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志賀 勝
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月と季節の暦
志賀勝から一言
(2005年6月12日)

「秋立つ日 夕月を待ちながら…」
8月7日(日)午後、講演とビデオ上映会を
開催します

立秋で三日月の出る日、東京・浅草の台東区民会館ホールを会場に催しを企画しました。わたし(志賀)は、この間各地で、月暦の仕組みの説明や、各人各様にユニークな使い方がある暦活用法について講演する機会が多くありました。東京でも一度是非暦利用者や月好きのみなさまに聞いていただきたいと思っていたところ、昨年催した「月の高野山」のビデオが、一周年を前に、撮影者の苦労の結果ようやく完成という朗報があり、それでは講演とビデオ上映をセットに催しを、ということになりました。

どうぞ別掲チラシをご覧ください。当日は浅草寺五重塔の上に出る三日月鑑賞も楽しみです。

この催しに向けたビデオ制作者・穂盛文子さんの弁(以下)もどうぞご覧ください。

私はこの「月の高野山」で、お月様に初めて出会いました。
撮影依頼を受けての参加ではなかったので、撮影できるものがあれば……という軽い気持ちでカメラを持参しました。しかしそこに待っていたのは、予想以上の広い会場と、嵐の日とは思えない程の、大勢の人々の熱気だったのです。
イベント全体を作品にまとめることとなって一番残念に思う事は、何と言っても、ウォン・ウィンツァンさんの映像が無いということです。「なんだ、一声かけてくれれば撮れたのに……」と志賀さんに言って頂いたのは何ヶ月も後の事でした。
幸いなことに、ウォンさんの奥様が録音されていたので、音だけはお借りして付ける事ができました(遠くからのウォンさんの姿は撮れていますよ)。
「ミシ!ガタ!ギギー!」嵐の音と揺れる吊り灯籠、そして松長大僧正の「太陽の文化と月の文化と密教」、志賀さんの「月に生かされて」、御詠歌に宗教舞踊、阿字観瞑想法など……とても密度の濃い作品に仕上げたつもりです。お月様の織りなす宇宙とウォンさんの醸し出す音楽に、すっぽり包み込まれるような一時間です。どうぞ、この機会にご覧観下さい。

8月中、各地で催し

8月7日は〈月〉の会・東京による立秋=三日月の日の企画ですが、8月中は各地から月暦にもとづいた催しの企画が伝えられてきています。〈月〉の会会員の古川さんは調布市で七夕の企画を発案されました。宮城県南部の大蔵山では、わたしが「月の彫刻家」と呼んでいる小関直子さんを中心に、8月20日満月の催しが企画されています。大蔵山は独特の石を産出するところで、その石を素材にする芸術家が集まるところ。山の散策路や山堂(やまどう)の建設が進み、8月半ばに完成を目指しているとのことです。頑張れ、大蔵山!

  大蔵山造形研究所のHP

以下に、古川さんと大蔵山からの通信を掲載しますので、ご覧ください。

8月20日にはまた、〈月〉の会・三重が催しを計画しています。小林さんのメッセージをご覧ください(スケジュール欄もどうぞ)。

<月>の会・東京 古川ひろしさんのお便り

今日七夕(8/11)実行委員会をしました。夏の大三角からべガ(織女星)・アルタイル(牽牛星)を確認、月の満ち欠けから七日月を確認しました。お飾り係・お話係・歌係・短冊係。こども会は三地区にまたがりこどもは40人にはなりそう。住民全員から願いの短冊を書いてもらうことにしました。午後から飾りをつくりこどもたちで短冊を集めてまわり飾る。夕刻集会所でお話の会、多摩川で星と月を見てお菓子をいただく。笹竹のお飾りは翌日川に流す。そんな話し合いができました。生涯忘れないおくりものができそうです。雨ならば12日の夜空。古川

大蔵山造形研究所からのお便り

ホームページをご覧頂きありがとうございました。
山堂(やまどう)は8月20日完成予定です。
当日はオープニングセレモニーを準備中です。
8月20日は満月ということで、二胡と馬頭琴の演奏会を考えております。(紆余曲折が予想されますが随時情報を発信していきたいと思っておりますのでよろしくお願い致します。)

熊本の八代に行ってきました

「月と農業」に注目が集まるなか、わたしも農業の実際について勉強しなければと考えていましたが、折よく、「月刊NOSAI」誌が連載中の「月の出(番)です!」で長めに番外編を、とすすめてくださり、これを好機に八代で月のリズムの農業をいとなんでいる旧知の園田さんを訪ね、取材しようと、5月10日、11日の両日行ってきました。

八代のキュウリ
キュウリ畑やジャガイモ畑の取材も有益でしたが、夜には園田さんの仲間が30人ほども集まり(九州環境保全型技術研究会八代支部の方々)、やはり月暦について講演をうけたまわりました。講演は講演としてなにがしかみなさんのお役に立ったかと思いますが、わたしとしては懇親の席で農家の方々からうかがう話が、どれもみなさんが作る作物のように新鮮、勉強させられることばかりでした。

翌日には、熊本市で暦をお使いの方々ともお会いでき、充実した二日間でした。熊本には、昨年来三度入ったことになりますが、阿蘇の巨大な自然に圧倒されるなど、忘れがたい思い出の数々です。そして今回、月のリズムにもとづいた農業を試みているたくさんの農家の方々にお目にかかることができ、ことばは適当でないかもしれないですが、熊本は先進的だなあ、と強く感じました。英語のインフルアンスということばは、もともとは西洋占星術で天体の影響ということから生まれたものですが、月がもたらすインフルアンスは、仕事にも文化にも、わたしたちにますます豊かさをもたらしてくれそうです。

なお、八代のレポートは「月刊NOSAI」7月号に「月の力――生物への影響、林業、漁業、そして農業」と題して掲載予定(連絡先=全国農業共済会=03-3263-6411)。ご参考までに、これまで連載の各タイトルは、

「太陽暦と月暦と」
「『ついたち』とは新月のこと」
「月遅れの黒川能」
「月夜の『西浦田楽』」
「二見浦の夏至=十五夜」
「月が作る驚異の自然現象」 以上です。

名古屋で講演

名古屋の「月を楽しむ会」主催による写仏と講演の催しに出向き、「月に行った人びと」というテーマで講演しました(5月22日の十五夜)。神話で、小説で、月に行った人びとはたくさん存在しています。前回の講演「月と夢」のつづきを意識して、夢のあるお話をもくろみました。

仲秋の名月は9月18日で日曜、翌日は「敬老の日」ですから、西暦的には前後を入れて3連休といういいタイミングになります。名古屋の会では、17日土曜の待宵月に月見の催しをやろうと企画がはじまりました。

二見浦での「日月 二見」(中日新聞の記事およびスケジュール欄参照)にも、名古屋から20人以上の方々が参加予定とのこと。〈月〉の会関係全体としては全国から70名を越す参加が見込まれ、にぎやかな夏至=十五夜の催しになりそう。テナーサックス奏者の山本公成さんは、夏至の日の出に夫婦岩でサックスを吹いてくれることになり、これもたのしみ。

「オカルト旧暦教」!

〈月〉の会会員の玉村さんが、今年出た高島俊男著『お言葉ですが…(9) 芭蕉のガールフレンド』(文藝春秋刊)のコピーを送ってくださいました。「オカルト旧暦教」というタイトルの一文が入っていて、とても参考になります。みなさんに一読をすすめます。

高島さんは、『旧暦はくらしの羅針盤』や『旧暦と暮らす』といった本の内容を批判し、「一番大きな、根本的な問題は、季節や天候が旧暦にあわせてやってくる、と言っていることです」と辛辣です。実は月暦を作って来年で10年になるわたしも、旧暦が季節や天候の判断、つまり季節が早く来るとか遅く来るとか、猛暑、暖冬などの年間予測に有効だとはとうてい思えないので、右のような本の論調が流布していくと、結果的に「なんだ、旧暦はダメな暦ではないか」ということになってしまうのではないかと懸念していました。実際、倉嶋厚さんや岡田芳郎さんといった気象や暦の専門家によるそうした論調への批判も目にしていて、おなじ旧暦を制作する立場から一言する必要を感じていたのでした。

もともと、旧暦が西暦に「改暦」されるとき、大きな理由のひとつに「旧暦は季節に合わない」という非難があったものでした(福澤諭吉の論が急進的で明快です)。西暦の方が季節をとらえやすいことは当たり前で、西暦は太陽暦だからです。

わたしが月暦と呼んでいる旧暦のメリットは、これらの歴史を踏まえたものです。季節感のあるはずの西暦下で、かえってなぜ季節感が希薄になってきたのか。伝統的な行事は、なぜ季節感を無視していとなまれるようになったのか。月暦にもとづいていた文化はどこに雲散霧消したのか。立春とはなんだったのか。日本人にとって1月1日とはいったいなんなのか。そして、月の存在は……。

それに、仕事や生活に西暦はどんなにすばらしいリズムを与えてくれたというのでしょうか。太陽の細かなリズムを示す二十四節気と月の復権が、以上のような西暦の否定的な問題に解答を与えてくれるのです。わたしは暦を「月と季節の暦」と名づけました。

この時代、安易なことばに飛びつく人が多いので困りものですが(飛びつきたい気分があるのですよね)、そうは自然(問屋)は卸してくれません。

ところで、高島さんご自身は旧暦を過去のものとしてだけ評価の必要を認める西暦主義者なのでしょうか? 気になりました。


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