西暦以前、古代ローマの暦
正月行事のためにいつもお屠蘇を調合してくれる方が、今年の分を送ってくれたついでに「週刊金曜日」に載った田中優子さんのコラムのコピーを同封してくれました(1月15日号の「風速計」)。田中さんは江戸時代の研究者として有名な方ですが、短文は西暦の新年を日本の新年とする現代のおかしさを指摘したもの。地球上の人々は、様々に異なった日取りの新年をもっていて本当に多様なものですが、そういう節目は土地の気候や収穫物によって異なるからだ、と田中さんはとても重要なことを指摘しています。そして――
「そもそも今の1月1日を「新春」と呼ぶのは不自然で、今年の元日は旧暦でまだ十一月十七日だ。春は遠い。」
と書いています。江戸の研究者は日本古来の季節感を壊し日本には合わない西暦の非合理性について熟知していることと思われますが、このような論陣をどんどん張っていっていただきたいものです。
ところが、田中さんは「こんなことになったのは欧米の気候に合わせたからである」と文を続けていて、これはどうにもまずいのです。ヨーロッパでも1月1日は当然真冬であって、実は春分時季がもともとの新年でありました。たまたまユリウス・カエサルによる月の暦から太陽暦への転換の過程で1月1日が新年とされたに過ぎないのです。したがって、ヨーロッパの人々の間でもこの新年を疑う人がいるのも当然で、西暦もまたヨーロッパの気候に合わせて作られたものではないのです。
いわゆる西暦は、紀元前46年にカエサルによって制定された太陽暦で、それまでの古代ローマでは私たちの月暦と同じ仕組みの太陰太陽暦が使われていました。その主なポイントは、春分ごろが新年であったこと、月が二日月や三日月として実際に現われたときが月のはじめ(月立ち)であったことです。
『ラウィーニア』の面白さ
さて、前回お約束したル=グィンの新作『ラウィーニア』(谷垣暁美訳、河出書房新社)についてですが、この本はトロイア戦争(紀元前13世紀)後からローマ建国(紀元前8世紀)までのどこかに時代を設定した物語。この本を読むときには、西暦の前史をなす古代イタリアの暦について理解していると面白さが増すように思われます。
たとえば「ついたち」という言葉がいくつか出てきますが、訳者はこれに「カレンダエ」とルビを振ってくれているので、ル=グウィンの原義が分かります。英語カレンダーのもとになったのがこのカレンダエですが、新しい月の誕生を見張る人が確認して触れ回ることを意味していたといいます。ですから、ル=グウィンの「ついたち」で西暦1日をイメージしては間違い。
新年は春分ごろといいましたが、ついたちがひと月最初の日ですから、春分に一番近いついたちが年頭ということになります。私たちにとっての立春に一番近い新月が正月一日という決まりが、古代ローマでは春分に一番近い新月(ただし実際に確認される月)になっていたわけです。イースター(復活祭)は「春分後の最初の満月後の最初の日曜日」という複雑な日取りになっていますが、春分を基準に新月と満月を特別にみなす時間の意識は、私たちの大正月と小正月(つまり正月一日と十五日)のあり方のようで面白いものです。
春分に近い新月が正月で、この第一の月=正月はマルチィウスという名前でした。英語 March はこれから来ていますが、マーチが3月だからといって古代ローマのこの正月を3月と訳したらまずいことになります。あくまでも一月=正月であって、現在の西暦とは仕組みの異なるのですから、私たちの時間の感覚を豊かにするためにも西暦に引きづられないようにしたいものです。あえて西暦に換算する必要があるなら、現在の3月から4月に当たるというような注が必要になります(古代ギリシアでも使われていたのは太陰太陽暦で、古典を読むとこの月は現在の何月から何月に当たる、といった注を見たことがきっとおありでしょう)。
ローマにもあった、自然にもとづく暦の感覚
『ラウィーニア』の暦には英語 January のもとになったヤヌアリウスも入っていて、いわゆる「ヌマ暦」にル=グウィンが依拠していることが分かりますが、このヤヌアリウスは十一月だったというのも、私たちの月暦の感覚と同じです。ヌマ暦より古い暦の存在も知られていますが、その暦は春分ごろの正月から十月までしかなく、真冬に当たるこのヤヌアリウス=十一月や十二月が存在しなかったらしいことも興味深いことです(そして太陰太陽暦を廃絶したカエサルは太陽暦に転換する際このヤヌアリウスの言葉を生かして正月としたわけです)。
古代ローマで春分ごろが一年の区切りと考えられていたことは極めて重要で、その区切りの感覚は季節感に基づいているものですから、現行のような1月1日を正月とするというような人為的でおかしな区切りが長く続いているとしても、そうそう簡単に変わるものではないと思います。ヨーロッパで最大の行事とされるイースターに一年の区切りとしての感覚が生きているのかもしれません。
『ラウィーニア』では以上の暦問題と共に関心を引かれた問題がありました。ついでに一言。
それは、ローマ建国の叙事詩『アエネーイス』を書いたウェルギリウス(紀元前70年〜19年)が異界から現われては女性主人公の導きの星になっていること。『ラウィーニア』を読むためにはこの『アエネーイス』(京都大学出版会のものや岩波文庫)を参照したいものです(トロイ戦争が反映している『イーリアス』もですが)。さらに、『アエネーイス』を知るためには『オデュッセイア』にさかのぼらなくてはなりません。この『オデュッセイア』は文学の始原としてよく知られるわけですが、死者の国への冥界下降というシャーマニズム的体験を契機とした物語を含んでおり(日本でのイザナギの話やギリシアのオルフェウスの話も同様です)、この冥界下降の体験なくしては物語=文学の誕生はなかっただろうと考えられます。『アエネーイス』の物語にも冥界下降譚はもちろん欠かせません。近代文学の誕生を告げたとされるダンテ『神曲』がウェルギリウスに導かれたやはり冥界下降譚であることも忘れることが出来ません。
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