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「晦日(みそか)の月」の本当の話
志賀 勝

月暦に掲載している月の出の時刻を見ていると、日の出の分かりやすさと比べ、その時刻が日々大きく違っていることに気付きます。日の出と近い時刻に朔の月の出がありますが、新年最初(西暦2月10日)の月の出時刻は6時2分(日の出は6時33分、共に中央標準時)でした。翌日の二日月の出は6時40分、三日月は7時15分ノというように、日の出と比べ大きく変化します。年間で平均するといち日50分ほど遅れるといいますから、けっこうな違いです。これが月を捉えがたくさせる原因で、逆にまた夜空の変化を楽しませる要因にもなっています。毎日月を見ていると、50分の遅れは度数にして13度ばかり位置を東よりにするということです。金星や木星と併走するときは、この変化が絶妙に作用して目を楽しませてくれることもあるわけです。海の満潮干潮時刻、陸の満潮干潮時刻も月のこのリズムが決定しているのですから、とても身近で重要なことということができます。


「月暦」一月の部分画像

「月暦」二月の部分画像
月の出はこのように毎日遅れていくのですが、毎日ずっと追っかけていくと、いち日の間に月の出を含まない日が現われます。今月の場合、二十二夜(西暦3月3日)の月の出は23時29分で、次の月の出は西暦3月5日の0時32分となります。日付けがいち日ずれたからといって二十二夜の次の二十三夜がなくなって二十四夜に飛ぶわけではなく、二十三夜は実は日付けが翌日に変わった夜中に出てくることになります。

月暦二月を見ると、今度は二十二夜が日付けをまたいでいることが分かります。二十一夜(西暦4月1日)の月の出が23時26分、二十二夜は日付けが西暦4月3日に変わった0時22分が月の出。前述のように正月の二十二夜は西暦3月3日におさまっていましたが、二月になると、対応する西暦4月2日ではなく、いち日ずれた4月3日になってしまっています。人為的に線引きした午前0時をもって日付を変えるということをもって、一方は二十二夜で他方は二十二夜を飛ばしてしまって二十三夜とするということなどあり得ません。日付け変更を意識しては月のことは理解できません。十五夜の月は夕方に出て朝方まで天にありますが、午前0時でもって十五夜が十六夜に化けたら困ってしまいます(笑)。

月暦では二十二夜から二十五夜にかけ、このように月の出が西暦の順送りの日付けと合致しない状況が生じてくるのです。実は、これをずっと追っかけていくと意外な事実が分かってきます。正月二十日(西暦3月1日)からの月の出、南中、月の入り時刻を示して説明しましょう。

二十二夜が月の出23時29分、二十三夜が日付けをまたいだ0時32分、というのを前に提示したわけですが、これをさらに追っていくと、二十四夜は日付けをまたいで1時31分、二十五夜は日付けをまたいで2時25分、二十六夜は日付けをまたいで3時14分、二十七夜は日付けをまたいで3時57分、二十八夜は日付けをまたいで4時36分,二十九夜は日付けをまたいで5時12分、では晦日である三十日はどうなるのでしょう? 翌二月に入った一日の月の出にずれこんでいくのでしょうか?

これは実に面白い問題で、二月の一日(西暦3月12日)の月の出時刻は5時46分、これが朔=見えない新月の月の出時刻で、前日の晦日の月というのはあっても見えない日なのではなく、そもそも存在しない日なのです。

いち日は太陽との関係で地球が一回転する24時間ほどのことですが、同じことを月について考えてみると、「月に対するいち日」は24時間50分ほど。太陽に対するいち日と月に対するいち日のこの50分ほどの違いがさまざまな問題を発生させるのです。立待月、居待月、寝待月ノなどは、この月の出の遅れを捉えたユニークな日本語表現ですが、月の出が0時前後になる下弦の月ごろになると、丸いち日月の出が所属しない日が現われることになります。そして、50分ほどの時間を29日間か30日間加算していくとほとんどいち日分の勘定になります。つまり、地球と太陽の関係であるいち日24時間の中で月の運動を考えていくと、月が「存在しない」いち日を考えなければならないことになるわけです。

これは、月の暦が月と太陽のリズムを調整するために閏月を入れる、という仕組みと似たところがあります。月のリズムである1サイクル29.53日強、それを太陽の1年に近づけて12ヶ月にすると354日ほどになり、太陽のサイクル(実際には地球のサイクル)である365.24日強と11日ほど違いが出る、その差の調整が閏月の挿入でした。これに対し、太陽に対する24時間サイクルと月に対する24時間50分のリズムとの間の50分の違いが毎日発生しており、いち日24時間の地球−太陽間の時間に月を押し込めていくと毎日50分ずつはみだしてしまい、その50分の時間の累積、矛盾を余分のいち日分によって解消しなければならなくなってくるのです。それが晦日の本当の意味であり、晦日とははみだした50分の月のリズムを調製するいち日であり、そもそも月が「存在しない」いち日なのです。同時にまた、朔=新月とは、地球−太陽時間の中で月が新たにリセットされる日として誕生することになります。私たちは月のはじめを私たち自身のリセットのタイミングとして捉える、ということをよく言っていますが、月自身にとってもそれは地球−太陽間のリズムに調整するリセットを意味していたのでした。そして、月々の最初ごとにこのリセットを繰り返し、リズムを刻んでいくのです。

江戸時代に大変はやったことわざに「晦日に月が出る」があり、これはあり得ないことが起きることを意味していました。私たちはこの意味を月が太陽の近くにいるから見えないのだ、というぐらいに軽く解釈していました。思慮が行き届かないことでした。本当はそもそも存在しない月という深い意味が隠されていたのでした。

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実に興味深い「晦日の月」について綴りながら、さらに興味深いことに思いをめぐらせていました。ミソカというのは暦の知識が入ってきて三十日の読みに当てられたわけですが、それ以前には月籠(つごもり)と言われていて、晦の字もツゴモリと読むことができます。朔(つきたち)と月籠は特別な言葉ですが、それ以外の二十三夜とか二十四夜という言い方は不思議なもので、どうしてこういう言い方が生まれたのか興味を惹かれます。これらだけで日付けを表わすことができますし、月の状態を表わすこともできます。「ヤ」というのは月、月夜を表わす言葉で、日々50分遅れの月のリズムを表現するための言葉ではなかったかと思われます。

ニジュウサンとかニジュウシというのは漢語の音を借用した読みで、日本列島固有の読みでは、ハツカアマリミツという言い方になります。ですから、二十三夜は古くはハツカアマリミッカと言ったはずで、このカというのは二十三夜のヤ(夜)に相当します。つまり、カとヤは同じ意味を荷っているのでは、という疑問が生ずるのです。カに後世になって日という漢字を当ててしまったために分からなくなってしまいますが、もしこれが事実とすれば思いもかけぬ展望が開けます。カは夜と同じく月夜や月を意味したのではないかとか夜のもった深い意味とかノ。今ではいち日といえば昼間を中心に考えてしましますが、古くは昼と夜は全然別な時間としてあり、さらに古くは夜が中心の時間観がありました。改めてまた綴る機会があるでしょう。



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