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| 広重「堅田落雁」 |
| お菓子の落雁は面白い命名である。まぶしたゴマが雁に似ているからとか、中国の名に似た音に当てて落雁の字が当てがわれたという。さらに、「堅田(かたた)落雁」から来た名という説もある。いずれにしろ落雁とは面白い漢字を当てたものである。
落雁は秋にやってくるガン=カリのことで、二十四節気・寒露(かんろ)の七十二候第一候に「鴻雁来(こうがんきたる)」とあり、このころ日本に飛来する。俳句では雁は秋の季語。
堅田は琵琶湖の南端に位置している。現在は大津市に属していて地名だけを残しているが、中世から近世にかけては、自治権を有し、琵琶湖の水運を支配するなど勢威を振るっていた土地だった。現在の堅田は、往時の繁栄をよそに記念の風物だけ点在させてひっそりと静まりかえっている。しかし、東側には琵琶湖が広がっており、対岸には近江の山々が大地よりわずかに高く、といった風に遠望できるヴュースポット、実見したわけではないが、月が山から出てきて湖面を輝かせる光景はさぞ素晴らしいことだろうと思われる。
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| (上)琵琶湖に突き出た浮御堂(下)浮御堂から 東岸を遠望する。三上山がうっすら見えている |
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| 堅田落雁は近江八景の一つ(17世紀ごろ成立したのではとされる)。だが、琵琶湖の西岸で、満月寺浮御堂のある土地柄からいえば月の名所に数えた方がいい。「月と季節の暦」六月のページは、芭蕉の「鎖あけて月さし入よ浮み堂」の句などで構成し、堅田周辺で芭蕉の一門が三日間月見を試み作句に生かした「三夜の月見」を紹介した。この三夜の月見は中国に先例があり、前回このコーナーで杜甫のケースを紹介したのでご覧いただきたい。
琵琶湖の東側の対岸には円錐形の三上山(近江富士)や鏡山が低く見えていて、昇る月が湖面に映え月自体の光と湖面に走る光が織り成す光のアンサンブルが堪能できることだろう。前回ではまた『宗長日記』を紹介したが、宗長にも琵琶湖上の舟から鏡山に上がる月を見、賞した次のような一文があった。「今夜(四月の)十五夜の月、おぼろけならぬ光りかゞみの山よりたちのぼり、まことにかゞみをかけたる」ようだ、と。鏡は月に呼応するから、この山からの月は特に愛でられていたのかもしれない。
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| (左)芭蕉の「鎖(じょう)あけて……」の句碑(右)浮御堂には 源信(「往生要集」の作者)が刻んだ千体仏が収められている |
ところで、『萬葉集』に、「さ夜中と夜はふけぬらし雁が音の聞こゆる空を月渡る見ゆ」をはじめ、月と雁をともに読みこんだ歌が数首ある。遠く時代を隔てて浮世絵にも月と雁を描いたものがよくあるが(たとえば広重)、この組み合わせは文化的伝統の約束事のようなものであった。その意味では、堅田の月夜に雁が列をなして(雁行)行く風景などが八景としてはふさわしかったのかもしれない。
浮御堂あたりで月を待とうとしても、現在の環境はなかなか難しい。寺は閉められているし、近くにゆっくり月待ちできる場所もなく、取材では苦労した。月の風流を求め、月の文化を探るには厄介な時代だなあとさびしい思いもしたものであった。
(辛卯 月暦六月二十七日=2011年7月27日記) |