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もう一つの伝説は、峰山町鱒留の比治山の麓、大路地区に伝承されてきたといわれるもので、次のようなものである。
比治の里にサンネモ(三右衛門)という猟師が住んでいた。ある夏の朝、比治山の頂上近くでいい香りがし、不思議な音楽が聞こえてきた、近づいていくと、池で八人の天女が水浴びしていた。木の枝に羽衣がかけてあった。その美しさにひかれ、一枚を抱えて家へと駆けていき、大黒柱に隠した。羽衣をなくした天女はサンネモを訪ねたが、サンネモは家の宝にするんだといってきかず、天女はあきらめてサンネモの嫁になり、三人の娘も生まれた。
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| 天女伝説の伝わる乙女神社 |
| 天女は美しいばかりでなく、蚕飼いや機織り、米作りや酒造りなど何でも上手かった。里人は驚くやら感心するやら、そして天女から色々教えてもらい、サンネモも毎日狩りに出かけ働いた。比治の里はみるみる豊かになった。
天が恋しくてならなかった天女は、娘から羽衣のありかを聞きだし、大黒柱から取りだし、娘たちにわけを話して天へと舞い上がっていった。
悲しむサンネモの手には天女からもらった夕顔の種があった。この種を撒いて天女をなつかしんでいると、なんと夕顔は天に向かい伸びに伸びていった。蔓をつたい、サンネモは天まで昇っていった。天に着くと、そこでは天女たちが楽しそうに舞い踊っていた。妻が駆け寄ってきて、来てくださったのだから七月七日までに天の川に橋を架けてください。架け終わるまでは私のことを思い出してはいけません。そうすればいっしょに暮らすことができます、といった。
喜んだサンネモは一生懸命橋作りし、約束の七月七日、あと少しで橋ができあがるというときに、天女と暮らせる、とうれしさのあまり天女を思い出してしまった。すると、天の川がみるみるあふれ出し大洪水となり、橋もろともサンネモは下界に押し流されてしまった。
その後比治の里の人びとは天女の娘の一人を祀るために乙女神社を建てた。美しい女の子がさずかるものと、多くの人びとがお参りした。
以上がもう一つの伝説の内容だが、面白いことはこの伝説が語り継がれてきた土地というのが、月の輪田があり、比沼真奈為神社がある土地からわずかに数キロしか離れていない目と鼻の先にあることだ。比治山というのは今では磯砂山(いさなごさん、661m)というとされているが、この磯砂山の中腹には女池(めいけ、写真参照)という名の小さな池が現にあり、天女が降り立ったのはこの池だとする案内板もある。比治山には山頂付近にも池があったらしく本当のところは分からないが、山の中に静かさをたたえている水の存在は、思わず水浴びする天女を幻視させるようで面白い。
『丹後風土記』に綴られた神話と違い、こちらの説話は全国に類例のある内容となっている。天から泉に舞い降りる天女、羽衣、豊穣をもたらす存在、という核の部分は変わらないが、天まで伸びる夕顔、七夕説話との習合、そして天に舞い戻る天女、難題が示され最後のところで失敗する、というような展開は一つの類型として知られている。いわゆる天人女房とか異類婚姻譚である。
対する『丹後風土記』のものは、古代ギリシアの地母神・豊穣神であるデーメーテールが放浪する神であったような悲劇性を帯びて、より古い層の神話であると思われる。比治山にある池、天女への愛着から、地元では別なタイプの説話を育んできたのだろうか。
天女をめぐる二つの話は、丹後がトヨウカと呼ばれた神格を生みだした土地であり、天女・羽衣が躍動する土地であることを示している。丹後取材の最後に大宮売神社も訪ねるつもりだった。この神社も、トヨウカに関する知見が得られるのでは、と期待していたのだが、時間切れで果たせなかった。再訪して、この連載の続きが綴れればと願っている。
この連載では、月の神は食糧の神である、という観点を提示してきたが、月の神は水の神でもある、という点については十分に論じなかった。
奈良県の西部・北葛城郡にある廣瀬大社はウカの名を持つワカウカノメノミコトを祀る古社である。この女神は水の神であり、食料の神であるとして祀られている。ところが、女神は月の神でもあろう、という重要な論点を二年前に出た保立道久著『かぐや姫と王権神話』が提起しているのである。月がなぜ隠され、陰に隠れてきたのか、思うところの多い近年の成果である。保立さんの論点を参照しながら、次回は稿を改めて「月の名所」である廣瀬大社について話を進めてみたい。
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