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月と季節の暦
発見 月の名所
第四回 廣瀬神社(奈良県北葛城郡)
――天女=トヨウカノメをめぐって――
(その4=この項終わり)

(前回ページへのリンク)

月への親しみや信仰といったものが、隠蔽されたり影の薄いものに落とされたりしてきた歴史が日本にはある、という観点を得ないと、神話や歴史を見る私たちの目は曇らされたままであろう。

それを証明するひとつの例を挙げてみよう。月の名所として知られた和歌の浦について以前暦で取り上げたことがあるが、和歌山県の南部海岸一帯はかつては月に対する信仰が満ち満ちていた土地ではなかっただろうかという見通しを私はもってきた。西牟婁郡白浜町の日置川河口に位置して「日出(ひので)神社」があるが、この神社は1909年(明治42)、「神社合祀令」により旧日置村に存在した21社が合祀され、その結果この神社名になったという。しかしそれ以前は、「出月宮」が神社名だったというのである。月から日への転換という何ともショッキングな改名で、月が抹殺された典型的な例のひとつである。現地に立って確かめたいものだが、きっとこの神社は月の出が神々しく見られるポイントなのだろう。他の土地においても、歴史を歪め、精神をおびえさせた明治期固有の力が働いて、同じような事例があったのでは、と想像される。

琉球の月神話を発掘したN・ネフスキーは、こんなことをいっている。月について「一般に影が薄いのは、古代記録作成者に特別の理由があつたのであらう。」、と。歴史、神話記述に改竄や隠蔽があっただろうことを婉曲に指摘したわけだが(『月と不死』平凡社東洋文庫)、心せねばならない点である。

廣瀬大社その1
廣瀬大社その2
廣瀬大社その3
紀元前89年の創建と伝えられる
廣瀬大社(奈良県北葛城郡河合町)


さて、奈良県北葛城郡に鎮座する廣瀬大社。大和盆地を流れる総ての河川が一点に合流する地に祀られている、と社のパンフレットに記載されている。佐保川、初瀬川、飛鳥川、曾我川、葛城川、高田川など六河川の合流点に立地し、祭神はワカウカノメノミコト(若宇加能売命)。水神であり、水を通して五穀の豊穣を守るミケツ(御膳)神でもあるとされている。伊勢外宮のトヨウケヒメノオオカミ(豊宇気比売大神)、稲荷神社のウカノミタマノカミ(宇加之御魂神)と同神と称されている。

この神社を訪れたのは一昨年(2012年)10月のことで、神社について書くことで「発見 月の名所」の連載「トヨウカノメをめぐって」を終えるつもりだったが、暦販売の時期と重なりとうとう今日まで延引する結果となってしまった。宮司さんの話を思い起こすと、かつては広大な社地を有する神社で、社は川の中に突出して建てられていたらしいとのことだった。今はひっそりとたたずむ風情の社で、河内国(現大阪府)に下る唯一の河川として、交通、水運の要中の要であった盛時は今や昔の感が深い。

この廣瀬大社に祀られたものに月が隠れていることを明解に主張したのが保立道久著『かぐや姫と王権神話』(洋泉社歴史新書、2010年)である。

宮廷行事ではとても有名だったものに「五節舞(ごせちのまい)」があった(※)。新嘗祭の最後を飾る豊明節会(とよのあかりのせちえ)での女性たちの舞だったが、この女性たちが月から来た天女だと幻視されていたことを保立さんは見出したのである。その証拠として、次のような和歌を挙げている。

天つかぜ雲の通ひ路ふきとぢよ
 をとめの姿しばしとゞめむ
(『古今和歌集』に載る良岑宗貞の有名な歌)

これは五節舞を観て詠まれたもので、月は別に明示されていないが次の歌ではそれがハッキリ歌われている。

天の原 雲のかよひ路とぢてけり
 月の都の人も問ひこず
(『夜の寝覚』=平安時代末のいわゆる王朝文学のひとつ)

この発見が保立さんの功績だが、月の宮には豊岡姫という有名な女神がいる、そのトヨオカはトヨウカ、つまり『丹後国風土記』で見てきた月の女神ウカと同じであることを示して、月信仰の復元に成功したのである。


竹取公園その1

竹取公園その2

廣瀬大社の近くには
「竹取公園」もある

では、廣瀬大社のワカウカノメはどうか。以前「月と季節の暦」上で「月の名所十二選」という特集を編み、春日大社の月信仰を取り上げたことがあり、三笠山が特別な月信仰の場であったことを記した。この特集につきその後 HP上で補足の連載を掲載し、春日大社の月信仰を『春日権現験記絵』を取り上げることで再説したことがある。この絵巻物で月の神が降ったとされる土地が廣瀬大社の近傍であり(廣瀬大社の話では同社と春日大社は姻戚関係にあるともいう)、保立さんはこの絵巻物の存在からも廣瀬大社のワカウカノメは「月神。ワカウカ姫」にほかならないことを力説するのである。

以上で明らかになったことは、ウカの名を共有する丹後のワカウカノメと廣瀬大社のワカウカノメが同じ月の女神であるということである。ワカウカノメは水神とされているのだから、ここで、農−水−月が一本の糸で結ばれることになる(同時にまた、酒造り−穀物と水から成る−や不死の薬や豊穣など、人間生活全般に関わる神格であることも)。もうひとつ。月の神はツキヨミというのが通念になっているが、保立さんも指摘しているように、この神は壱岐島から運ばれてきたもので、これだけが月の神ではなかったということも明らかになる。この点も、私たちの従来の神話観、歴史観から私たちを解放し、自由にしてくれるものである。

このように重大な月の問題がなぜ隠されてきたのか、日本の歴史にはよほどの理由があったと思わざるを得ない。ウカが月の女神を意味したという確認から、これをいわば原点としてさらなる神話観、歴史観の追及が今後問われることになる。同時にまた、月がもってきた意味を明らかにしていくことは、日本、そして世界にとっても喫緊の問題である食糧問題、水問題という今日的な課題に対しても大きな意義をもっていくはずである。


※五節舞は天武天皇が天女を見た幻視に由来するという伝説を持つ。伝説それ自体に月を明示するものはないが、保立さんの立論はこの伝説にも月が隠れている可能性を示すものである。五節舞は十一月中の二の辰の日と定められていたが、十二支によるこの設定だと、月の状態は十三夜から二十四夜までの範囲で観望できることになる。

持統天皇作とされる著名な歌に、「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」があるが、これも月の羽衣の幻視に拠ったものである可能性が濃厚である。香具山が月のシンボリックな名所であったことは、発見 月の名所 第二回を参照(クリック)。

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