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出版を計画している『月 マンダラ』は月暦一年三百五十四日間の月の話題だけでなく、月暦には閏月という特別な仕組みがあるので、暦について考える項目を三十日分加え、合計384項から成るデータブックのように活用できる内容にするつもりです。

HP更新の本日は閏七月二十一日に当たる日ですが、福沢諭吉の「改暦弁」について取り上げることにしました。日本において月暦から西暦に変わった歴史の意味を考えるタイムリーな時期が来ていると思われます……

第四話(月暦閏月二十一日) 福沢諭吉「改暦弁」

日本で西暦が採用されたのは1872年(明治5年)。この年の月暦十二月三日が西暦1873年=明治6年1月1日となった。この日に生れた子は、十二月三日ではなく1月1日生まれとなったのだから、まさに日本の時間が裂けたエポックである。

明治政府はこの重大な変更を丁寧に説明しなかったようで、民間で欧化のイデオローグだった福沢諭吉が発奮、この1月1日の奥付を持つ「改暦弁」を売り出して西暦の優秀さの宣伝に勉めた。

季節や寒暖の差を毎年変わらぬ日付けで示す太陽暦の採用により、千万年の後に至るまで世の便利を増したと称賛、この「改暦」を怪しむ人は「無学文盲の馬鹿者」とまで難じられた。

福沢の生没年月日を調べたら、1835年十二月十二日(これは月暦)生まれ、没月日は西暦の1901年2月3日。月暦ではこの日は十二月十五夜の日のことで、亡くなった年の干支も変わる。

(「改暦弁」の「弁」は正字がありますが、パソコンで見つかりませんでした。ごめんなさい)

(更新日:2006.9.13)


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