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月と季節の暦
縄文の月(2015年4月25日)
(以下の一文は、最近縄文時代を理解するためには〈月〉の理解が不可欠、と改めて考えさせられる動きがあり、触発されて草したものです)

「スサノヲの到来」という美術展が先ごろ開かれていました(川村DIC記念美術館)。とても鋭い問題意識に基づく企画展でした。今なぜスサノヲなのか? それは東北の震災を引きがねに起きた原発の爆発はじめ、さまざまな政治的、社会的な危機的状況が生まれ、そうした状況に対峙しようという切実な問題意識から、振り出しに戻って私たちが立つべき立脚点を構築しようという試み、といえるものでした。そのための道標がスサノヲというわけでした。

スサノヲは神話上の形象だから、美術展は神話の解釈から始まっていました。神話上のスサノヲは「泣きいさちる神」、つまり死んだ母を慕って根の国に行きたいと大泣きし、それは地上のすべての水気を奪って死をもたらすほどのものだったと描写されています。しかし同時に、生の水によって再生をもたらす形象でもあり、このように死と再生を司る神、さらには和歌の創始者ともいわれるように、芸術における創造神でもあります。こうした圧倒的な神性をもつスサノヲを軸として美術展は構成されていましたが、スサノヲは月神的性格をもつ神格であり、縄文時代にさかのぼってその点に迫ろうとした主催者の姿勢はとても重要でした。

美術展で最初に展示されていたのが縄文の土偶、土器。とても印象的でした。その展示の意味は、ネリー・ナウマン(ドイツの日本考古、神話、民俗学者 1922−2000年)の縄文論に依拠していました。

ナウマンの仕事は『泣きいさちる神スサノオ』、『生の緒(いきのを)』(共に言叢社刊、前者は品切れで古書は高価になっています。図書館でどうぞ。後者は入手可能)に示されています。縄文土器や土偶を解釈するとき、今でも豊穣を祈るためとか祭祀のため、あるいは地母神崇拝といった表面的評価で満足し、それ以上の内容が突っ込んで究明されることはありません。これでは縄文人はどんなことを考えていたのか、その精神性は、といった人類史上の問題が解明されず、現代の私たちとの関係性が明らかにされません。不毛ともいえたその状況に鋭い一矢を放ったのがナウマンの縄文論で、縄文人の精神世界に肉薄すること、それが彼女の一貫した問題意識でした。

これらの本の中で、「死と再生」という人間の存在論的な観念が縄文人の造形の根本であることを明らかにしています。そして、満ち欠けし、死んではよみがえる月が(そして月と同等に認識された生物界ののカエルやヘビが)そのシンボルであり、さらにまた月がもたらす生命の水が生=再生のため必須の鍵であることを明らかにしたのです。このような仕事が「スサノヲの到来」の基調に据えられていたわけです。

「スサノヲの到来」展の冒頭の展示は「蛇を戴く土偶」(下写真2点=同一物 重要文化財、井戸尻考古館蔵)でした。左目から涙を流し、頭頂にヘビを載せたユニークな土偶ですが、この涙は月の水であり、ヘビは再生の象徴であることを『泣きいさちる神スサノオ』が図像学の方法で解明しました。そして、スサノヲの原型がこの縄文土偶にあるという注目すべき解釈を提示していたのです。


蛇を戴く土偶
蛇を戴く土偶(『生の緒』152ページから転載)


遮光器土偶

遮光器土偶
(同268ページから転載)
さらに、ナウマン縄文論の集大成となった『生の緒』では、私たちにとてもなじみ深いいわゆる「遮光土器」としてよく知られる土偶群(右写真)についても月、死と再生の観点からその造形の秘密を説明しています。広く知られてほしいナウマンの業績ですが、私たちが彼女の仕事から出発すれば、縄文時代と現代の対話が可能になるし、いったいどちらが精神的に人間らしい社会であるかといったことも身につまされることになるでしょう。

ナウマンの提起は非常に重要なものでしたが、『泣きいさちる神スサノオ』の日本語訳刊行から25年以上経った現在まで彼女の提起が日本の考古学者のあいだで一般的に論議されていないのはとても奇異なことで、もし真剣に取り上げられていたら、私たちの視野の地平がどれほど広がったことだろうと惜しまれてなりません。

しかしこの間、彼女の仕事に連動し、月的な縄文文化解釈のためにすぐれた軌跡を歩んでいる博物館があります。それが井戸尻考古館(長野県富士見野)。ぜひ訪ねていただきたい考古博物館です。〈月〉の会では、2011年に見学の小旅行を企画し、「月と季節の暦」2013年版では前館長の小林公明さんによるエッセイ「縄文の月」を掲載しています。

『月と蛇と縄文人』
さて、縄文時代の人類史的な精神性を考える上で重要な研究書が昨年初めに刊行されています。大島直行著『月と蛇と縄文人』(寿郎社、写真)がそれで、ナウマンの提起を踏まえ、ユングの元型論やエリアーデの象徴論を援用して縄文文化全体の解釈に挑んだ画期的な専著です。井戸尻考古館関係者の努力に次いで現れた大きな成果で、月の復権を願う方々は見過ごしてはならない著作です。

縄文文化を考える考古学ではこれまで物質的、技術的な側面が論じられ、縄文人のこころのあり様を探ってこなかったという反省が著者の大島さんにあり、しかもそのこころの探求たるや以下のように実に大胆です。

土器に記された縄文の文様とは蛇である(月と共に蛇は死と再生の象徴)。縄文と共に出土する貝殻文は水、月を象徴して死と再生を意味したもの。土器は月の水を集めるための容器。壷は子宮のシンボライズ。男根と理解されてきた石棒、石剣、石刀は再生のシンボルとしての蛇である。土器に描かれた円環模様や石皿の凹みは再生のシンボルである月と女性器を表したもの、等々。さらには竪穴住居や貝塚やストーンサークルの月的意味解釈など、これらが縄文時代の物質的な遺物から縄文人のこころ、精神のあり様に迫ろうとした大島さんの結論で、ナウマンらのこれまでの発見をさらに広げ、縄文文化全体の精神性にあまねく迫ろうとしたものだということができます。月や生命観の復権を願う私たちとしては欠かすことができない書籍になりました。

私たち〈月〉の会はこの秋再び岩手県・二戸の〈月〉の会を訪ね、縄文の文化に触れる旅を計画しています。〈月〉の会では最近縄文好きが増えていて、その時代について深い探求ができる旅になればと期待しているところです。(了)


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