志賀勝から一言 (2010年3月21日)
春雷の朝
昨夜から朝方にかけては荒れた天気で、隅田川を目の前にしてこの更新の原稿を打っていましたが、隅田川は下流の南からの暴風で逆流、津波を思い起こさせるもの凄い波頭が上流へと向かっていきました。壮観といえば壮観な光景でしたが、何やら発泡スチロールのような「ゴミ」も大量に上流へと運ばれていきました。季節に先駆けて雷も鳴っていました(今日は春分ですが、その七十二候第三候に「雷乃発声──らいすなわちこえをはっす」とあります)。この暴風の中をカモメがいつも通り下流から「出勤」してきているのはえらいことでした。もっとも、上流に向かったり下流に戻ったりと、行方定めぬ様子でしたが。
さて、如月二月に入って今日は正午月齢 5.2の六日月。前回の更新で、新月後と満月後の雨量の極大ということを「月と農業」のために紹介しましたが、今回の(暴風はかないませんが)雨もこの法則の中にあります。新月から上弦、上弦から満月、満月から下弦、下弦から新月までを月のサイクルの四期とすると、第一と第三の期間に雨が多く、第二と第四は少ないということで、この方がつかみやすいかもしれません。月暦を利用しているとこのサイクルが一目瞭然で分かり、月暦のメリットといえるものです。
二十三夜の年占(としうら)
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| 月待ちの滝(2007年撮影) |
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| ここ数年、〈月〉の会の催しごとに時間を取られ、「月と農業」をはじめとする生命や生産活動における月の役割についてレポートしていく努力がおろそかになっていましたが、今年は催しごとは少しセーヴしてしっかり勉強しなければという気になっています。
先日、弘前大学で教えていらした卜蔵(ぼくら)さんという農業気象学者が訪ねてこられ懇談する機会がありました。卜蔵さんは冷害に繰り返し襲われる東北の一部でなぜ米だけが一辺倒に作られてきたかを糾している研究者で、土地の気候に合った農業を薦めています。その論議は『ヤマセと冷害』(2001年、成山堂)、『冷害はなぜ繰り返し起きるのか?』(2005年、農文協)にまとめられています。
両書を読んで私も勉強しましたが、『冷害はなぜ……』の中の「冷害の予知・予測の原点に学ぶ」の章に面白いことが紹介されていました。東北では、正月二十三夜の月の出の方角、月の光の具合によりその年が豊作かどうか占われていた、というのがそれです。年占(としうら)というのは様々なケースで行なわれていて、小正月の十五夜の占いはその典型でこれも月がもともとの契機となっているといっていいものですが、正月二十三夜の場合には月そのものをハッキリ示している点で重要なものです。正月に限らず、月々にある二十三夜には各地で多彩な習俗が展開していて実に印象深いものがあります(今年の〈月〉の会の企画では、茨城の北部にある「月待ちの滝」=上写真を訪ねるというのがあり、この滝も二十三夜信仰を今に伝える自然文化財です。詳しくはスケジュール欄をご覧ください)。
卜蔵さんが紹介した正月二十三夜の占いの話ではそれがはずれたことが記されているのですが、そもそもこういう占いが当たるというのはなかなか思えないことです。ただ、卜蔵さんが月の運動と気象(気候)の因果関係を積極的に捉えようとしているように、月と雨の相関に見るような関係を直視しさらに広範囲に究明していくことが問われています。そういう課題を考えるためにも、昔の人が地に足をつけてじっくり月を観察していたことは教訓的で、現代の私たちに注意深く月に対するよう教えていることが重要です。それに占いというものには何よりも遊びの要素があり、この要素は人間にとって絶対に無視できません。
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| 2010年月暦新年会では岡崎文代さん、 槇山純恵さんによる月の絵本朗読が 行われた。写真右は岡崎さん (前回の更新参照。熱海にて) |
| 宮澤賢治を読む
ともあれ、これまでの催しごとは季節を重視した五節供などを中心として営んできましたが、これからは月をもっと突っ込んで理解する行事も必要だなと思いはじめています。仲秋名月と十三夜だけが月ではないのですから。毎月満月ごろに設定している「月の学校」では、4月中に2回、宮澤賢治と月のテーマで勉強会を企画していますが(スケジュール欄を参照してください)、賢治の作品には月暦に基づく月が様々に表現されていて、1930年ごろまで月暦が生きていたことを示す実例としてとても参考になり、拙著に記してきました。
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| 〈月〉の会・東京の会員、 たかしたかこさんが描いた 賢治の『雪渡り』 |
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| その後長野県佐久市にある「宮澤賢治を読む会」の活動を知りましたが、この会の方々は皆さん月と深い関わりをもっていて大変刺激を受け、「賢治と月」を勉強する気運を作っていただきました。最近も会の方からお便りをいただきました。四日月について記されたもの。個々人にとって月は実に多様に輝いているものだと教えてくれる、ありがたいお便りでした。多くの方々の目に届けばと願い、以下紹介いたします。
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