トップへ
月と季節の暦とは
<月>の会
志賀 勝
カレンダー 月暦手帳
イベントスケジュール
月と季節の暦
志賀勝から一言(五節供報告)
(2015年11月16日 月暦十月五日)

今年、人日(七種粥)からはじめて、上巳(桃の節供)、端午の節供、七夕、重陽(菊の節供)の五節供を暦通りに祝いました。最後の重陽が終わったので、中心になって運営、働いてくださった高橋久子さん(ゆずり葉の会、〈月〉の会)、穂盛文子さん(〈月〉の会〉の事後報告を掲載します。今後取り組もうとする方々の参考になると思います。

月暦(旧暦)で楽しんだ五節供

2015/11 高橋久子

今年の月暦は、「歳時へようこそ! 誰にでもできる年中行事」の特集のタイトルです。〈月〉の会・東京では、五節供を月暦で行いましょうということで、人日の節供(七草)から重陽の節供(菊の節供)までを行なうことが出来ました。

場所は伊豆高原の「月のアジール」です。東京から離れており、1泊することとしたが、休日でないことからか参加者は少なかった。

そのお陰もあってか、こじんまりとした家庭で行うような感じで、持ち合わせた道具や地元の旬の野菜や草花など季節のもので迎えることができました。家庭で迎える行事では家族がいつも通りの道具を出して、室内を整え、ハレの日のご馳走をちょっと気張って作ること位でしようか。行事に心を寄せることができれば、タイトル通り、誰にでも出来る年中行事でした。

明治の改暦以前の千数百年続いてきた月暦による行事を、一般庶民はどんな気持ちでやってきたのでしょうか。その一端でも感じられたなら、もっと行事が身近になるのではと思います。年中行事を「室礼」という形で伝えている私にとっては、その行事の背景を実感し、体感できた、またとない機会となりました。


端午のしつらい

端午のしつらい(写真はクリック
 すると拡大します。以下同)

東アジアや沖縄では、月暦で年中行事を行っていますが、日本の本土では明治以来、西暦です。しかし七夕を国立天文台で「伝統的七夕」として月暦で行うなど、少しづつではありますが行事を月暦で行なう例がふえたと思われます。

暮らしと結びついた年中行事は、出来れば月暦で行いたいものです。西暦で行う場合も、月暦で行った経験を基に出来たらと思います。これからの課題です。

*       *       *

★人日の節供(七草の節供)一月七日(2月25日)
 地元で若菜摘み

春の七種
箕(み)に盛られた春の七種

寒い冬と思いながら、月暦の七草の頃になると律儀に草木が萌え始めます。いつも季節の変化に思うこの律儀という思い。自然は有難いなと今更ながら思います。近くの原っぱで七草摘みを始める。草の生え始めた大地を踏みしめながらそのエネルギーを頂きます。七草囃子を歌いながら春の光りを一杯浴びた七草を、叩いておかゆの中に。このようなことが出来るのも月暦なればこそと思います。
(当日の様子を伝える過去記事は、こちらをクリック)

★上巳の節供(桃の節供)三月三日(4月21日)
 草雛・草餅作りと流し雛

身の穢れをヒトガタに託して祓う流しびなが元々の祭りということで、菜の花で素朴な草雛を作り、西伊豆の堂ヶ島へ。三月三日は大潮で、干潮時には水が引き、陸地と島がつながる「トンボロ現象」を見ました。江戸時代、流しびなの後にこの干潮を利用して、貝を取って楽しんだのが潮干狩りの始まりだとか。行事は季節の節目に祈りと共に、楽しむことも大切な日。きっと昔の人も大いに楽しんだことでしょう。蓬と母子草で草餅を作りました。母子草は美味しくないと聞いていましたが、香り豊かな蓬とも違い、軟らかい優しい味で、まさに母子の味でした。
(当日の様子を伝える過去記事は、こちらをクリック)

★端午の節供 五月五日(6月20日)
 軒菖蒲に薬玉作りそして竹のご神水を飲む


神の水

端午 神の水

蓬の薬効が最大になるという五月五日。軒に蓬と菖蒲を吊るし、蓬と菖蒲で薬玉を作り、腕に五色の紐を下げ、頭に菖蒲を挿して厄除けをする。梅雨の最中の悪月と呼ばれる五月を何とか乗り切りたいと思う先人の知恵がひしひしと伝わります。

★七夕 七月七日(8月20日)
 月のアジールの庭の竹笹を採って七夕飾り

七夕のしつらい
七夕のしつらい

竹笹に五色の短冊などの飾りをして、軒には七夕人形を吊るして風で厄を祓います。

梅雨も去り、中村照夫さんに夜空に浮かぶ夏の大三角形を教えてもらい天を仰ぐ。月は早々に姿を消して織姫と彦星は天の川を渡って逢瀬を楽しんだことでしょう。綺麗な星の姿を満喫した夜でした。

★重陽の節供(菊の節供)九月九日(10月21日)
 登高と露地ものの菊玉作り

小高い丘に登って厄を祓う登高の行事を味わいたくて、大室山に行きました。厄除けの赤い茱萸袋(しゅゆぶくろ)を腰に下げ、頭に黄菊を挿して山頂に。お弁当を広げ、菊酒を飲み、眺望を満喫する。地元の人から菊を沢山頂き菊玉を作る。被(き)せ綿をした菊の凛とした強さ、長寿を表す気品のある姿は仏花のイメージの強い菊の姿はありませんでした。


菊玉

重陽のしつらい ─菊玉─

自然と共生してきた日本人、行事も又季節に沿って生まれたものです。その本来の姿を実感した貴重な五節供でした。

最後になりましたが行事にとって大切な直会(なおらい)。喜びと祈りと感謝の気持ちをお供えに託して捧げ、下げて料理にして神様や祖霊と共に食べて力を頂く。「同じ釜の飯を食う」ではありませんが、共に食べる直会は、希薄になりつつある人々のつながりを生む素敵な場だなと思います。

今回も又数々の行事食を穂盛さんが見事に作って下さいました。ご馳走様。そして感謝です。

※漢数字は月暦(旧暦)、洋数字は西暦

誰にもできる年中行事 ─五節供─

穂盛文子

〈月〉の会では数年前にも高橋久子さんを中心に五節供の歳事を一年を通して体験しました。月の暦で節供を祝うことを知り、本当の季節の移り変わりをより敏感に感じられるようになりました。今年は特に「自然の植物から本物の力をいただく」をテーマに誰でもが家庭でできる五節供を伊豆高原の〈月のアジール〉で、地元の花菖蒲園さんと里山ガーデンさんのご協力を得ながら行いました。古い文献などからも学び、再現できそうなことを参加者皆で考え、創作することを試みました。

一月七日(2月25日)の人日には、湧き水のほとりで春の七草を摘みました。やっと顔を出したばかりの若菜を指先で摘んで土から抜く瞬間、一瞬大地と繋がったような不思議な感じが残りました。

大地から顔を出したばかりの若菜はどれも同じような顔をしていて、見極めるのがこんなに大変だとは……切れ込みの形、色、大きさ……これほどじっくり若菜を観察したのは生まれて初めての経験でした。おかげさまで「セリ、ナズナ、ゴギョウ〜」と口ずさむと若菜の姿が頭に浮かぶようになりました。

桃の花と白酒
路地咲きの桃の花
と豊島屋の白酒


三月三日(4月21日)の桃の節供には、菜の花で草雛(くさびな)を創作しました。現代でも堂々と自然に帰せる“流し雛”の再現です。

江戸時代から続く“豊島屋の白酒”をいただき、蓬だけではなく母子草(ゴギョウ)で作る草餅にも挑戦してみました。思いの外、優しい癖のない食べやすいお味でした。

五月五日(6月20日)の端午の節供には、「蓬御膳」を創作しました。一月七日の生でも食べられる柔らかい蓬、三月三日の香り立つ蓬、そしてこの五月の蓬は頭の先の新芽のところだけを摘んで、白和え、天ぷら、炊き込みご飯にして美味しくいただきました。香りと共に身体の中から浄化してもらった感じです。


軒菖蒲

端午の節供 軒菖蒲

花菖蒲園さんから香り菖蒲を分けてもらい、軒菖蒲や薬玉を作りました。葉を輪っかにして冠ると、スーッとした香りで頭もすっきりした感じがしました。

この時期だけ若竹の節に溜まる「神の水」もいただいて、皆若返ったようです!


よもぎ御膳
若返った志賀

端午の節供 よもぎ御膳
若返った?(志賀です)


索餅

七夕のお菓子 索餅

七月七日(8月20日)の七夕は桑の葉に願い事を書き、おすくい網などと一緒に笹に飾りました。七夕といえば素麺といわれますが、古くは小麦で作った「索餅(さくべい)」という揚げ菓子が必ず七夕に食べられたということを知り、再現してみました。塩味の素朴な揚げ菓子でそのままでも美味しいのですが、アレンジしてきな粉をかけると一層美味しく頂けました。

被せ綿
重陽 被せ綿

九月九日(10月25日)は五節供の最後、重陽、菊の節供です。富田屋さんからいただいた真綿(絹の綿)を菊に被せて前夜の夜露にあて、“被せ綿”を初めて経験しました。お昼は菊酒と、新米の炊きたてご飯に菊の花弁を混ぜたおにぎりを篭に詰め、黄色い小菊を簪に髪に挿し、腰には真っ赤な茱萸袋を下げて、大室山に登りました。360度壮大な景観の山頂で、強風に身体を洗ってもらい生まれ変わったようにスッキリして下山しました。里山ガーデンさんからいただいた野紺菊で菊玉を作り、菊づくしの創作料理を堪能しました。

こうして、本来の季節に祝う節供の楽しさを、次の世代に伝えていけたら最高ですね!


菊御膳
アサギマダラ

重陽の節供 菊御膳
大室山のアサギマダラ

「参加者が少なくても行くわよ、月暦当日にお節供を祝えるチャンスなんてめったにないのよ!」と一年間楽しくお付き合いくださった「室礼先生」高橋久子さんに心から感謝します。

時食創作担当 穂盛文子

≪ 第百三十五回へ 第百三十七回へ ≫
志賀 勝のトップへ
Copyright(C)2015 月と太陽の暦制作室 志賀 勝