志賀勝から一言 (2007年8月12日)
月触イベントで無形文化財の “舞い”が披露されることに
「月の出から日の出まで」。これは静岡県の山間部で伝承されてきた西浦(にしうれ)田楽のモットーで、月暦正月十八日の夜に営まれる行事です(重要無形文化財)。
拙著『月的生活』でも日本に残る重要な月暦の行事として紹介してあるのですが、6月に開かれた「リビングデザインセンター OZONE」主催「月と暮らしトーク」をきっかけに、ご縁が一挙に結ばれました。
前回、8月28日の待ちに待った「月出帯蝕」の観望を静岡県・水窪(みさくぼ)町で行なうことになったと報告しましたが、西浦はこの水窪の一隅にあります。先日、月蝕観望の場所選定のため現地に行ってきましたが、今回の催しのため精力的に動かれている製材業者の榊原さんにご一緒していただきました。拠点となる「マロニエの里」はじめとするポイントを見せていただき、その後キャンプ場から程遠からぬ西浦地区の観音堂に向かいました。一昨年の月暦正月十八日、この観音堂で伝統ある田楽を見て感銘を受けたなつかしい場所。田楽を継承している「別当」の高木さんにもお会いでき(ちょうど農作業の最中でした)、日本が失ってきた人間のある風格というもの感じさせる方で、やはりなつかしい方に出会った思いでした。そして月見のために観音堂をお借りするのを快諾していただきました。
大自然の神秘を身近に感じるその素晴らしい機会が、素晴らしい場所を得ていよいよ実現の運びとなったわけですが、実はさらに素晴らしいプログラムが加わることになったのです。
水窪から帰ると榊原さんからの電話。西浦田楽の方々が正月の行事の舞台である観音堂で、月蝕に合わせ舞を舞ってくださるというのです。
皆既月蝕をバックに伝統の舞が舞われるというのは、想像するだけでも超至福。まさに「自然の神秘と芸能の出会い」です。こういうことは人生に何度でも起きてほしいことですが、求めて得られないのが現実。その特権的瞬間が秒読みに入ったわけです。三年前の「月の高野山」以来、二見浦や熱海で開いてきた「月の文化」を楽しむ〈月〉の会活動の新たな一ページが開きます。一般の参加も可能ですので、読者の皆さんどうぞ会まで連絡してください(今月のスケジュール欄を参考にしてください)。
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2007年「原村星まつり」での田中千秋さん (向かって左)と志賀
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町では天体望遠鏡を用意してくれるそうです。いかに星空がきれいな水窪とはいえ、満月が出てしまっては星は見えません。しかし月蝕は星月夜になり得ます。月蝕の最中、七夕(8月19日)から一週間後の「夏の大三角」(月暦の観点からは秋の大三角ですが)を皆さんと見るのも楽しみ。月蝕観望前の夕方、わたしは「宇宙にある私たち」というタイトルで講演の予定ですが、小さな人間存在である私が宇宙を相手に感じる自身の驚異の思いが伝えたいことです(8月3日から長野県・原村で「月を遊ぼうin原村」をタイトルに「星まつり」が開かれましたが、その場で同席した写真家の田中千秋さん=上写真が「中学のとき見て以来の月の出からの月蝕」と今度の皆既月蝕について語っていました)。
新潟県の暦愛用者からのお便り
「猛暑日」が続く東京。人間の生きることができる環境がどんどん狭められている、そんな不安に落ち着かない何度目の夏でしょう。気象庁の「猛暑日」設定は、諦観を含むようで今ひとつ納得いかないことば。「あってはならない酷暑の日」とでもしたほうが余程教育的意義があるのでは……などと思ってしまいます。
7月16日(大潮の日)、新潟でまた大地震が発生してしまいました。柏崎や刈羽村を始めとする方々に、心よりお見舞い申し上げます。
何年も暦をお使いくださっている長岡の佐藤さんにお見舞いメールを差し上げたところ、原発の問題が深刻なことを教えられました。今回の地震では、原発が引き起こした人災の深刻さが毎日新たなニュースの形で伝えられる異常な事態が続きました。
原発にあっては一朝ことあれば大惨事ですから、想定外というのはあってはならないこと。しかし、想定外のことが起きることは普遍的な人間的事実ですから、原発はそもそも無理に立脚しているということになるのではないでしょうか。
地球温暖化が進めば進むほど原発が推進されていく世界的趨勢ですが、私たちの生存条件は温暖化と原発への不安にさいなまれる何とも危うい現状、どうぞ佐藤さんの通信をお読みください。
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