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〈月〉の会・東京「十和田・弘前旅行」
(2007年6月1日〜2日)の印象記(その1)

観月後の宴会にて
観月後の宴会にて。十和田「休屋桂月亭」の小笠原ご夫妻、
八木倫明さん(後出)、志賀(撮影・穂盛文子さん)

「休屋 桂月亭」経営・小笠原由美さんのお便り
……(前略)…… この度は、皆様でお越し頂きましてありがとうございました。何よりお天気に恵まれて素晴らしい観月会ができましたこと感謝いたしております。

思い起こせば、月暦を頂いたご縁で、この旅行が始まったと思うと嬉しいかぎりです。和船に依る観月会が実現できるとは思ってもみなかったので本当に夢のようです。〈月〉の会の皆さんだから実現できたのだと思います。旅館の私共が遊ばせて頂いたのです。

また皆さんが、子供のころ誰でも持っていた「月を観 星を眺め 太陽の下で遊ぶ」という純粋で真摯な心を持って楽しまれたのだと思います。

弘前 「野の庵」では、木村さんをはじめ地元の方々とも交流を持つことができましたことも貴重な体験となりました。人と人とは、やはり`こころ`で繋がっていくものなのですね。

次の望月にまた船をだそうかと密かな楽しみがまたひとつ増えました。どうぞまた十和田湖にいらして下さい。お待ち申しあげております。

ホームページにも観月会の様子をアップ致しましたのでご覧下さい

http://www.towada.co.jp/20070604.htm

青森県十和田市奥瀬十和田16
休屋 桂月亭

http://www.towada.co.jp


〈月〉の会・東京 八木倫明さんの印象記

八木倫明さん
弘前「野の庵」での交流会にて、演奏する
八木さん(撮影・穂盛文子さん)


6月1日〜2日、〈月の会〉の青森への旅は、わずか2日間とは思えないような、中身の濃い充実した旅でした。

〈十和田湖上月待ち〉

十和田湖に舟を浮かべてお月見しようとは、江戸時代の人々が楽しんだような贅沢な遊びであり、文化だと思います。昔は舟の上で句会などしたのでしょう。ためらい(いざよい)ながら出てくるという十六夜の満月の出を待ったのは、これこそが「月待ち」と言えるような、ドラマティックなものでした。

青森の地平線からの月の出が7時半ということで、7時ごろに舟を出していただきました。ポイントが十和田湖の東の山に近ければ月の出は遅くなります。湖の真ん中あたりまで舟を進めていただき、エンジンを止め、待つこと1時間。そのかん、山の端の雲がぼうっと明るく見えたりすれば、「もうすぐじゃないか……」とワクワクしたり、「あれは違う」とわかるとガックリしたり……。そして、いよいよ東の雲の端が逆光で輝き始めてから、今かいまか……と待つことさらに30分……舟を出してから、約1時間45分、ようやく山の端からチラっと顔を出したお月様に、皆歓声をあげました。  舟の上では、休屋桂月亭(やすみやけいげつてい)がご用意下さった、焼き筍や春の山菜、地元製無添加の山葡萄酒、銘酒『豊盃(ほうはい)』などのおもてなし。このおしさは何とも言えません。

西の空には宵の明星(金星)が輝き、東には、月より少し前に昇ってきた木星と、さそり座のα星のアンタレス。天上には北斗七星や、うしかい座のα星アルクトゥールス などが輝いています。「ああ、ボクは宇宙の中にいる……」と思いました。

ぼくらはみは地球の子どもで、さらに遡って星くずが集まって地球が生まれたことに思いが及べば、ぼくらも昔は星くずだったのだ…と考えることができます。そうそう、ボクは湖上でケーナを吹くという初めての体験をしましたが(写真参照。撮影:暦制作室)、反響するものが何もなくて無限の彼方に音が散ってしまうような感じ。演奏していても貧弱な感じでしたねえ。


〈十和田湖、奥入瀬、木々、花、水、風、音…〉

お月見に先立ち、八戸からマイクロバスで十和田湖に向かう途中、最初に降り立ったのは、蔦温泉。聞こえてきたのはカエルの声…と思いきや、エゾハルゼミの声でした。ヒグラシにリズムは似ているのですが、音程はやや低く、それでも森に響き渡るいい声です。ボクは本当にカエルかと思ってしまいました。

お昼から温泉に入るのもよいが、この日は温泉の裏山を散策。沼の多い湿地帯で、月沼と名付けられた沼もありました。散歩道ではエゾハルゼミの声が響き渡っているのに、沼辺に行くと、蝉の声がピッタリ止まってしまいます。蝉にとって水辺は何か危険でもあるのでしょうか……。ブナやカツラの林、足元の小さな花々、可憐なヤマツツジ。サルノコシカケが生えているブナも1本見つけました。新緑の森を吹き抜ける風は、なんともいえないすがすがしさ……。

奥入瀬の白い水しぶき、エメラルド色の神秘的な雰囲気の十和田湖…人はどうして水辺を求めるのだろう。のどが渇いてなくても水辺が好きなのは、太古の生命の記憶なのでしょうか……。


〈十和田湖畔の旅館、休屋桂月亭〉

夕食の時間に真っ暗な湖に舟を出して下さるだけでなく、湖上でおいしい自然食のおもてなし。そして夜9時過ぎに旅館にもどって夕食、というわがままな時間割を受け入れてくださるとは、何という贅沢さでしょう。  さらに休屋桂月亭(やすみやけいげつてい)のご主人と女将さんの小笠原ご夫妻が、マイクロバスの移動や途中下車の散策、そして湖上での月待ちなど…ほとんどすべてにご同行され、ガイドしてくださいました。なんと豪華な「添乗員」!女将さんの小笠原由美さんが〈月の会〉の会員だから、願ってもないことが実現できたのでしょう。

お二人の十和田湖の自然に対する思い、心を癒しにこの地を訪れる観光客への気配りやもてなしについて、一歩進んだ哲学を聴けたのは嬉しいことでした。例えば奥入瀬から一切の車を締め出すアイディア。これを実施すれば、地元の自分たちも不便になることがわかっていても、「本当はそのほうが良いのではないか……」と、自分たちの日常よりも、自然や観光客の立場になって冷静に考えるゆとり。今何が一番大切なのだろうか…と常に考え続ける誠実さ。(この案はまだ実施に至っていません)


〈八甲田山麓の新緑、残雪〉

旅の二日目は、休屋桂月亭の小笠原ご夫妻が、ガイドマップにも載っていないという、十和田湖の二つの半島の間にある絶景ポイントに案内して下さいました。快晴の青空に十和田湖はエメラルド色を深くして、新緑の山々に映えました。確かにそこは絶壁で手すりもなく、観光マップに載せてたくさんの人が押し寄せたら危険なところでした(笑い)。

弘前に向かう途中は、八甲田山麓の道路を通り、ブナの原生林の間を走りました。明るい黄緑色のブナの新緑が目にしみます。途中、標高1000mくらいのところにある、睡蓮沼で下車。そこから見る残雪と新緑の八甲田連峰の雄大さ。沼には水芭蕉。広葉樹はそれぞれの色の若葉や新芽を出したところで、青森県では最近それを「春もみじ」と名づけて、芽吹きの季節の山々を愛でるのでした。

見わたす限りの新緑の山々を見ていると、「日本は森の国だなあ……」という感動と喜びが、しみじみとこみ上げて来ます。思わずそれを口に出したら、小笠原由美さんが、「青い森の国なんですよ」と巧みなオチを付けて下さいました。


〈自然に生きる津軽の人々との出会い、『野の庵』にて〉

この旅のもう一つのハイライトは、津軽の地で自然と共に生きる人々との昼食交流会でした(写真参照)。場所は、弘前城公園のすぐ隣、幻の津軽そばと郷土料理の『野の庵』(ののあん)です。心配りの行き届いたおいしい料理は見事なものでした。この料亭の女将さんの佐藤貞子さんも月暦(つきごよみ)愛好家。実に素敵な方で、「お月さんは自分では輝きません。私もお客様によって輝くことができます」とごあいさつ。名言でした。

月暦の古くからの愛用者である津軽の山本由美子さんのコーディネイトで集まって下さった津軽の人々は実にユニーク。不可能といわれた無農薬・無肥料のリンゴ栽培を、8年間の収穫ゼロの苦労と飽くなき研究の末に成し遂げた、木村秋則さん。同じく自然農法リンゴの福田秀治さん。自然農の米とリンゴの加藤勝利さん。元国語教師で宮澤賢治研究家、生前のご主人は初代高橋竹山のプロデューサーだったという野沢陽子さん。自然な食事による育児を指導される保育士の尾内玲子さん。会社を経営しながら、人の心を癒すセラピストとしてもご活躍の三上秀子さんなど。この中で木村秋則さんは、NHKテレビ『プロフェッショナル』に、自然農法でリンゴを作った男として出演し、全国的に有名になった方です。

それぞれ個性的な生き方をされている方々が、短いながらも素晴らしいお話をして下さいました。みなさんに共通するのは、自然と向き合って暮らしていらっしゃること。というより、自然の一部としての自分と向き合う生き方かもしれません。自然や宇宙の一部としての自分を感じ、自分の内なる声に耳を傾けるのは、隣の岩手県出身の宮澤賢治の生き方でもあります。

旧暦の時間感覚や季節感をとりもどし、その暦のもとになっている月を愛でながら暮らしに潤いと精神の豊かさをもたらしていこうとする〈月の会〉の私たちも、自然や宇宙とのつながりをどこかに感じて暮らしています。津軽のユニークな方々のお話を直接に聞くことができたことは、掛け替えのない体験でした。この出会いを、細くても長く、実りあるつながりにしたいものです。

この秋は津軽から自然農リンゴを買って、思う存分皮ごと食べようと決めました。


〈感謝〉

そんなわけで、なかなかすべては書き切れませんが、十和田湖のみなさん、津軽のみなさん、月の会のみなさん、本当にありがとうございました。みなさんのお陰で素晴らしい旅になりました。これは生涯忘れない旅です。
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