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月と季節の暦
志賀勝から一言
(2015年9月23日 月暦八月十一日)

8月、9月は、「原村星まつり」、郡上での講演、七夕行事、群馬県月夜野の取材などが連続し、20周年を迎える暦制作が重なり、忙しい日々となりました。ホームページの更新が遅れましたが、今回郡上での話を紹介し、間をおかずに次回更新で新作の暦、手帳について告知していきたいと考えています。

盛り上がった 7年ぶりの郡上訪問

「郡上おどり」は徹夜の盆踊りとして、秋田の「西馬音内(にしもない)盆踊り」、富山の「おわら風の盆」とともに有名なものです。7年前の8月に、〈月〉の会の催しが美濃市・郡上市であり(以前のページを見るにはこちらをクリック)、ちょうど徹夜盆踊りが円い月が出るのに合致した日取りで、参加者一同夜中の踊りを楽しんだものでした。西暦8月13日から16日が徹夜盆踊りと決まった日ですが、今年の場合は13日が晦日、14日は朔(新月)という月のない日取りの盆踊りとなりました。14日新月の日に願蓮寺(浄土真宗)で「お盆と月と暦」と題する講演を行ないましたが、このお寺では、ご住職の石神さんを中心に毎月の新月の日に「新月茶会」が開かれ、その一環として講演に呼ばれたのでした。



画家・水野政雄さんが毎年作成する盆踊りポスターにはかならず円い月が入っています(郡上八幡観光協会のチラシより)。月明かりがあれば、ポスターにあるように提灯だけで盆踊りは可能なはず。現在は街頭の光などがうるさすぎて、考えものです。むかしの情緒に少しでも近づける工夫はできないものでしょうか?

講演前日、7年ぶりに徹夜盆踊りの輪に加わりました。名にし負う郡上おどりですから、全国から郡上入りするファンも多く、その熱気は一大イヴェントというにふさわしいもので、いつまでも続いてほしい年中行事です。

郡上おどりは有名すぎますが、郡上市にはこのおどりを主催する八幡町のほかに白鳥町で行なわれる「白鳥おどり」があり、この輪にも加わることができたのは貴重な体験でした。観光化したともいえる郡上おどりに比べ、町の盆踊りの色彩を濃く残しており、大勢の子どもたちが加わっているのがとても印象的でした。

八幡町と白鳥町の踊りの質が隣町なのにえらく違うことを知ったのも貴重な体験でした。講演した日には、白鳥町に伝えられてきた「拝殿踊り」を、中心になって復活させている日置正樹さんが先導し、みんなで輪になって体験する機会がありました。ゆっくりした曲に合わせ、ごく単調な身振りで繰り返される踊りですが、盆踊りが本来どんな意味をもっていたのかを深く考えさせる体験になりました。後ろ手に手を組んで踊るのですが、〈月〉の会・長良川の前田真哉さんから、それは死者をおんぶしている格好なのだと聞いたときには、死と生が共にある盆行事の本義を思い知らされました。そして月。盆踊りには絶対に月が欠かせません(月がたくさん詠まれている拝殿踊りの歌詞は以前のHPで紹介しました=こちらをクリック)。来年は徹夜盆踊りの初日が十一夜で、期間中いい月夜になります。

白山信仰とククリヒメ


月暦十六夜の残月 石川県白山御前峰
(撮影・桝野正博「2009年版月と季節の暦」より)


盆行事は死と生を考えるもっとも重要な機会ですが、この問題に直結しているのがいわゆる白山信仰。郡上市白鳥町にこの信仰の結節点となってきた長滝白山神社があります。講演のたびに神社の若宮宮司がわざわざ来てくださり、ありがたいことですが、今回は白山信仰についてかねて思っていること質問する機会がありました。白山信仰で祀る神はシラヤマヒメですが、この神格は『日本書紀』に出るククリヒメと同体と一般に考えられています。ククリヒメは名前しか定かでない女神で、どういう存在なのかさっぱり分かりません。日本書紀には、イザナキが黄泉の国から脱出するときにククリヒメがイザナキに何か言うことがあった。それを聞いてイザナキが誉めた、と書かれているだけなのです。ククリヒメがどういう存在なのかに接近するには、この神格が黄泉の国にいたこと、そしてククリという言葉の意味を探っていくほか手立てがありません。

クク、ククルという古語があります。潜く、潜くる、と漢字で表される語がククリヒメの正体を明かしているように思います。現代ではクグルになっているわけですが、潜の字に表されているようにもぐるということなのですが、しかし単に潜(もぐ)るだけではありません。水鳥や海人(あま)が潜水するとき、潜くと書いてカヅクと言われましたが、ククルの場合、もぐるだけでなく戻ってもくるという往復の運動を意味する言葉になっているのです。

この古語の内容を正確に解明するためには、シャマニズムとは何かを考えなくてはなりません。日本ではシャマニズムは誤って解釈されていて、憑依、憑霊現象(東北のイタコとか動物憑依など)の担い手がシャマンだともっぱら主張されています。しかしシャマンとは、魂=意識を「体外」に飛翔させることによってさまざまな能力を実現する存在なのです。天上界‐地下界といった垂直方向であれ大地を横断する水平方向であれ、魂の自在性をもった存在。憑依現象をシャマニズムから廃し、その意味でのみ宗教学者のエリアーデはシャマニズムを捉えました。シャマンはトランスに陥って魂を体外に離脱させ、その「エクスタシーの間にシャーマンの魂は天界に上昇し、地下界に下降し、もしくは空間遠く旅立つものと考えられている。」(『シャーマニズム』堀一郎訳、冬樹社版)

シャマンが担う役割は広範なものがありますが、人を死の場所へ無事送り届けること、あるいは死の淵にある人の再生のために働くことは欠かせない役割でした。ククリヒメが黄泉の国にいたこと、イザナキが生の世界から死の世界へ赴き、死の世界から生還する場面に立ち会ったという神話は、人類が実際の体験として死と再生のドラマを見てきた、その体験を抽出したある説話として書き留められたものにほかなりません。ククルという言葉は、世界を異にする生と死の間を往還するシャマニズムの根幹に触れるものだと考えられるのです。そうだとすると、シベリアに典型的に見られたシャマニズムと同一の形態が日本にも存在したのだということになります。

ククルと同源の言葉にクケルがあります。絎けると書いて早くから裁縫用語になったようですが、二つの布などを縫い目が分からないように縫う作業をいいます。二つを縫い合わせるというのと見えないようにというのがミソで、あたかも目には見えない魂が生と死の二世界を繋ぐのに似て、ククルの意味がよりイメージしやすく感じられる言葉になっています。松江市に「加賀の潜戸(かかのくけど、と読む)」があります。潜戸というのは見慣れない言葉ですが、たぶんクケル戸で、ククルと同じく潜の字が使われ、意味も同じだろうと考えられます。日本海の内海と外洋の狭間にある大きな岩窟で、『出雲風土記』にこの岩窟での「佐太大神(さだのおおかみ)」誕生のドラマが記されています。母親・カムムスビの子・キサカヒヒメがこの岩窟で大神を出産する話ですが、暗い岩窟が金の弓矢を射るとカカと輝いた、とされている神話です。闇と明、死の世界と生の世界に関わる神話であることは間違いないと思われます(この潜戸を見たいと二度チャレンジしていますが、いづれも海が荒れ果たせないでいます。内海から外洋に入ったところにあり、船が危険な日も多いようです。松江に住んだ小泉八雲=ラフカディオ・ハーンもこの場所に興味を持ち、奥さんと一緒に赴いた話が『天の川幻想』──集英社、入手は古書で── に載っていて、そこで泳いだというから八雲の静かな興奮がうかがえます。なお、カカというのは光のことですが、これを太陽光と誤解する人がいますが、月の光のことです。こういう話で問題になるのはいつでも月の存在です)

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以上のような話を若宮宮司に聞いてもらいましたが、ククリヒメの意味について私のように考える論はどうやらないようでした。私は、白山信仰は山形の月山などと同じく「死と再生」の信仰に基づき繋いできたものと考えています。死と再生といえば、シャマンこそ仮死の状態からよみがえるイニシエーションを不可欠としていて、「死と再生」を実体験した存在にほかなりません(臨死体験がいい参考になります)。「死と再生」の信仰体系はそのような経験から育まれてきたものでした。ククリヒメとは日本列島でシャマニズムが息づいていたことを証明する集合的な神格ではないのか、そう私は考えているのです。

(長くなるのでここで中断しますが、「死と再生」については白山信仰との関係で早川孝太郎『花祭』の貴重な研究があります。私もまた『魔女の素顔』『病気は怖くない』でシャマニズム論を展開したことがあります。来年は白山開山から1300周年の記念の年ですが、白山信仰が再び活性化することを願って止みません。)


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