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月と季節の暦

志賀勝から一言
(2016年9月24日 月暦八月二十四日)

2017年版「月と季節の暦」、「月暦手帳」があと一か月で出来上がります。販売は11月から、10月25日までは予約扱いとなりますので、どうぞ暦、手帳の告知の欄をご覧ください(こちらをクリック

連続企画「月の道 人の道」完結のご報告



(各画像をクリックすると拡大します)

今年(月)の会・東京で立案した「月の道 人の道 2016」の催しが終了しました。三回からなる催事企画で、一回目は群馬県みなかみ町月夜野での「利根の月映え ─月夜野百景卯月のうち─」、二回目は埼玉県日高市・高麗神社での「月渡る高麗の郷 ─皐月十五夜月待ち遊び─」、そして最後は長野県佐久市望月での「月は望月 ─神が発見した土地へ─」でした。望月のこの催しは仲秋満月に当たる十六夜の日(西暦9月16日)、まるで無月、雨月の悪天候がつづく幕間の晴れ間に恵まれ、月夜野での会と同じく月を拝することができ幸いな会でした。地元を中心に長野東部から百人を数える人びとが集まる盛会となりました。主催・共催は望月町づくり研究会、望月歴史民俗博物館、佐久市の千石の杜、そして私たち〈月〉の会・東京。

「神が発見した土地へ」というサブタイトルは、望月の大伴神社に遺されていた絵画がツクヨミ(月読)を描いた貴重なものであることが判明し、絵の内容はツクヨミが千曲川をさかのぼって望月の土地を発見した顛末だったことからつけたもの。


皎月原の説明板

(写真はクリックすると拡大  
  します。以下、当ページ同)

望月の隣町には皎月原(こうげつはら)という、中山道で道の目印になった有名な土地があり、ここには月の女神の逸話が伝えられてきました。月の男神といい月の女神といい、男女二神がそろった望月周辺は月の神話で彩られています。町作りをしていく上で月が欠かせない歴史的・文化的シンボルになって、活気ある地域の形成に役立てばうれしいことです。

東京の会はこれまで、月と親しみながら〈食〉の問題,〈医〉の問題、そして疲弊する〈地域〉の問題を見つめようと活動してきました。こういうことを考えなければ、都会人の未来は明るくはないからです。縁ある地域に役立つようにと私たちは活動してきたわけですが、今年は「月の道」の企画を通して東京から遠くない群馬県みなかみ町、長野県佐久市望月という、ともに月に縁深い土地で関係を深めることができ、会の歴史の中でも画期的な年となりました。月夜野では「みなかみ〈月〉の会」が結成され、佐久や望月でも展望が大きく開かれ、地域運動が勃興する現場に参加し、目にしたことの意義は大きく、私たちの会にとって大きな存在理由となるもので、「月の道 人の道 2016」が意義ある連続企画だったと総括できます。そして、今後のお付き合いの重要性がいっそう増すものだと自覚します。

高麗神社の鳥居
異色の催しが高麗神社でのものでしたが、これは史書の『続日本紀』に高麗郡設置が記されてから千三百年目の五月十六日を期して、今年はそれが西暦6月19日に当たることから企画したもの。月夜野や望月との連関は渡来人の存在にありました。新羅系や高句麗系の人びとが群馬や長野の形成に関わった足跡はたいへん大きく、群馬ではとくに新羅系が、長野では馬を運び育成した高句麗系の人びとの存在が注目されます。高麗神社宮司の高麗(こま)文康さんの話などで千三百年の歴史を凝縮してみたいと思ったものです。

そもそも日本列島に人びとが住みついた太古をかえりみれば、北から(シベリア・沿海州)、西から(朝鮮半島など)、南から(琉球)渡ってきた人びとが織りなしてきた歴史であり、その遠い先に日本人となって形成されてきました。先ごろ沖縄で二万三千年前の釣り針が発見されましたが(形状は三日月型でした)、こういう長いスパンで私たちの成り立ちを考えることはナショナリズムが強まりそうな現代状況において必要なことです。高麗神社の催し、望月の催しの写真報告を掲載します。キャプションは佐々木和宏さんによるものです。





神社境内にある「高麗(こま)家」で行われた「月渡る高麗の郷」の催し。志賀の講演の後、中村香奈子さんの「高麗楽」演奏、宮司のお話、懇親会と、お月様は顔を出さなかったのですが、現代の東京近郊にいるのを忘れさせてくれる貴重な時空間を共有しました





9月の催し「月は望月」。歴史民俗資料館にて元佐久市中央図書館館長・依田豊さんのお話を拝聴後、コスモス咲く町内を歩いて、城光院境内の「月輪石」を見学。石の実見を何よりの目標に参加してくださった方も多く、小さな町が大興奮の渦に包まれました





「月輪石」見学後は、大伴神社の宮司さんの案内により、明治時代に額絵として描かれた「月の神」と対面。駒の里ふれあいセンターでの志賀の講演、加藤真由実さんのエレクトーン演奏と、100名近い参加者が一体感を味わう中、いよいよ待望の月の出時刻を迎えます





三宝にお供えまでして期待していた特設会場での月待ちは、この日も「時間切れ」。スケジュールに追われ、懇親会場へと移動して宴席を始めていると、バスの運転手さんから「月が!」の報せ。望月の町で満月を拝むという参加者の最大の目標が、どうにかかなった瞬間でした





2日目は「懐古園」として知られる小諸城址を見学。風化で苔むした石垣が「孕み石」を思わせるとは志賀の弁。午後は、じつは白山大権現だったという皎月姫の神秘的な伝説で知られる「皎月原」を訪ねて記念写真(本文記事参照)。一連の「月の道 人の道」企画へのご参加、有難うございました

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