連載にあたって――
文化から科学まで、古今東西のありとある月に関する情報を集めた『月 マンダラ―月暦三百五十四日の月尽くし―』の原稿が完成しました。
月の話題を一項につき四百字一枚でまとめたもので、完成した項目の総数は四百近くに達しています。月は地球の衛星として地球を回っていますが、わたしたち人類の考えてきたこと、成し遂げてきたことは、かくも月の周りを廻っているのかということが、全体をご覧いただければ納得していただけるものと信じられる月尽くしの万華鏡。あえて、月を真ん中に描かれたマンダラというタイトルを付けたゆえんです。
本当は本の形で一挙に読んでいただくのがふさわしいのですが(いずれ単行本にするつもりです)、情報を早く伝えることができる折角のこのホームページですから、内容の一部を毎月の連載で公開していきたいと思います。月暦のリズムに従い、月暦の日付けに対応させて一項ずつになっていますので、更新の今日(月暦五月十二日=西暦6月7日)の項を掲載します。
第一話(月暦五月十二日) 姨捨山の月見
「わが心慰めかねつ更科や姨捨山(おばすてやま)に照る月を見て」は『古今集』に最初載った作者不祥の歌で、おなじく作者がわからない『大和(やまと)物語』(10世紀半ば?)が姨捨て伝説(棄老伝説)に結びつけたこともあり、後世の人のさまざまな想像力を刺激してきた。
月に孤独を癒そうとする歌、姨捨てに実際に関わる歌、などの解釈がありうるし、歌の作者がどういう人なのかについても旅の人、老婆を捨てた息子、あるいは捨てられた老婆自身とも解釈される広がりがある。
芭蕉の姨捨山に取材した句「俤(おもかげ)や姨(おば)ひとり泣く月の友」(「更科紀行」)は老婆の立場に立ってのもの。不思議なのは姨捨てというおそろしい内容の場所の月が月見の名所に転じていったことだ。月の、不可思議な吸引力。いまの芭蕉がそうだし、菅江真澄もそう。このふたりは東日本のもうひとつの名所「月の松島」へも旅をしている(西郷信綱『古代人と死』平凡社参照)。
姨捨山:
長野県北部にある山々の総称。正名は冠着山(かむりきやま)。
標高は1252mで、長野盆地南西に位置する。古くから「田毎(たごと)の月」として知られるほど月が美しくみられる場所として知られる。
姨をこの山に捨てた男性が、名月を見て後悔に耐えられず、翌日連れ帰ったという逸話より名がついた。大和物語・今昔物語集にもその名がある。(フリー百科事典『ウィキペディア』より抜粋)
(更新日:2006.6.7) |