トップへ
月と季節の暦とは
<月>の会
志賀 勝
カレンダー 月暦手帳
イベントスケジュール
月と季節の暦
志賀勝から一言
(2013年3月8日 月暦正月二十七日)

まずお伝えしたい情報を三項、
手短に掲載します。

☆訪日予定が報道されたビルマのアウンサンスーチーさんですが、「毎日新聞」に「今も重要な役割担う太陰暦 ──国の未来 月に重ね──」を寄稿しています(1月27日)。月の暦である「ビルマ暦」について、ビルマ人にとって月がいかに親しいものかを綴った重要なもの。月や月暦はアジア人同士通じ合える文化的「インフラ」なのだなとつくづく感じました。それにしても日本のメディアはアジアの人びとの生活に関わる問題を報じないのか、不信が募ります。「旧正月」といえば、東アジア全体のお祝いのときなのに、何とかの一つ覚えのように中国の「春節」ばかり。


ベアント・ブルンナー著『月』
☆白水社の旧知の編集者から B・ブルンナー著『月』を送られていましたが、一読、全体としてなかなかいい本でした。著者はドイツ人、原著は三年前のもの。欧米での月に対する関心や研究の動向が分かるし、生物に対する月の影響について分かったことを整理しながら、特に人間と月に関する俗説、「疑似科学」をきちんと批判して整理しているのが好ましい。お薦めの一冊です。

☆一昨年のこと、中国地方の曹洞宗の方々を前に講演する機会がありましたが、その後も交流が続いていて、お寺の刊行物に原稿を載せたりしています。最近の情報によると、岡山県で満月の日の座禅会が計画されているとのこと。仏教界の新たな動きとして注目します。

これとは別ですが、浄土宗機関誌「知恩」誌上で連載していた「月と季節を楽しもう」は三年の長きにわたりましたが、三月号をもって終了しました。

*     *    *

二日月の話題と、二戸からのお便り

さて────────

二日月(ふつかづき)に出会うと感動する方が多く、「今見えてますよ」、と連絡をいただくことがあります。正月が明けて二日目、横になった二日月(西暦では2月11日)が見えたときもそうでした。

昨年に出た『井月(せいげつ)句集』(井上井月、北越長岡に生まれ信州で生を過ごした放浪俳人)を見ていたら、二日月を詠んだ二句が目に留まりました。

 遣るあてもなき雛買ひぬ二日月

 白桃をもらひに遣るや二日月
  (「もらひ」の「もら」は口偏に羅)

ともに雛祭り=桃の節供前日の句。か細い二日月の印象とともに、俳人の孤独の声が聞こえて来そうです。井月は江戸時代に生まれ、1887年の明治20年まで生きましたが、生涯月暦のリズムで生活し、句作したことが分かります。翌三月三日には三日月の出る雛祭り。

その三月三日は今年西暦で4月12日。この日に、岩手県の二戸で「うずまき社」がオープンします。〈月〉の会・深谷の中心メンバーだった栗林孝安さんが昨夏移住して縄文文化に学んだ施設作りを目指していましたが、地域の方々と交流を深め、計画通り「うずまき社」設立の運びとなったものです。栗林さんからは小正月行事(月暦正月十五日に行なわれる行事)についてレポートが届いています。地域あげての盛大な会となった様を伝えられ、とてもうれしいお便りでした。どうぞご覧下さい。

「うずまき社」栗林孝安さんのお便り
お世話様です。寒い日が続いていますが、お元気でしょうか。三夜連続で月が出ています。昨日の満月もきれいでした。今夜も8時過ぎに松山の上に月が出ていました。

先日の日曜日、小正月行事を、地域の子どもたちと我が家の縄文のうずまき社で行いました。45人以上の地域の人が集まってくれました。二戸市の役所の広報や地域振興の人も来ました。子どもは9人、ほぼ全員(一人欠席)参加し、大人も北向の部落の人達をはじめ40人近くが我が家に集まってにぎやかでした。

まず、車庫で餅つき、そのあと繭玉飾り、銭蒔き、お昼はお雑煮、おにぎり、おしんこ、煮豆に、リンゴ、お母さんたちが50食分作ってくれました。お母さんパワー健在です。お父さんたちはミズキの枝採り、飾り物の買い出し、座敷童の人形を借りる算段など、協力してくれました。

「うずまき社」での小正月行事

午後はカルタ取り、いろはかるたに南部弁カルタ、そのあと座敷わらしの亀麿君登場で子どもも大人も大喜びでした。記念撮影をして盛況のうちに終わりました。子ども達も楽しかったといって帰っていきました。

よそ者の私が、小正月行事をやりたいな、それも旧暦で、と提案すると自治会長が動き、地域のお母さんたちも我が家でお茶を飲みながら、もち米やお昼の分担をしてくれました。ありがたいことです。農閑期で時期的にもちょうどよかったようです。3月からはタバコが始まり4月からは田植えの準備もあるので、集まりやすかったようです。

去年の9月は80歳以上のおじいさんおばあさんを招待して飲食をして楽しみました。今回が2回目の地域行事です。これからも縄文のうずまき社が地域とともに歩んでいけたらと思っています。HP:uzumakisha およびブログ(縄文の里の古民家再生つれづれ日記)小正月の記事を載せました。

これからは月暦三月三日のオープンに向けて準備していきます。それと、この辺は鈴竹という竹細工用の竹の産地で、昔から竹細工が盛んでした。その、竹細工を地域おこし(いい言葉が見つかりません)としてやる算段をしています。

話は変わりますが、庚申、二十三夜の石碑が二戸市に90もあります。ほとんどが同じ石に併記されている形ですが中には、庚申、あるいは二十三夜、単独で刻まれている石もあります。整理したら、資料送ります。

地域のカシオペアFMラジオで3月2日(土)12:00〜、日曜9:00〜(再)放送されます。これからもいろいろとお世話になります。栗林は雪に埋もれずに何とか生きていますと、東京のみなさんにもよろしくお伝えください。
栗林孝安

静岡県・岐阜県にて講演

私は、小正月は岐阜・郡上市で講演し、小豆粥をいただいて過ごしましたが、これより前、静岡で月と農業関係について講演する機会がありました。聴衆は百数十人、ほとんどがお茶農家の方々で、熱心に話を聴かれる姿に心打たれました。三年前に恐ろしい霜害に遭った経験があり、皆さんは今年の霜の行方に重大な関心をお持ちとのことでした。



2月13日、月と農業などについて講演しました。
静岡県菊川市にある落合刃物工業が作る「落合会」総会にて
(御前崎グランドホテル、写真・同会提供)

講演をアレンジくださったのは荻原克夫さん(「落合会」会長)。袋井市で「荻原製茶」( http://www.greentea-life.com )を経営している方で、「月夜摘茶」という商品名のお茶を頂戴しました。茶摘は二十四節気を目印に中国でも日本でも伝統的に行なわれてきましたが、このお茶は穀雨から立夏までに摘んだもの、しかも月の光の下で摘んだもの、と謳っています。

講演が終わると、御前崎市の茶農家・鈴木正人さんが声をかけてくださいました。「現代農業」に月のリズムの茶栽培について経験を発表したことがある方ですが(2005年5月号)、このHPの「月と季節の農業」にその後の経験について寄稿をお願いしました。届き次第掲載しますのでご注目ください。

懇親会で面白い話を聞きました。月暦の正月明けの西暦2月10日、ごく細い船のような弧を見たというのです。前述の二日月はたまに見られますが、朔=新月は見えないのが常識、本当とすればきわめてまれな現認ということになりますが、あり得ないことではないでしょう。これに関連して、朔前日の「晦日の月」についてですが、この間各地で開催している「月と暦のワークショップ」でよく話していることがあります。まだ気付かれていない実に面白い問題点があり、公表したいと思っていたものですが、この機会に別掲(下参照)で紹介します。

「晦日(みそか)の月」の本当の話
(クリックして本文を読む)


≪ 第百五回へ 第百七回へ ≫
志賀 勝のトップへ
Copyright(C)2013 月と太陽の暦制作室 志賀 勝