志賀勝から一言 (2005年10月8日)
2006年版「月と季節の暦」が印刷に入りました
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制作が遅れていた来年の暦がいよいよ印刷段階です。西暦のカレンダーはとっくに市場で売られていますが、わたしの暦は何ともスローワーク。しかし考えてみれば、9月1日からカレンダーフェアがはじまるというのは異様な時代状況です。
江戸時代には暦の販売は月暦の十二月からと決まっていました。現在の西暦1月ごろに新しい暦が売りだされたわけです。そして新年一日は「暦開き」の日で、このことばは俳句の季語にもなっています。ほんとうはこれが正常な感覚だと思わないわけにはいきません。
暦は11月に販売をはじめますが、わたし自身も異様な時代の流れに流されているわけで、昔よりは一ヶ月以上も早く利用者の手許にお届けすることになります。
2006年版月暦の購入予約希望者は、こちらへ
月暦手帳も制作途上
日本ではじめての月暦手帳、と銘打って昨年手帳を試作しましたが、中身には反省点が多々ありました。それに加えて、制作、販売の実務の上で行き違いがあり(注)、俳句を作っている方々や女性の方々から必要性を訴えられつつも、今回は制作断念と決断していました。
ところが、ところが、救い主が現れて、二年目の2006年版月暦手帳が実現することになりました。前回よりは大分充実してページ数も二倍以上、本体の月暦のデータをもとに、利便性を追及した新しい装いの手帳が制作途上です。これまたスローな話で、いまごろ手帳を作っているなどというのは、日本広しといえど暦制作室以外にない愚挙でしょう。利益の見込みのない、採算度外視の事業です。皆様の応援を切にお願いする次第です。
(注)暦制作はほとんどわたし一人の事業というのが現状で、販売がはじまると食事もトイレもままならない超多忙の状況になります。ほかの仕事をする余地はなく、にもかかわらず昨年は手帳の仕事もわたしがやらなくてはならない羽目におちいり、身体までおかしくしてしまいました。
深大寺十三夜
「月の文化」を提唱しはじめてまだ一年と少しですが、このコンセプトに到る揺籃の地となったのが深大寺。そこで行なわれる月暦九月十三夜の催しは、風習が消滅したともいえる十三夜行事の復活を通して、月がわたしたちに与える楽しみや親しみを回復するきっかけとなったものでした。
第七回目となる「深大寺十三夜」が10月15日(土)午後6時から一時間開かれます。プログラムは、天台声明、わたしの話、能管と薩摩琵琶の演奏からなります。歴史ある深大寺山門を舞台に、闇と静寂に満たされた安らかな時間が流れます。観覧無料。どうぞお越しください。催しが終わると月見そばが有料で食べられますが、数が限られているので予約が必要。〈月〉の会・東京までご一報ください。
事務所を移転しました
暦制作室、〈月〉の会の事務所移転がなりました。リヴァーサイドで、めったに見られない景観が楽しめる場所です。11月に入って事務所開き(スケジュール覧参照)を予定していますが、暦をご利用の方々、〈月〉の会の方々、どうぞお越しください。ご一報くだされば詳細お知らせします。
事務所移転などのインフォメーションを含めた〈月〉の会・会員宛通知を、参考まで別掲します(この文中にある12日放映のNHK首都圏ネットワークの帯は「6時から」となっていましたが「5時から」と訂正しました)。
新住所: 〒111-0043
東京都台東区駒形2-1-4-301
TEL:03-5246-5588
FAX:03-5246-5589
小冊子「月愛(つきあい)」発行
〈月〉の会は全国的な団体というより、各地域独自に活動する地域団体ですが、冊子という形でゆるやかな結合があればいい、ということで一回目は大阪が、二回目は東京が編集して小冊子を発行しました。長崎の会が、三号目となる、題して「月愛」を編集、発行。ヤマサキ・ユズルさんと奥さんのかおりさんコンビで、長崎らしい素敵な仕上がりになっています。会員向けに配布するものですが、このサイトをご覧の方、ご興味おありでしたらどうぞご連絡ください。
仲秋の名月
めずらしくも、北海道を除く全国で観望できた名月でした。わたしは大阪の「生き生き地球館」での催しで名月を見ましたが、やはり赤い月を観望でき、はじめて赤い月を見る人には印象深い体験だったろうと思います。
暦をお使いの方はよくご存知のように、十五夜が満月でないことはよくあることですが、今年の名月は十五夜と満月が合致し、前後の待宵(十四夜)と十六夜は左右が欠けぎみの月という感覚を楽しむことができました。待宵と十六夜をわたしは名古屋で観望しましたが、三日間の月を曇りなく楽しむことができたというのも、実にめずらしいことです。
大阪での催しには何百人もの来場者があり、名古屋での興正寺主催の催しにも百人を越す方々が参加し、恐らくはじめて月暦について聞く方々がほとんどだったでしょう、私の話に熱心に耳を傾けてくれました。
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