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月の名所十二選余話
第七話 朝日の山から月の山へ
(京都府宇治市・朝日山)

恵心院周辺の地図
(地図は「京都宇治ウェブ
ガイド」から転載 = 部分)


月暦(旧暦)「月と季節の暦」八月には京都府宇治市にある朝日山を取り上げている。この山は宇治川をはさんで平等院の対岸にある124メートルの小山。『萬葉集』に「都をば夜ごめに出て朝日山あさ風すずし宇治の河原」と歌われて歌枕となった山である。『新古今和歌集』には、「ふもとをば宇治の川霧たちこめて雲居に見ゆる朝日山かな」(藤原公実)が収められている。

朝日が昇ることで命名されたと思われるこの山が月の山となったのは、阿弥陀信仰の成長と世阿弥の作品によってと思われる。


朝日山からの眺め

恵心院の本堂

(上)朝日山からの西方の眺め。平等院
も見える(下)恵心院の本堂。恵心僧都
源信が再興したという

仏教の世界観で末法の世に入ったとされるのは1052年。これより前、恵心僧都源信が『往生要集』(985年執筆)を著すなど浄土思想が打ち出されていて、極楽浄土=西方浄土を希求する浄土観が阿弥陀をシンボルに広がっていった。阿弥陀が来迎(らいげい)し浄土へ導いてくれるという信仰とともに、月が導きの具体的な形象となっていくという面白い展開が見られた。残されているその時代のものからたくさん証拠を挙げることができるが、今は「暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月」(和泉式部)だけ参照しておく。浄土教では「日想観」という太陽を観ずる重要な瞑想法が説かれていて、浄土への導きは沈んでいく太陽ではないかとする考えもあり得るが、事実は月に大きなウエイトがある。

朝日山を背後に源信が再興したと伝えられる「朝日山恵心院」がある。この寺は阿弥陀仏を戴いているが、寺と阿弥陀仏について、「これは恵心僧都説法し給ひける所、本尊の弥陀は即ち恵心の御作なり、朝日山に月の出ては、先づ此弥陀の白毫(びゃくごう 眉間にある白い巻き毛)に輝くといへり」という紹介がある(『出来斎京土産』。徳川幕府が成立した17世紀に多くの地誌や名所記が生まれたが、この本はそのひとつで著者は浅井了意)。

宇治川をはさんで対岸の平等院の阿弥陀如来坐像(国宝)の白毫にも月の光が輝くといわれていた。川をはさんで二体の阿弥陀仏があり、東から昇る月光はまず東側の恵心院の阿弥陀を照らし、次いで平等院の阿弥陀仏を照らすという思いがあったらしい(恵心院で取材した話)。二つの仏を照らしたその月はやがて西へと落ちていくのである。

観世音菩薩
朝日山の頂上にお堂があって、
中に観世音菩薩がまつられていた


朝日山が月の名所になったのは世阿弥(1363〜1441年)の功績でもある。謡曲『頼政』は、源頼政(1104〜80年。『平家物語』にある鵺 ──ぬえ── 伝説でも有名な人物)の平氏との戦闘、その敗北により平等院で自害する史実を基にしている。自害は史実としては五月二十六日のことで、二十六夜の遅い月の出の日のことだが、世阿弥が十五夜か満月かが朝日山から上がってくるシチュエーションに移し変え、あたかもその円い月の日が命日であるかのようにしているのがとても興味深い。暦には、「名にも似ず、月こそ出づれ朝日山」という、一度聞いたら印象の消えない世阿弥創出の名文句を掲載してあるが、世阿弥作品にあっては月がギリシア古典劇に見られるデウス・エキス・マキナ(機械仕掛けの神)のように機能している。能はやはり「月の文化」の極北なのだと強く印象付けられるのである。

*   *   *

「月暦版月の名所十二選」は、かつて月の名所として著名ではあったものの、その後忘れられてしまったと思えるような場所を選んだものである。この点で、月暦七月に掲載した石山秋月は異例で、石山寺の名月は今日でも有名な場所として知られていよう。

実は、六月掲載の満月寺浮御堂、そして八月掲載の朝日山とともに石山寺は場所的にも近接していて、有名な場所を取り上げるには躊躇があった。

浅井了意の『東海道名所記』(17世紀半ば頃のもの。平凡社東洋文庫刊)に大津市月輪にあったという「月輪(つきのわ)の池」が紹介されていて、「むかし、この池に、月の落給へりと申つたふ」という伝説があったことが記されている。月輪の地名は各地にあるが、いずれも水に映える月をたたえた場所と思われ、月の名所であったと思われる。

石山寺ではなくこの月輪の池を取材したかったのだが、今でも小さな池がありそうだということが分かっただけで、ついに果たせなかった経緯がある。失われた月の名所を探り、名所とは何なのかを考えるよすがにしたかったのだが、今後の私の課題として付言しておきたい。

(辛卯 月暦八月十四日=2011年9月11日記)
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