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月と季節の暦
志賀勝から一言
(2005年5月8日)

沖縄・奄美の月のリズム

月暦の三月三日(西暦4月11日)、「浜下(はまお)り」行事やサンゴ礁が地上に出現する「八重干瀬(やびじ)」取材のため、宮古島、池間島を訪ねました。

写真1
写真2
月暦三月二日の大潮時、サンゴ礁が地上に出現する(池間島八重干瀬の光景、4月10日) 月暦三月三日、女性を中心に浜下りが行われる。写真は、いつもは海だが、陸地となって島民を楽しませる(池間島の浜下り風景、4月11日)

以下に紹介するのは、「月と農業」を特集した「現代農業」の編集部の方からいただいたものですが、奄美大島においても「浜下り」行事があることを教えていただいた貴重な情報でした。池間島の浜下りを取材したばかりなので、タイミングのいい情報、しかも奄美について他の重要な情報も含まれています。月暦が生きていた時代は、日本全国で新月の一日と満月ごろの十五日は公的にも私的にも重要な節目の日でしたが、奄美では今もそのリズムが息づいているとのこと。どうぞ奄美のお話をご覧ください。

奄美大島にある瀬戸内町で、昼は種苗屋さん・農業をやっていて夜は子供たちに勉強を教えている畑琢三さんという方から、旧暦にまつわるちょっといい話をお聞きしたので、お知らせします。

私から……

3月号の記事(77ページ)に「屋久島では『今日は旧で何日』という会話がふつうに交わされているそうです」と書かれていましたが、奄美大島のほうはいかがでしょうか。農業も昔ながらのリズムが息づいているのでしょうかね。

……というようなメールを出したら、こんなお返事が。

> 旧暦は、奄美大島では、大変重要な位置にあります。年間行事
> の中でも、もっとも、島人が楽しみにしている浜下れ(はまお
> れ)という、行事は、旧暦の3月3日にありまして、大挙して
> それぞれが好きな浜辺に行き、貝や海草、うに、たこ、など海
> のものを採り、お弁当も食べ帰る というものです。その日に
> 行かないと、カラスになる といわれています。

> また、旧正月もまだ残っていますし、先月でしたでしょうか、
> 「今年、寒さが続くのは、旧暦では、まだ、2月だからだよ」
> なんてことを、お客様のお年寄りの人々が話していました。

> 旧暦は、とても大事なんです。そうそう、旧暦の一日と15日
> には、必ずお墓参りにいくんですよ。ですから、島の、花の消
> 費量はすごく多いですよ。奄美では、旧暦は、これからも、ず
> っと生き続けると思います。旧暦という言葉を聴くと、何か、
> 温かいものを感じるのは、ぼくだけではないはずです。

とのことでした。

なんでカラスになっちゃうんでしょうかね。読んだとき、思わず笑ってしまいましたが、なんとも心温まる話でした。今でも1日と15日にお墓参りに行くなんてすごいですよね。

これ以上のことはまだ調べていないのですが、取り急ぎご報告まで。

「日月(じつげつ) 二見」に向けて

三重県二見浦の夏至=十五夜の催しが近づいてきました。夏至や冬至には近年「キャンドルナイト」の運動が盛んで、たくさんの人びとが参加していますが、環境問題を考える試みでもあり、また一夜の楽しみでもあるこの運動の参加者に提案。今年の夏至は十五夜ですから、月さえ出たら、キャンドルもやめにして月の明かりを楽しむというのはいかがでしょう。キャンドルナイトをムーンライトナイトにできるかもしれません。

2月末、静岡の山奥に取材で出かけたとき、「十八夜」の月明かりに感動しました。満天の星がうつくしいほど輝いていた夜でしたが、山道は真っ暗闇。前がぜんぜん見えない山道を歩くという怖い体験をしました。しかし、十八夜の月が昇ると、がぜんスイスイと歩けるのです。満月からしばらくたった十八夜の月でしたが、その明るさにはほんとうにおどろきました。闇夜と月夜とがどれほどちがうのかを実感した貴重な体験になりました。

夏至ムーンライトナイトはきっと特別な夜になることと思います。是非試みたらいかがでしょう。

二見の催しでお話したいと思っているのは、夫婦岩が自然のストーンヘンジになっているということです。イギリスにあるストーンヘンジは不思議な石の構造物としてなぞに包まれていましたが、太陽と月を観測する天文台のようなものだったということが分かってきました。夫婦岩はそれを自然として表現したユニークなものです。

もうひとつは、ヒキガエルとカラス。わたしの本『人は月に生かされている』に、「馬王堆漢墓」として知られる中国・前漢時代の発掘物中、月にヒキガエルを描いた絵柄のある着物があってその写真を載せましたが、この絵には太陽とそのなかにいるカラスも描かれており、中国の神話世界を図像で表現した貴重なものです。その本に入れるために利用した写真は白黒のもので、不鮮明なため描かれているものがどんなものかがよく分からない代物でした。

この絵のカラー版の原図を見ました。新発見がありました。二見やその周辺はカエルとカラスにとても縁のある土地です。その新発見をお話したいと思います。

賓日館というふるい建物で「日月 二見」の催しが開かれることも楽しみですし、ソプラノ・サックスの名奏者・山本公成さんがどんな演奏を披露してくれるかも楽しみなところ。

以前のこの欄で紹介したように、夏至=十五夜のつぎのめぐりあわせは38年後。太陽と月のふたつに親しむ二見の催しに、どうぞ皆様ご参加ください。

三日月信仰について

前回のHPで三日月に祈る方の紹介を掲載しました。この方を紹介くださった佐久穂町図書館の依田さんから、またあたらしい貴重な情報を寄せていただきました。以下に、依田さんのお便りとわたしの返信を掲載します。

『月と季節の暦』制作室、志賀勝さま。

旧暦カレンダーを愛用しながら、お月様に親しんでいます。
先ごろの「おたよりコーナー」で、「三日月信仰の貴重な情報」として、長野県南佐久郡の女性のお話を紹介していただきましてありがとうございました。
三日月信仰は、昔は各家で行われていたのでしょうか?
佐久穂町の図書館で、偶然に「三日月さん」という題の文を見つけました。
白井仁(しのぶ)著『思い出絵日記 肩ぐるまの時代』(文芸社)という本に載っていました。少し紹介します。

三日月さまの日にはかならず、とうふを買いに行かされた。
帰ってくると、三日月に向かって母は何かお祈りをしていた。
お祈りが終わるまで、そばで物珍しく見ていた。
信心深い母だった。

このような大人の日常の営みが、知らず知らずに子どもの心に、影響するものと思われます。
満月は勿論いいが、二日月や三日月は、また別の魅力があります。
夕方早くに、西の空に輝く細いお月様は、格別にも崇高なものに感じられるものです。
ところで、三日月様にはなかなか出会えません。今年、3回の内で出会えたのは、旧暦、正月三日(新暦2月11日)だけでした。
すばらしい三日月様でした。
これからも、お月様に関する民間信仰の情報をお願いいたします。

長野県佐久市 依田 豊
依田 豊様

 貴重な情報をいただきました。ありがとうございます。
 東京でも4月には三日月が見られませんでしたが、一昨日の十四夜、昨日の十五夜は間近に感じられる堂々とした姿の月でした。

 さて、三日月信仰についてですが、これまで出合ったいきさつを記してご参考に供したいと思います。わたしの 『人は月に生かされている』で、戦国の武将・山中鹿之助が三日月を拝んでいる像があることを書きましたが、これは三日月信仰に無知だったわたしに島根の飯塚さんという方が教えてくれたものです。この本には、仙台藩士だった高橋淵黙の「朏暦」の写真を載せていますが、月々に出る三日月の形状を絵にしたもので、三日月信仰の痕跡を示すもの、そしてこの絵は今でも立派に三日月の毎月の形を教えてくれる貴重なものです。
 その仙台の伊達政宗の像が長いこと気になっていましたが、あの独特なかぶとについたするどいものは、剣なのか三日月なのか、特徴的な作りですが、仙台に行ったときに調べてみました。結果は、剣でも三日月でもなく、なんと八日の月というもので、なぜ八日月がかぶとに象徴的に配されているのか、その理由までは調べませんでしたが、やはり月は月だったというおもしろいものでした。
 昨年盛岡で講演の機会があり、その機会に、戦前の子ども時代三日月の日おばあさんに命じられて屋根に登り豆腐を月に捧げた、という話をしてくれた方がいて、民間における三日月信仰をはじめて知り、興奮を覚えました(この話は黒田杏子さんが主宰する俳句誌「藍生」で紹介しました)。
 その後、この三日月信仰と豆腐の関連は三重や静岡でもあるらしいと聞き及んでいますが、まだ詳らかにしていません。
 こういういきさつがあったものですから、HPで紹介した方の三日月信仰がどんなに重要なものであるかお分かりいただけることと思います。そしてこの度依田さんがお知らせくださった情報は、三日月信仰が日本において全国的に分布していただろうことを十分に信じさせるものですし、この信仰の女性性も確認することができます。記録したものがあったということで、教えてくださったお話の重要さははかりしれません。

 中国には「拝新月」の風習がありましたが、菅原道真の漢詩に「拝新月」があり、これが日本における三日月信仰を示すものかどうか、今のところ証拠がありません。

 もうひとつ、話は違いますが、ご存知のように羽衣伝説は世界的に分布している説話なわけですが、日本では天女は満月をバックに地上に降り立ちます(かぐや姫もそうですね)。ところがイスラム圏では、三日月(新月といいますから二日月のときもありましょうが)のときに降りてくるのです(アラビアンナイトにこの説話が含まれています)。シャーマニズムとも絡んで羽衣説話はわたしの研究課題でもあるのですが、日本イスラムいずれにせよ、あるいは三日月であれ満月であれ、いずれにせよ月から天女が舞い降りるというのは、月を尊んだ人類共通の精神性を示していて心豊かにしてくれます。

 三日月はものごとのはじめといってもいいもの、多くの人びとがこのはじまりの月を楽しんで欲しいものだと思います。貴重なお便りでした。誠にありがとうございました。
 まもなく、弥生の満月が昇ってくる時刻です。今夜もよい月夜が保証されているようです。

依田さんに上の返信を送った後、『羽衣』の本文で確認したところ、羽衣が月から降りてくるのは満月のときかどうか不明と判明。朝まだ月が残っている日というのが本文の表現ですが、その条件に合うのは、満月の可能性もありますが、満月過ぎの月の可能性もあり得ます。他の謡曲での月の描き方から類推すると、満月の月から羽衣が降りると考えたくなるのですが……。

今日から卯月

HP更新の今日(5月8日)、卯月一日がはじまりました(今は皐月ではないのでくれぐれもご注意を)。

実は今日、宮城県で学校の先生をしていらっしゃる方から、「月と季節の暦」卯月のところに載せている福島県の農業・竹本利喜男さんの住所が福島県会津高松市となっていて、こういう市はないとのご指摘。会津高田市の誤植でした。ご利用の皆さん、竹本さんにお詫びです。

ご指摘下さった方は、教室に暦をかけて下さっているとのこと。子どもたちに「悪い大人が間違えました」と伝えて下さいとお願いしました。感謝です。


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