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二十六夜の月と金星(下)・木星が雲
の切れ間からときどき見えました。静岡
県西伊豆・戸田で(7月16日夜明け前)

志賀勝から一言
(第百回、2012年7月21日)

前回お知らせした月、金星、木星の出会いをご覧になったでしょうか。16日明け方前はとくに見事でした。『古事記』に細い月を形容する「利鎌(とかま)」という言葉がありますが、まさにとがった刃のように、しかも黄金色に月が輝いて金星・木星と同居しました。この様をご覧になった方は、きっとその美しさが目に焼きついて忘れることがないでしょう。私は東西が見渡せる場所で見ました。西にベガ、アルタイル、デネブの「夏の大三角」が地平に向かうのを見ながら、東に目を転じて見とれた一時でした。

ヒトの出産と「地球潮汐」

新月に産卵するホタルイカやウナギについて前回紹介しました。最近「月と暦のワークショップ」を各地ではじめていて、人間の出産と月についても考えさせられる機会があったので、これについても記しておきます。

岐阜県郡上市(ぐじょうし)での会には助産師さんがいらっしゃっていました。出産が集中する時刻があり、自分はそれが満潮の時間だと思っていたけれど、それを否定する助産師がいて、かねてから疑問に思っている、というお話をされていました。

満干の時刻をどう判断したらよいかがどうも分かっていないのが原因と思われました。新聞などに満干時刻が記されていて、どうやらその時間で判断していたようなのです。しかしこれは海岸部の海水の情報であって、地形、水深などさまざまな土地の条件により満潮、干潮は各地でてんでんばらばらの時間に発生します。東京では芝浦の時刻が公表されており、静岡では清水市や下田市などの情報が流され、それぞれ違った時刻になっているという具合になっています。いい事例だと思って最近よく紹介していることがあります。鳴戸の渦潮は同じ場所で大潮時の満潮、干潮が発生するため、その高度差によって起こる自然現象で、潮汐は月の力を原因とするとはいうものの、沿岸におけるその現われは個々だということがよく分かります。

この海洋の潮汐に対し、陸上でも月の力は日々働いており、これを地球潮汐といっていますが(地震に関係しているのがこれです)、出産に関係して知らなくてはならないのはこちらの満干時刻なのです。その時刻を知るのは、実はわりと簡単。太陽の力が強いときが南中(正中)時であるように、月もまた南中するときを基準に判断すればいいのです。つまり、月の南中時刻を満潮時刻とし、月の一日の周期は24.8時間(24時間と50分)ですから、その12.4時間後(12時間と25分後)にまた満潮時刻となるというサイクルです。干潮は満潮時刻から6.2時間後と18.6時間後となります。厳密に正確な数値ではないでしょうが、判断するにはこれで十分だと思います。「月と季節の暦」を使っておられる方々は、月の出入りと南中時刻表によって日々の満潮と干潮の時間を知ることができるでしょう。

海洋の満干時刻はあくまでも海に関わるもの、私たちの生活をこれで判断すると思わぬ間違いのもと。出産に関係する方はどうぞ周りの方々に伝えてください。

パンダの出産時刻も?

島根県松江市では、当初企画したワークショップが私の講演を中心とする会になりました。「人は月に生かされている」というタイトルで、人が身体的、物理的に月から影響を受けている実際を話しましたが、ちょうど上野動物園のパンダに子が生まれたときで、生まれた時間も報道されたので満潮時刻から20分ほど前に出産したことが分かり、その話を披露しました。その後赤ちゃんは死んでしまって残念でした。しかし、動物の出産に立ち会っている方に是非注目していってほしい課題です。


松江市「太陽ホール」にて

松江市での「人は月に生かされている」講演会(7月7日)。会場
には、以前「助産雑誌」に月について連載したことがありましたが、
この雑誌を持って駆けつけてくれた助産師さんもいました。

「引き潮どき」の論考について一言

人間の死についても月の影響の下、干潮に死ぬと言われてきて、志賀直哉、広津和郎、最近では吉村昭がそうだったと伝えられています。それが事実なのかどうか、まだ厳密には調べていませんが、昨年刊行された本で気になったものがあるので一言しておきます。河野多恵子さんの『逆事』という小説集がそれで、三島由紀夫の自殺を題材にした同名の作品があります。書き出しは「人は満ち潮どきに生まれ、引き潮どきに亡くなるという」。河野さんは、三島の死の時刻(1970年11月25日)が12時15分だということを知り、「新聞を展げて、……月の出入り・潮の満干の時刻の載っている小さなコーナーを探した」のだそうです。結果、三島の死は引き潮ならぬ満ち潮、しかも絶頂へ向かって進んでいる時刻に亡くなったことを発見します。

新聞に載った情報というのが味噌です。これが海に関するものであるのは上に述べてきたとおりで、実際は、誕生と同じように人の死は「地球潮汐」で見なければならないのです。この観点で三島の死を考えてみると(自然死ではなく自殺なので問題がありますが)、当日の月の南中8時20分、三島の死12時15分、つまり河野さんが考えたように満潮に向かうときなのではなく、事実は逆でまさに干潮に向かう絶頂のときに息絶えたとしなければならないのです。

以上の点、まだ考える余地がありそうですが、とりあえずの「一言」です(了)。


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