トップへ
月と季節の暦とは
<月>の会
志賀 勝
カレンダー 月暦手帳
イベントスケジュール
月と季節の暦
志賀勝から一言
(2006年6月4日)

熱海の催し

5月12日、熱海でまた一期一会の月を見ました。当日夜は木星と月の並走が楽しみでしたが、−2.5等星に輝く木星は、手の届かんばかりの近さに見えてまぶしすぎる光線の束を発光する月にも負けず、堂々と月の隣にぴったり寄り沿い、両星のランデブーはまさに見もの。そしてさらに、熱海の月夜は、信じがたい光景が……。

月と木星のランデブー:熱海にて
月の左上に並走する木星。わかりますか?(撮影:穂盛文子さん)

月の暈というのは皆さんご存知の通りですが、その輪っかが虹のように光彩を放つのは見たことがあるでしょうか? このときの暈を、月華といいます。その月華が現れたのです。月華は、刻々と変わる美しさを演出しながらわたしたちを唖然とさせては酔わせたのでした。

振り返れば、熱海での何度かの催しのたびに、わたしたちは月の出や日の出に恵まれたものです。今回の「ATAMI 月映え」は、中でも最も感動的な月夜となり、さてはこの日のためにこれまでの活動の積み重ねがあったのか、とすら思われたほどの至福でした。ああこれで熱海での催しも一区切り、との感慨を深くしたのでした。

(各写真はクリックすると拡大します)
 
「ATAMI月映え」第一部は、午後1時スタート。会場となった起雲閣の2階で、企画展示が行われました。
  
  卯月十五夜に合わせた卯の花、端午の節供を前にした兜のアレンジ、おなじみ月クッション、月キャンドルの提案など、女性スタッフによるセンスあふれる展示品の数々。NPO「新月の木国際協会」からは、かびにくく割れにくい貴重な「新月の木」の実物も。
 
月暦の誕生日の入った似顔絵をプレゼントする企画も大盛況。3時半からは、増田正雄さん(新月の木国際協会理事長)と志賀がそれぞれの立場から、月の文化について語り合いました。
 
6時半からは、音楽ホールでお待ちかね第二部「ウォン・ウィンツァン コンサート」。遠方からの熱烈なファンも加わって、満座の150人がウォンさんの情熱的なピアノ演奏に酔いしれました。
  
打上げパーティーの頃、やっと夜空に十五夜お月様が。月をバックにした中央写真は、左から岩越松男さん(新月の木国際協会副理事長)、志賀、増田さん、梶俊浩さん(月の会・熱海代表)

5月に吹くさわやかな風がないな、と感じているうちに31日のいち日だけ薫風を感じたような不順すぎる5月中でした。「ATAMI 月映え」のいち日だけが格別な日だったように、ありありと脳裏から去りませんが、企画展とコンサートの大掛かりな催しだっただけに、無事終えることができたのは何よりでした。この特別な日をともに過ごしてくださった参加者の皆さん、「新月の木」の皆さん、お手伝いくださった熱海をはじめとする皆さん、そして高野山に続きわたしたちとともに催しにミューズの魂を吹き込んでくれたウォン・ウィンツァンさん、ありがとうございました。

レポートとして、「新月の木」の岩越さんと熱海の平岡さんに一文をお願いしました。どうぞご覧ください。

岩越 松男さんの「ATAMI 月映え」感想

今年の正月は「月の会」の人たちと旧暦のお正月を熱海で迎えました。明け方まだ日の開けやらぬころ、皆で外に出てみると、凛とした外気が身を切り、漆黒の海に一筋の金の筋が見えました。「あれが金星の光の道ですよ」と志賀さんが教えてくれました。
「この金星の光の道筋に太陽が上がってきます。」
「……」言葉が出ません。私は『こんなお正月が迎えられるなんて、本当のお正月とはこういうことだ』と感激しました。
この出来事は、「熱海月映え」の企画に大変重要な動機づけになりました。

私は新月の木国際協会として、“月とリズムが木の成長に支配されている”ことを実物で証明する企画を担当しました。さすがに月の会の人たちには大変興味を示していただけました。充分な受け答えを出来ませんでしたが、月の満ち欠けによって木の性質がこんなに違いが出るのだということは分かっていただけたかと思います。

私たちは何故月に魅せられるのでしょうか。
「そこに月があるから」
そう、紛れもない事実を見たとき、私たちは、同時に不思議を感じるから魅せられるのではないでしょうか。
新月伐採木による本来の木の持つ自然のポテンシャルのすごさを私たちは感じています。そうした、驚きや不思議は、目の前の事実の背後に果てしなく広がっています。きっと文化とか芸術というのはその背後の模様を表現する“こと”なのかもしれません。
ではまた次の企画でお会いしましょう。

新月の木国際協会副理事長 岩越 松男

熱海市・平岡奈緒美さんの感想

花活けて 母娘で語る 今宵満月   

私の母は70年前の仲秋の名月の夜に産まれたので「月子」と名付けられたそうです。俳句や短歌の号も「香月」と名乗っています。
母娘で5月12日に熱海の起雲閣で開催された「月の会」のイベントで「よもぎ茶」の御接待をお手伝いさせて頂き「月の会」皆さんと親睦を深めることができ良い思い出ができました。イベントが終わってからも色んな方からメールや郵送でご厚情を賜り大変感激しています。この場をお借りし皆さんに御礼申し上げます。

短い打ち合わせにもかかわらず、卯の花のあしらいをはじめ会員の方々が思い思いに表現され、会場の雰囲気作りはセンスよく出来上がりました。 コンサート満員御礼となり音楽ホールの椅子が足らない分を「新月伐採の角材」と「月の座布団」で桟敷席を設営するとは何て柔軟なひらめきでしょう! ライトアップされた起雲閣中庭の木々をバックに漆黒のピアノと純白のスーツに身を包んだウォンさんのピアノ演奏を「檜」「卯の花」の香る中で楽しめ魂が喜びました。……「月の会」の次回の企画・演出が楽しみです。

地球と月と太陽の自転と公転のことを考えると人間の生き方とか人間関係、社会の良い指標になるのですね。 私は「農」と月暦に関心を持っており、今年は蕎麦を種まきから始まり、手打にして食するまでを月暦に合わせてやってみたいと考えていますので、ご興味を持った方はご参加ください。

熱海 平岡奈緒美

堺に行きます

大阪の堺で毎年暦をたくさん購入してくださっている細谷さん。電話でよくやり取りする仲です。料理店をやっていらっしゃるとのことで、電話の応対がとても丁寧で印象がとてもよい方です。お客さんとよく月や暦の話をしているとのことで、一度話しに来てくれませんかという話をかねてからうかがっていました。ようやく話が進展し、この7月1日にお話に行くことになりました。20人ほどの方が集まってくださるとのこと、わたしも神戸、大阪や奈良の関係者を誘っていますが、東京からも同行してくれる会の人がいて、面白い出会いの機会になりそうです。

堺については漠然とした知識しかありませんが、月暦のつながりならではのこの機会、是非堺について勉強して来ようと思います。堺は大阪とはいっても別格の土地柄のようです。独特な歴史ある土地ですから、地元の方々が〈月〉の会を作ってくれたら何よりと期待しています(スケジュール欄参照)。

その他近況報告

月暦や〈月〉の会のつながりの豊かさを、最近は感じることしばしばです。熱海の催しを終えたらと計画していた十和田湖畔の「休屋 桂月亭」訪問に行ってきました。女将というと怒られてしまいますが、この旅館の小笠原由美さんは〈月〉の会会員として(会員紹介第一回に登場しています)ずいぶんお世話になっている方で、答礼を兼ね一泊遊んでこようという思惑でしたが、素晴らしい旅になりました。

桂月亭は大きな旅館で、大町桂月ゆかりの文化財などをたくさん保存していました。

一面靄に覆われた十和田湖の風景、そして奥入瀬(おいらせ)の渓谷や雪まだ融けやらぬ八甲田山系。この世ならぬ異界さながらの珍しい風景にずいぶん恵まれ、まったく驚きの連続でした。旅行業者にでもなって、多くの人びとに楽しんでもらえるアイディアをいっぱい実現したい、と夢想も楽しい旅でした。ご主人は、昨年、月見の和船を十和田湖に浮かべたそうです。一時代前にはごく普通だったかもしれない、そんな光景が湖に復活するのも楽しみなことです。題して、「湖上の月」(荒城の月ならぬ、です(笑))というのはいかがでしょう?

桂月亭訪問を機会に、弘前市の郷土会席料理屋「野の庵」も訪ねることができました。経営者の佐藤さんはわたしの本を読んでくださっている方。お店の創業は幕末とのことで、復活なった津軽蕎麦をはじめ素晴らしい郷土料理を堪能しながら、幕末から明治にかけての逸話をたくさん拝聴しました。弘前は高層の建物がなく、お城を中心に落ち着いたいい感じ。この旅、仕事でお世話になっている(株)江口の社長にも同行していただき、楽しんでいただきました。

最近はまた、拙著を読んでくださった方が鹿児島からわざわざ訪ねていらっしゃいました。教育に携わっている方で、鹿児島でも〈月〉の会を作っていきたいとのお考えをお持ちでした。出身は沖永良部島とのこと、サトウキビや2009年の皆既日食のことで話が弾みました。生い立ちをうかがうと、この方にも月のリズムが原体験であることがよく分かりました。鹿児島にもそのリズムが残りますが、沖永良部は奄美や沖縄の文化圏。屋久島に加えて、〈月〉の仲間の出会いが続きます。

最近はまた沖縄から心を打つ便りを頂戴しました。最後にその一文を紹介します。

沖縄県・安井さんのお便り

先日送っていただきました『月と季節の暦』を机のどこに飾ろうかと悩みながら楽しんでいます。ありがとうございました。
ふだん、なかなか月を眺めるこころの余裕がなく、これじゃだめだなーと思っていました。
沖縄の伝統的行事は、ほとんど太陰太陽暦(旧暦)だし、海人(ウミンチュ)は当然月と潮に従って生きていますし、そのへんの釣り人もみんな潮時表で計画を練っているしそんなにも近いのに、僕らは月を感じていないのは、情けない限りだなと思います。
この「月と季節の暦」の購入をきっかけに、死にかけている自分のサーカディアンリズムを揺さぶり起こしてみようとおもいます。

●先日GWのはじめの卯月二日(新暦5月29日)大潮の日に、ヤンバル(沖縄の北部)にキャンプにいって来ました。釣りの名人の案内で、あまり人に知られていない浜辺に陣取り、私はトライアスロン用のウエットスーツ、水中ナイフ、友人のひとりは釣りざお、もう二人は獲物入れの大きな網とドライバーで、干潮の昼12時ごろから3時ころまでリーフあたりで子供になって遊びました。完全武装(?)の私はシャコガイひとつの無惨な成績、友人達は20センチくらいのいちばん美味しそうなサイズのシャコガイ7個、沖縄の棘のないサザエ(朝鮮サザエ?)10個、馬糞ウニ(通称)は私をふくめ、もう拾い放題。100個は軽く超えていました。で、その場でビーチパーティー。採れた手のシャコガイは天国にものぼる味わいでした。

●沖縄の入梅は今年は、かなり遅く、気象庁の発表はこの間の新暦5月14日(卯月17日の立待月の日)でした。けど、きのうも今日もとってもいい天気です。
つゆのころのことを沖縄では「すーまんぼーす」と呼んでます。「小満」と「芒種」の頃が梅雨時ということなんだろうと思います。7,8年前に僕も友人10人ほどで「月の会」という「模合い」をやっていました。「模合い」というのは、ほんらいは、「講」「頼母子講」「無尽」のような日本近代の金融にも繋がるその原型のようなものだとは思いますが、ひとと人の繋がりをもっとも大切にする沖縄では各家の農作業を順番にみんなで手伝う習慣から、まとまったお金の必要な人のためにみんなで協力しあう、そんなことが一般的になっていったのだと思います。いまでは、いろんな仲間が一月に一回日を決めてわいわい飲んでおしゃべりするような、ものが一般的で1万円ぐらいの「模合い金」を持ち寄り、順番に取って行くという形が普通です。でも、誰かから、「模合い」やらない?とか誘われた場合は、その人は信頼できる友達として認められたということになるので、無碍に断れなくなり、困る事もあります。私は現在6箇所の模合いに入っているので(それでも減らしたほうなのですが)毎月6回はどこかで飲み騒ぎ、かーちゃんにおこられる日々を過ごさなければなりません。
で、自分が主宰したかつてのその模合いは、会の名称を「月の会」として、雨が降ってもちゃんと「満月の日」に集まる事にしていました。
志賀さん達の本格的な「月の会」とは、とても一緒にはできない飲むための会だったのですが、名前がちょっと懐かしかったです。

●シベリアの大きな月の感動からはじまった志賀さんの月への執着、凄いなーとおもいました。
私は昔、日曜日の朝、小さな娘を助手席にのせて運転中、信号待ちで並び、青信号になった時に前の車が発進が遅れているのを、後続のタクシーがヒステリックにでかいクラクションならして騒いでいるのを、そんなに騒ぐなよ程度に思っていたのですが、隣のわが娘が同じように怒ってはいたのですが「こんなに大きな音を立てたら、お月さんがまだ寝てるのに、かわいそうよね」って言って、ふとフロントガラスの向こうの空を見上げたら、幽かな白い残月が申し訳なさそうに浮かんでいるのがみえました。娘に大事なことを教わったような気がしました。

「月と季節の暦」たいせつにします。
それにしても、どこに飾ろうかな?

いろいろ催し物があってお忙しいようですが頑張ってください。


≪ 第三十回へ 第三十二回へ ≫
志賀 勝のトップへ
Copyright(C)2006 月と太陽の暦制作室 志賀 勝