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月と季節の暦
志賀勝から一言
(2005年7月10日)

立秋はどうぞ〈月〉の会・東京へ

8月7日、〈月〉の会・東京主催による「秋立つ日 夕月を待ちながら…… 講演とビデオ鑑賞会」が開かれます。わたしは、月暦の見方、使い方について話しますが、カレンダーの利用法について東京で話すのははじめてのこと。暦をお使いの方々に聞いていただきたいものと、わたしのリストにある関東圏の一部千人を越える方々に案内文を送りました。案内文とチラシを別掲しますので、どうぞご覧ください。

熱海でも月の集いが行なわれます

熱海で、今年最大の大きさになる満月の7月21日、ムーンテラスで小さい規模かとは思いますが、集いが行なわれます。スケジュール欄をご覧ください。

浅草での例会も盛況に行われました

〈月〉の会・東京の7月例会(7月9日)は、彫刻家の澤田志功さんのトークでした。澤田さんを中心にした例会風景を掲載します。

澤田志功さんを囲んで
創作のモチーフについて語る澤田志功さん(2005.7.9)

「日月 二見」は大成功でした

夏至前夜の6月20日に二見浦・賓日館で開催された「日月(じつげつ)二見」は百二十畳敷きの大広間に納まりきれない三百人をはるかに越える方々が集い、十四夜の月にも恵まれ、成功の上に大がつく感動の一夜になりました。どうぞ写真をご覧ください。

(各写真はクリックすると拡大します)
    
東京から参加した人々は伊勢のおかげ横丁、五十鈴塾を巡って二見の催しに向かいました。赤福本店前では「夏越の大祓」の輪を次々にくぐりました。地元には翌日の「夏至まつり」のポスターが。
二見浦の興玉(おきたま)神社には、講演で取り上げた「月とカエル」を思わせて、カエルが崇められています。神社で手を浄める水も、カエルの口から出てきます。
会場となった、賓日館(ひんじつかん)の前景。志賀の講演と山本公成さんの演奏は、二階の大広間にて行われました。
  
まだ明るい夏至前日の午後6時半「日月二見」スタート。大広間は立錐の余地ない参加者で埋まりました。
  
出た、出た、月が。山の端から昇る見事な月に、廊下のあちこちから歓声が上がりました。催しを祝う、すばらしいお月様のはなむけでした。
ソプラノ・サックス奏者、山本公成さん登場。アドリブとオリジナル曲「ふるさと」のすばらしい演奏でした。
  
主催者の小西蔀さんとともに。このあと懇親会では「五十鈴勢語庵」がこの日のために特別製作した三日月と太陽の和菓子がふるまわれました。
  
夏至の日の出時刻の二見浦風景。富士山頂から昇る日の出は拝めませんでしたが、信徒たちの禊ぎを前に参加者全員、厳かな気持ちに包まれました。
夏至を祝って、日の出の時刻に合わせて夫婦岩の前で演奏する山本公成さん
(左写真撮影:小西蔀さん)
    
伊勢内宮の月読宮、外宮の月夜見宮へ。見たこともない大きなクスノキに耳を当てる、東京からの参加者たち。

二見浦では夏至の日の出は、雲に妨げられ見ることができませんでした。イギリスのストーンヘンジで今年も夏至の日の出を祝う人々が集まったそうで、列石のあいだから昇る太陽のニュース映像を見ました。これを伝える報道で、ストーンヘンジを太陽信仰の場所としてだけ取り上げているのがありましたが、事実は大いに違うようなのです。

亡くなった竹内均さんが訳した『ストーンヘンジの謎は解かれた』(G・S・ホーキング著、1965年)や『ストーンサークル―天文学と考古学』(フレッド・ホイル著、1977年)といった天文学からのアプローチで明らかになっているように、太陽のみならず月の運行も予測できるのがストーンサークルで、食(とくに月食)も予測できる構造物だというのですから、17世紀以来つづいてきた夏至や冬至だけを問題にする太陽的観点は正されなくてはならないでしょう。

ストーンヘンジはいわゆる「ドルイド教の聖地」、といったようなはなはだしい誤解もかつてはありました。カエサルの『ガリア戦記』一書を注意深く読めば、ドルイド教といったいい加減なことばがいかに現代人の思い込みにもとづいた間違いであるかがよく分かるのですが、現代人は月をも忘れて太陽だけに目を向けています。二見に向かう途中、高名な建築史家の藤森照信さんの新著『人類と建築の歴史』をたまたま読んでいました。教わることの多い藤森さんですが、ストーンヘンジなどの巨石遺跡は太陽を神とあがめる太陽信仰の跡と主張していて、あれあれと思ってわたしの講演「月と太陽を楽しむ」に臨んだものでした。

冬至点近くの満月が夫婦岩のあいだから昇ることがあります。太陽と違い、複雑な軌跡をもつ月はこのポイントからはずれることもあるでしょうが、半年毎に交代する太陽と月の奇跡のような現象に古来人びとは気づいていたことでしょう。巨石ならぬささやかな月の一石がここ二見で投じられたとしたら、月と太陽のふたつを複眼の視野で考えたいわたしたちとしてはありがたいことでした。

以下に、催しを主催して大活躍された「伊勢の国 冬桜の会」「カラスの会」の小西蔀さん、賓日館スタッフの大倉美希さん、岐阜から参加の呉宣恵(オー・ソネー)さん、大阪から参加の鈴木映子さん、〈月〉の会・東京の寺田幹雄さんの印象記を掲載します。原稿をお寄せくださり、皆様どうもありがとうございました。文中満月とありますが、正確には月齢13.2、十四夜の月でした。

講演を終え、サックスの山本公成さんにバトンタッチするまさにそのとき、山の端から黄金の月が昇ってきました。これ以上考えられない見事な演出で、月が自分の出番を見計らっていたようでした。

集まられた全国の皆さん、どうもありがとうございました。


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