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| 地元に立つ貴重な地図の該当部。 宿毛から国道321号を南下するとこの地へ |
| | 暦の特集「月の名所」取材のため土佐の桂浜に出かけたとき、もう一箇所名所と思われるところを取材するつもりであった。それが月山神社。高知県、あるいは四国全体の西南隅にそれはあり、足摺岬に程近い場所といえばあるいは位置関係が分かるかもしれない。高知市から車で大月町を目指したが、あまりの遠さに断念せざるをえなかった。昭和12年(1937)に神社の由来書が書かれた中に、土地は遠くで、海山の眺望は神秘的だけれども、人はただ御月山(みつきやま)御月灘(みつきなだ)という名勝地名を知っているだけだ、とあるが(寺石正路筆「月山神社考証」)、現代でも事情はあまり変わらないかもしれない。
月の名所、というより神話的、土俗的な月がある場所を知ってみると、見てみないわけにはいかず再度挑戦してみた。今回は松山から四国西海岸を南下。
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| | ついにたどり着いた月山神社。八十八ヶ所の番外札所でもある |
月山神社、というより神社のある一帯や海がなぜ月の土地であるのかは余りハッキリしていない。書物や口承の伝えがなく、神社を中心に営まれていた地域の習俗が途絶えてしまったからである。
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| 神体の三日月石。 奥行きは30センチぐらい | | |
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| 道路工事のとき、新たに 発見された三日月石 | | ハッキリしているのは、神社境内に月の石が存在し、神体になっていること。その形状は三日月形で、横幅1メートル50センチ、高さは54センチの大きなもの。発見された時代も分からないが、一千年以上はさかのぼるらしい。地上に出現した月の化身として、発見された時は畏れの意識で崇められたにちがいない。
この月の石も不思議だが、これに輪をかけて不思議なことが近年出現した。道路工事の時、神社の前の土を掘り起こしていたら月の石とほとんど同じ大きさの三日月形の形状の石が出てきたのである。偶然ではない秘密があるかのようである。
もう一つは神社は海のすぐ近くにあり、海が御月灘と呼ばれていること(岬は月山岬という)。そしてこの海にはサンゴ礁があり、サンゴにまつわるある俗謡が伝えられている。
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| サンゴ採取発祥地記念像 ──サンゴを抱く少女の姿 | | ♯ お月さんももいろ
だれんいうた あまんいうた
あまの口 ひきさけ ♯
月が桃色とは宮澤賢治の形容を思い起こすが、この桃色はサンゴのこと。その美しいサンゴに似合わず詞(ことば)は残酷さを帯びている。その理由は徳川時代にサンゴが禁猟として住民から遠ざけられていた事実を反映しているようだ。サンゴの存在を隠さなければならなかったのである(明治以降サンゴ猟は「解禁」され、サンゴの加工品は今でもみやげ物となっている)。
お月さんももいろ、という時の月は色の話ではなく月山神社に関わるか御月灘に関わるかどちらかだろう。しかし月とサンゴの密接不可分な関係が明らかになっている(拙著『月 曼荼羅』参照)現代では、月とサンゴの不幸な歴史を明るくとらえなおすことができるだろう。
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| | 足摺岬には水原秋桜子の句 「岩は皆 渦潮志ろし 十三夜」の石碑が立っている |
月山神社の祭神はツキヨミ(月夜見尊。漢字は月弓尊、月読尊とも表記されていて、もともとはどの漢字だったかハッキリしない)とウカノミタマ(倉稲魂)。ここでは説明しないが、実は食糧神であるウカノミタマも月神の別の神名と考えてもいい神格。文字通り月を祀るのがこの社なのである(後に海にまつわるオモツツヲ、ナカツツヲ、ソコツツヲの三神とコトシロヌシも合祀)。漁労や海の安全を守る役目をこの神社は担っている。
伝説としては、行基(奈良時代の僧)が開基したとか、空海が月の石を前にして二十三夜月待ちの密供(みつぐ)をし、(特に一月の)二十三日が例祭の日取りとなったと伝える。史実としては、一条房家(1475─1539)が土佐国司だったときに守月山(しゅげつさん)月光院南照寺が開かれ、修験の修行の場となったらしい。勢至菩薩とツキヨミノミコトがともに祀られる神仏習合の場だったといってもいいようだ(この間の事情は複雑だが省略する)。
史実としてさらに重要なことは、地域の住民により二十三夜講がもたれていたこと。今では途絶えた風習だが、大正6年(1917)の正月二十三日(月暦)の日付のある供え物用の筒が神石の前に設置されていたから、このころまでは二十三夜講が健在だったことが分かる。
明治3年、神仏分離令により月山(つきやま)神社となり、宮司でこの社を守るのは守月(もりづき)姓の方。
四国巡礼八十八ヶ所の番外の札所になっていて、訪れる人もいるが、正規の札所からははずれているので巡礼者がそれほど多いとも思えない。巡礼の方、月を愛する方は是非とも訪れていただきたい秘所である(パワースポットを求める若人よ、僻遠の地を目指せ!)。
今、この土地に月は休み、憩っている。人びとが再び見出しよみがえらせるのを待っているかのようである。 |