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| 安藤広重の「瀬戸秋月」 | | 月暦(旧暦)三月は西暦4月3日から5月2日まで。この三月には「瀬戸秋月」を掲載しました。いわゆる「金沢八景」の一つ。以下ウィキペディア関連項目の記述から八景の由来をまとめます。
八景物では「近江八景」が歴史的にも古く、知名度も高いかもしれません。しかしどちらも中国湖南省の洞庭湖や瀟水(しょうすい)と湘江(しょうこう)二水の水の風景を描いた「瀟湘(しょうしょう)八景図」(北宋−960〜1127年−時代)の発想を借りて日本で模倣されたもの。
瀟湘八景には、永州市蘋島(ひんとう)の瀟湘亭の夜雨(瀟湘夜雨)、衡陽市回雁峰の雁(平沙落雁)、衡山県清涼寺の晩鐘(烟寺晩鐘)、湘潭市昭山の霞に煙る風景(山市晴嵐)、長沙市橘子橋の暮れの雪(江天暮雪)、桃源県武陵渓の夕焼けの漁村(漁村夕照)、洞庭湖を照らす秋の月(洞庭秋月)、湘陰県城の湘江に舟が遠くから戻ってくる風景(遠浦帰帆)の八つがある。
この瀟湘八景に倣った近江八景は、石山秋月、勢多(瀬田)夕照、粟津晴嵐、矢橋帰帆、三井晩鐘、唐崎夜雨、堅田落雁、比良暮雪。17世紀初期に成立したとされる。
瀬戸秋月を含む金沢八景だが、鎌倉時代から金沢の美しさは認識されていたという。八景の最終的な成立は17世紀末のことらしい。「小泉(こずみ)夜雨」(手子神社(小泉弁才天))、「称名晩鐘」(称名寺)、「乙艫(おっとも)帰帆」(旧海岸線)、「洲崎(すさき)晴嵐」(洲崎神社)、「瀬戸秋月」、「平潟落雁」(平潟湾)、「野島夕照」(野島)、「内川暮雪」(内川の解釈は複数あるらしい)の八つが含まれている。
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| 2010年撮影の瀬戸神社(上、下)。 鳥居の遠景には十日の月。境内の カヤの樹に荘厳さがただよう |
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| | 「瀬戸秋月」は京浜急行線金沢八景駅から程近い瀬戸神社周辺から海を見渡す地点から月を見る風景である。江戸時代から明治にかけては月の出から入りまで観賞できる絶好のポイントだったと思われる。訪ねてみると、少しはその片鱗をうかがうことができる。
安藤広重は「近江八景」、「金沢八景」の両方の絵を描いている(ウィキペディアで見ることができる)。広重は大分デフォルメするので、そのままの風景ではないだろうが、往時の趣は十分にうかがえる。広重の絵を見、今日の風景と比較して立ち止まって考えることはとても大事なことに思える。私たちはどういう風景を失い、その代わりにどういう風景を獲得してきたのか? 明らかに軍配は広重の絵にあるだろう。郷愁のように、何故私たちは広重の絵に魅せられるのか?
暦にはエメェ・アンベール著『絵で見る幕末日本』を引き、金沢の美しい風景に感動した外国人の言葉を紹介した。その感動はもう絵の中にしかない。美しかった入り江をもつ湾岸はすべて埋め立てられた、という経緯を知ると、大地震でも来たらその埋め立て地は危ないだろう、と不安ばかりが先走るのが現代である。
風、雨、雪、夕日、月、そして雁や寺。景物とともに、自然の営みが心に波紋を誘う、それが情緒というものだろう。私たちはそのような風景を壊し、自然を敵に回しながら砂上の楼閣作りにせっせと励んできた。月が月であるために、風景が風景であるために、私たちは立ち止まって熟考したいもの。次世代、次々世代のためにも。
(辛卯 月暦三月二十六日=2011年4月28日記) |