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志賀勝から一言
(2012年5月31日)

南アルプス金環蝕イベントは大成功


金環蝕ツアーのポスター

金環蝕イベントの
ポスター(各写真は
クリックすると拡大
します。以下同)

5月21日の金環蝕は多くの地域で体験できたようで幸いでした。

私たち〈月〉の会も山梨県南アルプス市で体験、日蝕の開始から金環蝕をはさみ蝕が終わるまでの一部始終の観望に成功、実に思い出多い機会に恵まれました。間をおかないうちにレポートしておこうと思います。

〈月〉の会・南アルプスとの前夜祭

「金環のアルプスへ!」。このタイトルを掲げ、〈月〉の会・南アルプスと〈月〉の会・東京の共同の行事として前夜祭、金環蝕当日二日間取り組みました(南アルプス市と同市教育委員会が後援)。

前夜祭にて講演する志賀
第二回「花曇」ふるさと俳句大会での
講演シーン。参会者二百数十名
の会で、言葉の専門家たちを前に
緊張してお話する一時でした


前夜祭・日蝕観望は南アルプス市を一望する「天空舎」という小高い場所で行われました。これはNPO「南アルプス山麓いやしの里づくりの会」が運営する建物で、南アルプス市では農業や林業に力を入れようという計画がありますが、そのために働いている方々のグループです。この方々が夕食を賄い、餅がつかれ、採れたての山菜を中込・南アルプス市市長みずからてんぷらにしてくださるなどの大歓待。地元の方々が笛やギターを演奏して交流会を盛り立ててくれました。参加者は東京の会の20数名含め、名古屋や長野からも参加があり、地元の方々ともども総勢80人は下らない数でした。五右衛門風呂まで作ってあり、市の明かりを見下ろしながらの汗流しに、とくに女性が風呂に興じるという椿事もありました。望遠鏡を据えて土星の輪っかを見ようと計画していましたが、一晩中曇り空で残念ながらこれは成らず(前夜祭の光景は後掲の保坂敏子さんの一文に見事です。是非ご覧ください)。

見えた! 世紀の金環蝕

観望会の雑感
欠け始め
金環蝕の瞬間
金環蝕当日。夜曇っていたので、天気はやはり心配でした。3年前の皆既日蝕のときは、屋久島へ行って地元の方々と「日と月の。出会う屋久島」というタイトルで催しを行ないましたが、このときは雲にたたられ、あたりが暗くなり、森閑する異様な光景を体験できたものの、日蝕そのものは一瞬垣間見ただけに終わっていました。今度もだめかなという不安がつきまとっていましたが、今回のチャンスは見事かないました。

6時20分ごろ、蝕の開始。普段は見ることができない新月の黒い影が太陽を蝕んでいきます。ゆっくりとした速さで黒い月はかぶさっていき、それとともにあたりは朝方か夕方の暗さになっていき、肌寒く感じられるようになりました。7時半過ぎ、金環状態。太陽にすっぽりはまる黒い月の見事さ。蝕が解ける9時ごろまで、都合二時間半強の長い時間を大勢の方々と共にし、楽しみました(望遠鏡など会員・中村照夫さんが協力してくださいました)。

山廬にて話される飯田さんほか
「山廬」で飯田秀實さんのお話を聴く。
家屋の背後に大ケヤキの一部が見える


金環蝕観望が終わってからは、温泉でゆっくりしたりしましたが、特筆したいのは日本の俳句界に重きを成した飯田蛇笏・龍太邸(通称「山廬(さんろ)」。住宅のため通常は邸内非公開)を訪問したことです。月のシンボルである槻(つき)=ケヤキの巨木が目印のお宅とかねて聞いていて、江戸後期に建てられたこの著名な民家を訪ねるのが楽しみでした。「山廬」の薫陶に接し、歴史に触れたことが有益だったことはもちろんでしたが、もうひとつ意外な発見があり感銘を受けました。陶淵明に有名な『桃花源記』があり、桃源郷の言葉の元になった作品ですが、母屋横の「細い」道を抜けていくと、竹林、小川、小高い山へと続いており、まさに陶淵明の物語世界のような風景が広がっていたのです。山には桃の木の畑があり、すでに花は散った後でしたが、桃の花があったらそれこそ陶淵明のユートピアさながらの光景だったことでしょう。桃、サクランボの豊かな産地である南アルプス市は桃源郷をうたい文句にする土地でしたが、笛吹市にある「山廬」もまた桃源郷なのでした。飯田蛇笏・龍太直系の飯田秀實さんがわざわざ案内してくださり、その懇切なご応対は金環蝕とあいまって忘れえぬ体験となりました。記して感謝します。

実は、〈月〉の会の行事を前に、「『花曇』ふるさと俳句大会」という、地元の俳人・福田甲子雄さんを記念する第二回大会があり、私は「月の暦と月の文化−俳句の生まれる背景−」とのタイトルで講演の機会を与えられていました。金環蝕は月暦では卯月四月一日の出来事でしたが、大会はその前日、つまり閏三月の晦日のことでした。春から夏へとバトンが交代する節目の日だったので、そのような内容の話をしました。

福田甲子雄さんという土着の俳人の軌跡を知ったのも幸運でした。季語や季節感の守護に地域、土着の匂いを発散させながら取り組んだ俳人であり、「月の文化」は地域固有の文化として捉えている私ですが、福田さんの足跡は私が理想とする地域文化の開花そのものであり、地域文化の可能性を考える上で習うべき先人を知りえたことは幸運でした。

「金環のアルプスへ!」の行事に尽力してくださったのは、南アルプスや山梨の文化的伝統の衣鉢を継いでいる俳人・斎藤史子さん、保坂敏子さんのお二人。お二人は俳句大会の実行委員としても忙しくされ、その世界へ私を導いてくださいました。感謝尽きません。では、保坂さんのレポート、どうぞご覧ください(了)。

金環日蝕前夜の宴 保坂敏子
(俳人、〈月〉の会・南アルプス)
天空舎にはすでに市長といやしの里のスタッフがスタンバイしている。外では薪の匂いがしてどうやらもち米を蒸かしているらしい。保坂さんご希望のドラム缶風呂が出来てますよホントに入るんでしょうねと市長が笑っている。費用対効果?を出してきたか、ウーンこう言われれば100回でも200回でも入ってやるう〜、と。隣の3面板囲いのがそうらしい。やはり天空舎スタッフの家具マイスターの作。本格的じゃあないか。ドラム缶が三分の二ほど土の中に埋まっている。座り心地のよさそうな焚口と煙出しまでついている。灯のつきはじめた夕暮れの甲府盆地を俯瞰しながら、一番風呂は穂盛さん。揚げたての天麩羅と独活の味噌汁、搗きたての餡と黄粉とエゴマの餅、素麺、讃岐うどん、焼きソバ、もちろんビールにワイン。みんな飲んでる?食べてる? 〈月〉の会・東京のメンバーの顔が輝いているように見えた。

 うすうすと裏富士暮るる薄暑かな  直治

 笛の音に初夏甲州の灯の揺るる   直治

名古屋の釣名人金森直治氏のあいさつ句。釣には月暦が合う〜のだとか。〈月〉の会・東京の谷崎さん、松原さん、白石さんの俳句はちゃんと冊子にします。お楽しみに。2番風呂、3番風呂 〜 終い風呂は私。金環日蝕の前夜の宴もこうして更けていきます。

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