生かしている人、海水(塩)農業の今後に明るい展望を持ち実践的に取り組んでいる人、そうした人達の成果に注目し学ぼうとしている人、色々な種類の作物の生育に月の満ち欠けや海水(塩)を活用してみようと思っている人、皆で集い、経験や知識の交流の輪を広げようではありませんか!――

「子規逝くや十七日の月明に」

以前のHPで正岡子規の死を詠んだ高浜虚子の標記の句について、これは月暦に基づく表現だろうと証拠無く記しましたが、俳人の高橋桃衣さんが虚子研究家の栗林圭魚さんに聞いてくださり、事実が判明しました。虚子の『子規と漱石と私』(永田書房)に次の一文があるとのこと。

――其十八日の夜は皆帰つてしまつて、余一人座敷に床を展べて寝ることになつた。
 ……
眠つたか眠らぬかと思ふうちに、「清さん清さん。」といふ声が聞こえた。其声は狼狽した声であつた。
 ……
余り静かなので、ふと気がついて覗いて見ると、もう呼吸は無かつたといふのであつた。
 ……
さつきよりももつと晴れ渡つた明るい旧暦十七夜の月が大空の真中に在つた。丁度一時から二時頃の間であつた――

子規の死は1902年(明治35年、「改暦」から30年後)9月19日に日付が変わったばかり時刻のことであり、日付が変わっても十七夜の月は十七夜の月。貴重な事実を教えていただきました。

最近の新聞で「おかしな月」を見つけました

最近目にした月について書かれた文で、月をちゃんと見ていないなと思わせるものを発見。以下の文のおかしさが分かる方は月をよく見ている方です(笑)。

「(ニュージーランド)では南が寒く、北に行くほど暖かいし、三日月も反対側から欠けていく」

「あかね色から藤色、藍色に染まってゆく空の中で、松島湾に浮かぶ月の色も白、橙、黄金と変化していく」

このほか、満月が煌々と照らしている町の風景で、人物の影などがおかしく描かれた絵も見つけました。

ブルームーンのこと

前回お約束の「ブルームーン」について。2010年の1月1日は満月ですが、1月30日も満月。西欧ではひと月に満月が2回あるのをブルームーンということをご存じの方もいると思います。

ブルームーンは「稀なこと」を表す言葉としても使われますが、必ずしも稀ではなく、実際3月1日と30日がやはり満月。続けて2回ブルームーンがあるわけですが、面白いことは、この2回のブルームーンは肝心のヨーロッパでは発生しないという事実です。時差の関係で、たとえばロンドンなら満月は1月1日ではなく12月31日、3月1日ではなく2月28日だからです。以上、月暦と西暦のちがいを考えるひとつの知識として紹介しました(了)。


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