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月と季節の暦
志賀勝から一言
(月暦大晦日 2012年1月22日)

明日1月23日、月暦新年が幕開きます。大晦日が今日ですが、震災と人災に翻弄された年に別れを告げる新しい年がやってくるのを心から望んでいました。希望を託す年を目前にしてホームページを更新します。

太陽活動の停滞が伝えられる近年ですが、それでも冬から春への芽生えが感じられます。日の出は大分東側に移り、角度は高くなり、滞空時間も長くなり、今冬の厳しい寒さも峠が見えてきたようです。新年を告げる明日には、見えない新月を想いながら太陽のご来光にその復活を祈らなければなりません。

農家からのうれしい支持

2012年版「月と季節の暦」「月暦手帳」の販売も一応の区切りです。一応というのは、日付や曜日、祝祭日が分かればいいといった類のカレンダーと違い、月のリズム、季節の節目を明示した私の暦・手帳は面白い売れ方をするからで、残り半年を切る西暦9月までも注文がよくありますし、バックナンバーの注文もあります。

今回の暦は、和歌山の農家147軒が集団で使い始めたことなど、農家の支持が特に印象的です。「二十四節気と農業」という企画が暦には入っていますが、二十四節気や雑節(八十八夜などのこと)については地域社会で農業に生かしてきた伝承・伝統があるでしょうし、自然ともっとも近い場にいる農家の方々による月のリズムを含めた「月と季節」に基づく作物作りが広がっていくことが大いに楽しみです。私たち都会に住むものも、流通など通して食品を買うのではなく、農家との直接の交流を通して支持を広げていく努力を怠らないようにしていきたいものです。

月暦と「南部絵暦」の交流

南部絵暦

「朝日小学生新聞」という面白い媒体で暦が紹介されたことは前回報告しました。紹介記事には暦研究の専門家である岡田芳朗さんのコメントが入っていたご縁で、岡田さんに早速暦を寄贈しました。岡田さんからは、ご自身が監修者になっている「南部絵暦」が送られてきてうれしいおどろきでした。

この「南部絵暦」は2012年版の私の暦にも紹介を載せていますが、岡田さんの研究も引用させていただいているといういきさつもあります。南部絵暦は江戸時代に秋田県と岩手県の県境地帯に生まれたユニークな暦ですが、かつては「めくら暦」の名で知られていました。文字を知らない農民向けに作られていた判じ物の暦でした。この暦が現在も継承されて制作されているわけで、文化的意義、においのあるとても貴重なものです。ホームページはこちらです。 http://www11.ocn.ne.jp/~mekura/ まだ実物を見ていない方、とても面白い暦ですので是非この機会に是非入手してください。

私が送った「月と季節の暦」について、岡田さんから「早速拝読させていただき、内容の充実したことに感服致しました」のお褒めの一文を頂戴しました。震災・人災に悩みつつ制作した今回の暦だけに、うれしい励ましのお言葉でした。

二日月観望のチャンス

赤米で作られた亀2体、ほか

明日23日は〈月〉の会の新年会を予定していますが、「八朔」の行事をご一緒した白山ヒメ神社(*)の村山宮司が御神酒を贈ってくださり、新年の門出を会員一同祝うことができます。〈月〉の会・佐世保からは、佐世保の会では対馬厳原町豆酘(つつ)の「赤米神事」を応援していますが、赤米を使用して制作された正月飾りの注連縄、縁起物のカメ飾りなど、これぞ日本の正月といえる心満たされる飾り物が送られてきました。感謝に堪えません(*:ヒ=比、メ=口偏に羊)。

正月明けの夜、「初夢カード」を枕に敷いて初夢を楽しむのも新年ならではですが、翌24日は最初の月が拝めるかもしれない二日月の日。これも新年ならではの楽しみです。

実は、前回の師走二日月(西暦12月26日)、多くの方々から初めて二日月を見たとの感動を伝える便りをいただきました。私は残念ながら見逃しましたが、地球照もきれいに見えたようです。このときの二日月をご覧になった山口県周防大島で学習塾を運営なさっている木村重樹さんからのお便りをご覧ください(周防大島は宮本常一の出身地でもあります)。

二千十一年師走(2011.12.26.17:42)
安下庄教室から
 年の初めに、その年の幸福を願い初日の出を見ようと長年嵩山登山を続けてきましたが、近年は塾生の参加者もなく、お誘いもしていません。元旦午前四時起床、二時間近くの登山は2007年が最後となってしまいました。また今年は天気予報通りに、私のところから初日は望む事は出来ませんでした。その代わりに……なるかどうか、二日の月を見ると幸せになるということを信じて毎日教室に貼ってある月暦を確認しながら過ごしているのですが、三度目の二日の月に出会えました。

 二日月が見えにくいのは、「今日が太陰暦二日だ」ということをつい忘れてしまって、その時間を逃してしまうのが一番の原因ですが、太陽が沈んですぐの時間なので明るい上に、たいてい山際に低く雲があり、二日月を隠してしまうからです。以前二日月の話をした時に、「西に山が高くあり、空が小さい」と盆地に住む人に言われました。どんな地形のところにいるかも左右します。なにより夕方のその時間に空を眺めることのできる自由な時間がないことには眺められません。自由な時間と、広い西の空が見える安下庄にいたこの日は低い雲も一つもなくしばらく眺めることができました。

 (中略)いろんな事があった2011年です。お正月を迎えたからと言って、起きたことが歴史の記述のように去ってしまう訳ではありませんし、暮らしの全てを奪われてしまった人たちには消し去ることは出来ません。起きてしまった大震災、起こしてしまった原発禍を私たちはこれからどう乗り越えていくのか、今を生きる私たちに課せられた課題です。これまで豊かだと思ってきた暮らし方、目指す社会の在り方、社会をつくている人々の関係。考え、転換するための行動が必要になっています。これまでのように人任せ無関心ではいられません。

 人任せでないということは、自分の生活・暮らし、生き方の中に根差したものということです。今、ここで、何が出来るか。自分の立っているところから出来ることを始めたいと思います。気持ちの区切りは「お正月」だけでなくいつでも可能です。「今、ここで」を改めて意識した二日月でした。
木村学習塾通信『むすび』2012.1.5(323号)掲載

希望の新年を

月は、人の行方を示す羅針盤のように、いつも、そこに存在しています。月の重要性に気がついて仕事にもしてきてよかったと思えるのは、こうした地に着いた生き方をなさっている方々との出会いがあるからですが、2004年の催し「月の高野山」をご一緒した方のお便りも是非紹介したいものです。

この催しで、月は標(しるべ)、導きであり、人生観を変えるような豊かさと出会い月のリズムに心身を合わせるようになった、とその方は綴っています。長年暮らした祖山・高野山を離れることになったのですが、その準備を三日月から始め望(満月)には新天地への転居がなるよう図った、とも記されていました。再生の月が、そして新年が、これらの方々に、そして私たちに幸いをもたらしてくれるよう心から願わずにはいられません。

最後ですが、浄土宗本山知恩院が発行する「知恩」誌の連載「月と季節を楽しもう」はさらに一年継続することになりました。一般には目に触れにくい雑誌でしょうが、月や季節に絡めて現代批評、文明批判に力を込めて綴っているつもりですので、どうぞご注目くだされば幸いです(連絡先:知恩院統括企画室、TEL075-531-2203)。(了)


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