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月と季節の暦
志賀勝から一言
(2006年12月5日)

イノシシ年の始まりはまだ大分先の2月18日なので、ゆっくりしたペースで新しい暦が捌けていけばいいという気持ちがある一方で、11月下旬から実際の販売実務を始めてみると、すでに六千数百の方々のお手許に新暦が届いている勘定です。

まさに、注文受付・発送に寧日ない時季、という次第で、今回のホームページは長崎県の方々のお力を借りた編集です。次回の更新では、月暦制作は今回で11年目に入りましたが、これまでの10年間月の暦が結んできたつながりが意想外に大きなものであったことに気付かされた発見の数々を報告するつもりですので、どうぞご期待ください。

〈月〉の会・会員紹介ページでは、通例お二方を紹介していますが、今回は事情で齊藤さんお一人にお願いできただけです。月暦の現代的意義についても書かれた一文ですので、どうぞご覧ください。

三日連続の九州講演旅行

さて、11月22日から24日まで、佐世保、長崎、壱岐に講演旅行に出かけました。それぞれの土地でお世話くださった〈月〉の会・佐世保の田中千鶴さん、〈月〉の会・長崎のヤマサキユズルさん、壱岐の武田泉さんにレポートをお願いしました(ヤマサキさんのはHPから転載)。写真を添え、そのキャプションにわたしの印象を記しました。

<月>の会・佐世保 田中千鶴子さん
11月3日の十三夜観月会に続いて22日は、念願だった二十三夜石塔が三基も残され市民にも昔から親しまれている福石観音清岩寺(710年行基により開かれた古刹)で志賀様による「月への招待」と題しての講演会が実現できました。

二十三夜講(女性たちが集い結婚や妊娠、安産を月に祈願し、年配者から生活の知恵など伝授されていたお楽しみの会合)のお話しも伺い、これを期に、月暦二十三夜の日に女性を中心として月のリズムを学びながら自然との関わりを大事にし、家庭生活や人生を楽しむアイデアを出し合う現代版二十三夜講(楽しい情報交換の場)として復活させたいと考えております。

又両催事に御参加、御協力頂き天体望遠鏡や映像で月や星の天文観測を楽しませて下さいましたNPO長崎天文協会会長・松本直弥様とも協力し合い、市民が月や星を親しみ、伝統行事七夕などを季節感ある旧暦で復活させるお手伝いもして参りたいと思います。

(各写真はクリックすると拡大します)
    
佐世保市の古刹・福石観音清岩寺で講演(11月22日)。巨石を壁にした本堂の仕様に驚きましたが、行基以来の仏教者の希求を肌で感じさせるお寺でした。二十三夜塔が三基も大事に、大事に保存されているのは素晴らしいことでした。三基あるということは、女性らの三つの世代が二十三夜講を営んでいたことを証しているのです。
〈月〉の会・佐世保のメンバーと田中千鶴さんの「おしゃれの店タナカ」で。田中さんの後ろは、壱岐からわざわざいらっしゃった武田泉さん。
九十九島を前にする古民家で二次会の交流会。長崎の天文協会会長の松本直弥さんも出席され(下段右から二人目)、日食の話や映像でわたしたちの想像力を宇宙へと導いてくださいました。来年には、佐世保で〈月〉の会と天文協会が共に「伝統的七夕」を楽しむ企画が実現しそうです。(左写真提供:松本直弥さん)

<月>の会・長崎 ヤマサキユズルさん
(引用元のページはこちら

長崎講演会ポスター


講演会当日は本格的な雨になり出足にはかなりの影響があったようです。しかし開場の13時30分には会場ロビーにはすでに10名以上の方が待たれていました。

受付開始と同時にこの日の参加記念ために届いたばかりの「長崎月手帖」をお渡ししました。次々とお客様が入場されて開会時間の14時には100名近くになっていました。

司会者からの資料説明に続き〜塾長開会挨拶〜先付け「月琴演奏」(塾生:山崎かおり)。長崎でも珍しい明清楽で使われる満月のように丸い胴の月琴演奏に聴き入っていただいただきました。

さていよいよこのあと志賀勝氏の講演に入り:講演1〜質疑〜講演2〜質疑〜閉会挨拶と進行しました。

「お月様先生」と呼ばれる志賀勝氏は「月と季節の暦」を手に月暦の見方や使い方など基本的な事柄から月暦を中心に月の存在がいかに生活に密着していたか、とくに二十三夜待など月待行事の存在や立待月、居待月など月の異名などの例を紹介しながら、日本人がいかに月の文化を享受しながら生きていたか、明治5年の新暦移行を境に自然との遊離が始まったことなどを2時間近くに渡りお話しいただきました。質疑でも時間が足りなくなるほどに質問が続きました。

講演のあとは受付に月琴が置かれ、眺めたり手にとって演奏してみる方もいらっしゃいました。長崎という地域にも、塾にとっても大いに意義のある講演会になったと思います。

午後6時からは会場を自然食のティアに移しての塾生以外の方々も交え12名での交流食事会も和やかに時間が過ぎました(最後に志賀勝氏を囲んで記念写真)

(各写真はクリックすると拡大します)
  
長崎市の「メルカつきまちホール」で「月への招待」と題し講演しました(11月23日、神無月三日月の日)。長崎市は、頼もしいことに、「月の文化」の先頭を歩んで後続のわたしたちの励みになってくれています。写真左は月琴の演奏風景。

武田泉さん(壱岐講演会コーディネーター)
11月24日、月読神社発祥の地といわれる壱岐を初めて訪れた志賀さんを囲んで、交流会を開きました。壱岐には、月にまつわる古い伝承や伝統行事が今でも残っていて、そのなかで、「お十夜」(仏様の供養)の日に、仏様にお供えした物を、その日だけは子どもたちが自由に「盗んでもいい」とされ、あちこちのお寺で供養が終ったとたん、子どもたちがグループで盗みに行き、集めたお菓子をみんなで平等に分けた、というほほえましい話もとびだしました。

「月」をテーマに、本来の壱岐の文化を再発見していく中に、壱岐の島がイキイキと輝くヒントがたくさんかくれているようです。志賀さんを囲んでの交流会は、その一歩をたしかに感じさせるものとなりました。

ご縁を繋いでくださった、佐世保の田中千鶴さん、嵐の中、来て下さった志賀さん、そして月読さんにあらためて感謝です。

(各写真はクリックすると拡大します)
嵐のような強風が吹きすさぶ中、空路壱岐に入り、嵐のような波が襲う中、海路壱岐を離れる、わずか半日の壱岐滞在でした(11月24日)。写真は猿岩を背後に、お世話くださった武田さんと。
  
壱岐のど真ん中に鎮座する月読神社。日本の月読神社の本拠であることは知る人ぞ知る事実です。神社をお世話している占部さんからは史書には記されていないさまざまな事実を教えていただくことができました。ツキヨミの示している神格の大きなものが時を教える暦の神というものです。「月と季節の暦」を奉献し、本殿の中に早速飾っていただけたのは、本当に望外の喜びでした。右は、月読神社の奥の宮の貴重な写真です。


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