正月早々の、めったに見られない幸運な二日月で、地球照もにぶく浮かんでいました。二日月は写真(右)のような形で見えていましたが、最近奇異な絵を目にしました。
千住博さんが「朝日チャリティー美術展」のために「夜の桜」を描き、その画像が新聞に載っていました。
闇の中にライトアップしたように輝く桜と細い月を配したもので、同趣向で満月と桜を描いたものに東山魁夷や平山郁夫の絵があり、三日月か四日月くらいの月と桜を描いたものに加山又造のものが記憶にありますが、千住さんのは桜と細い月を配そうとしたらしいのですが、しかしこの細い月、実際にはけっしてあり得ない月なのです。何と左上を光らせてしまっています。
月の光は、先の二日月の写真にあるように、右下から光りはじめて満ちていって満月を経、右上から欠けていって左下が光る形で消えていく、これがひと月の間に月が見せる形状ですが、左上が光る月はありません(日蝕では左上が光る太陽がありますが、これは太陽であって月ではありません)。千住さんほどの著名な方がまさか月のリズムを知らないはずはないでしょうから、このように描いた理由をぜひ聞いてみたいものです。桜が繊細にリアルに描かれているだけに、あり得ない月を描いた意図が分かりません。
あり得ない月、ということでは最近さらに目を疑うシーンがありました。NHKの新日本風土記といえば最高に知られた番組の一つでしょう。玄界灘の海民を紹介したその最新のものの中で(筆者は海民の裔と思っていて、玄界灘にはえらく興味があります)唐津くんちが描かれていましたが、明け方前に禊(みそぎ)するシーンがあり、上弦ごろの月が一瞬目に飛び込んできたのです。あり得ません。夜中から明け方にかけての月は下弦で、左側が光っているはず。それが右側が輝いている上弦の月になっていたのです。長く記録に残る映像でしょうに、信じられない思いでした。
白井さんの惜しい暦解説
月と、そして季節をめぐって少々気になる文章もありましたので一言しておきます。朝日新聞2月8日に、白井明大さんが「七十二候と味わう句」を載せていて、立春(七十二候)の第一候の「東風氷を解く」を引きながら「(立春は)まだ二月なのになぜ春なのだろうと不思議ですが、立春の「立」とは、ない状態から生まれる瞬間を指すような言葉です。一日を『ついたち(月立ち)』と呼ぶのも同じ意味。」と、日本で感受されてきた正しい季節感に言及していて納得されます。
ところで、今年の正月七日の七種(ななくさ)は西暦2月25日で、例年に比べとても遅い訪れでした。白井さんの文には、その七種である「旧暦一月七日は立春と近しい時期」という続きがあり、あれっ、と思ったのでした。立春の2月4日から21日も離れた七種を「近しい」というのは疑問で、こうした筆の滑りは、二十四節気や七十二候は太陽の節目であること、節供の日取りは月のリズムである日付に従っていること、この太陽と月のリズムを峻別してそれぞれ別個に考えないと往々誤解を生じることになる、と、いい文章なのに惜しい気がしたものでした。
哀悼:岡田芳朗さん
この間哀悼する機会を逸していましたが、暦の研究家であり、私の暦についても応援してくださっていた岡田芳朗さんが昨年10月21日にお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。(了)