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月と季節の暦
志賀勝から一言
(2010年1月24日)

今回の更新では月暦利用者のお便りの続き、『季語の誕生』や『江戸演劇史』といった書籍について一言しました。

師走の近況

さて、今日は師走の十日。新年まであと三週間となりました。月暦を十四年も作っていると、面白いもので、西暦の新年というものに新年の実感がまったくなく、新春を告げる月暦の新年がごく自然に感じられるようになりました。西暦で年賀状を頂いた方々には申し訳ありませんが、私の年賀状はまだこれから……

「むさしの歴史散歩の会」主催の講演会
「むさしの歴史散歩の会」主催の講演会で話しました。テーマは、「月に生かされて―月と生命・身体―」。一日24.8時間、一ヶ月29.5日といった月のサイクルの重要性や近年発見されたクリプトクロム遺伝子(拙著『月 曼荼羅』参照)について話を聞いてもらいました。たまたま2月中旬が出産予定日という妊婦さんとメールのやり取りがあり、月のリズムの波に乗ってください、というような話をしたばかりでしたが、出産や死と直面する人びとが、また現代社会のひずみで心や身体を傷めている人びとが、月と出会うことで「自然」を取り戻していってほしいものです。

前回に引続き、月暦利用者のお便り

月暦利用者からのお便りを紹介します。このように注意深く月と対話することを多くの方々が試みたら、きっと面白いことが色々分かってくることでしょう。

私は満月生まれですが、ホームグラウンドの満月ゾーンのときは比較的安定していて、新月のときの方が不安定になるようです。
満月ゾーンのときは、ちょっとハイテンションになるかもしれません。逆に新月ゾーン生まれの友人♀を観ていると、満月ゾーンではナーバスになるようです。
上弦下弦のときにも、なんとなくざわついた感じがありますね。

一般の方の精神的な動向について感じているのは、やはり朔望の、1〜3日くらい前にざわつくことが多いように思います。
(寝つきが悪いとか、人恋しくなるとか)

実は私はベジタリアンで、その中でも、純正菜食、完全菜食、ヴィーガンといいまして、健康上の理由から14年前に肉魚をやめ、9年前からは、だしを始め、動物性のものは一切口にしない生活をしております。
そのためだと思うのですよ。人の本来持っている動物的本能、現代人が忘れてしまっている本能が目覚め出したのは。

『季語の誕生』を読む

2010年版「月と季節の暦」は小特集で『古今和歌集』と『新古今和歌集』に取材し、月と季節がどのように捉えられているかを考えてみましたが、この二書が今日に至る月への視線や季節感を決定付けたものであることはいうまでもありません。しかし実は、当初は『万葉集』の特集を考えていたのです。

10世紀、13世紀にまとめられた二書と比べると、8世紀の『万葉集』には本質的な違いが見られます。『万葉集』においては月は美の対象とか無常の対象である以上に、若さや不死性、水を生み生命を育む、生存とごく近いところにある神話的存在であり、8世紀以前の太古以来ともいえる月に対する思いが作品に留められているのです。『古今』や『新古今』では失われてしまったこのような断層を明らかにするために、そしてまた受け継がれていったものは何かという問題を提起するためにも、まずは『万葉集』の月と季節をまとめることが必要だったのですが、十分なスペースの中で展開しなければならないこのテーマは、スペースが全然足りないため断念しなければなりませんでした。

近刊の宮坂静生著『季語の誕生』(岩波新書)を読みましたが、以上の点に関っている本で、参考になりました。月に関しては「月の存在は人間の原初から生存の本質に関わり、いわばいのちそのもののあり方を規定していた。月以上に人間の生存を規定するものは存在しない」といった一文が記されています。太古から古代にかけ人間に対して月がもっていた始原性をよく言い当てていると同感しました。

この本は、季語の誕生を体系的に叙述するものではなく、季語が誕生する契機を考えようとするエッセイですが、およそ1000年ごろと想定される季語の誕生が、元来は言霊としてあった言葉から霊が抜けることによって成立していく事情を捉えていて、共感を与えます。季語の成立が重要な言葉の本質を失う代価として誕生したのだとすれば、「雪月花」や「花鳥風月」といった風景に寄り添うだけではすまなくなるでしょう。月についても、ダイナミックな活力の源としての側面の復権が問われることになります。

『江戸演劇史』にみる混乱

話は別ですが、月暦は一月から三月が春、四月から六月が夏、七月から九月が秋、十月から十二月が冬と一年十二ヶ月が整然と季節分けされていて、「夏四月」とか「秋七月」とか「冬十月」という表現がよく使われていたことは古い時代の本を読めばしばしば確認できます。最近もう一冊本を読みましたが、それは渡辺保著『江戸演劇史』(講談社)。歌舞伎の力技にたとえていい力作で、江戸期の能、浄瑠璃、歌舞伎の歴史について他書では替えがたい見通しを得ることが出来ました。

江戸時代の「時間」は月暦ですから、同書で使われる日付、月はすべて西暦ではありません。月暦を知っていると個々の日付や月の意味を合点することが多く、たとえば歌舞伎興行の初日が十五日に多かった事実を同書で知ると、十五夜の日がやはり目印になっていたのだな、とか、今日京都・南座の顔見世に「月遅れ」で引き継がれている、歌舞伎界における冬至を含む月である十一月の重視、といった昔の時間の流れが楽しめます。

ところが同書には、「夏七月」「冬二月」「夏八月二十六日」といった表現が見られるのです。これらは著者渡辺さんが解釈しての表現であって、伝統的な表現なら秋七月とか春二月とされるべきところ。まさか西暦では7月は夏だから「夏七月」としてしまったというような単純な誤解ではないでしょうが、暦や季節感が理解されているかどうか不審です。

「冬二月」と表現されている(1773年)二月一日は西暦に直すと2月21日で、これだと実感的に分かりにくいかもしれませんが、「夏八月二十六日」と表現されているのは西暦10月6日に相当し、これだと「夏八月」の誤りがはっきりするでしょう。

暦・季節感について他にも問題がありますが、見逃せないのは「忠臣蔵」の十二月十四日を1702年としているところ。この日は西暦に直すと1703年が正しく、1月30日が西暦換算の該当日でした。「十二月」というのに引きづられてか、1702年とする誤解が非常にしばしば見られ、どうにもいただけません。

これらの指摘で『江戸演劇史』の価値が損われるとは思いませんが、歌舞伎に関しては第一人者として知られる著者にして昔の暦や季節感について理解されているかどうか危ぶまれるとすれば深刻といえば深刻で、日本の伝統を断ち切って空気のように瀰漫している西暦下の現状が憂えられます。月暦を知らなかったころの自分を思えばえらそうなことはいえませんが、月や昔の暦についての現代人の無知無理解は本当に枚挙に暇ないほどの惨状を呈しているといっても言い過ぎではありません。月暦と西暦が根本的に異なるものであることを理解し、月暦の感覚を知るには、実際に月暦を座右に体験することが何よりも重要と思います。

ブログ2件紹介

自作ブログで月暦を紹介したとの報告をお二方から受けました。ありがとうございます。こちらからも該当箇所(リンク先)をご紹介します。

よこい農園 横井一幸さんのブログ
http://yokoichifarm.blog35.fc2.com
永井整体院 院長のブログ
http://nagaiseitai.blog.shinobi.jp

月と暦を考えさせる読書体験の続きで、一年ぶりに読んだル=グィンの新刊『ラウィーニア』も取り上げるつもりでしたが、時間切れとなりました。古代ローマに時間についてきちんと踏まえている彼女の新作については次回にでも触れましょう。どうぞお楽しみに(了)。


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