トップへ
月と季節の暦とは
<月>の会
志賀 勝
カレンダー 月暦手帳
イベントスケジュール
月と季節の暦
志賀勝から一言
(2013年8月11日 月暦七月五日)

「戸(へ)の月の会」結成を祝して

7月20日から22日まで、〈月〉の会メンバーは八戸市と二戸市に旅してきました。岩手から青森にかけた広大な地域に、一戸から九戸という戸(へ)の名を持つ市町村があります。この広域において、「戸(へ)の月の会」を展望した最初の産声が八戸市で上がり、東京のメンバーがお祝いに駆けつけたのです。

東奥日報2013年7月24日付
東奥日報(7/24付)の記事に。長時間にわたり
同行してくださった珍田記者の取材成果です

このホームページ上で早く報告を、と思っていた矢先、旅行中から身体を壊していた私は、帰京後 40度を越す発熱に見舞われ、二週間完全にダウンしてしまいました。その間、講演を二つキャンセルするなど関係者に多大な迷惑をおかけしたり、2014年版暦制作に大幅な遅れを来たしてしまいました。

今もって元気が十分に回復していない状態なもので、今回の更新では、八戸の月の会を立ち上げた石橋英子さん、東京の会の高橋久子さんにレポートをお願いし、写真特集の形で「戸の月の会」誕生の一歩を記した意義を構成してみました。(写真特集は、ページ後半に掲載)

「列島巡礼第4回・八戸二戸編」参加者のレポート

石橋英子さんのレポート
民宿・石橋での「戸の月の会」結成式
民宿・石橋での「戸の月の会」
結成式。中央女性が石橋さん
(写真はクリックすると
 拡大します。以下同)


その節は大変ありがとうございました。おかげさまでほんとに楽しい良い思い出の一日になりました。 ……(中略)…… 種差海岸で戸の月の会結成の会を開催でき大変うれしく思っております。正直この月の会のお誘いをいただいたときはどんなことをするのかピンときませんでしたが、あの日芝生に腰掛け月の出を待っていたゆったりした時間は、何かと気忙しく過ごしている私にとって、とてもいい体験でした。

当日首都圏から参加してくださった皆さんからは、種差海岸は素晴らしいところ、また来たい、などと言っていただき大変うれしくなりました。月を愛でる楽しみを教えていただきありがとうございました。あの日以来時々は空を見上げ月の様子を気にとめるようになりました。新聞を見たという方数名から問い合わせもあり、反響も見られています。少しずつ仲間の輪を広げていけたらいいなと思っています。
月渡る 「戸」に遊ぶ
高橋久子

縄文うずまき舎のこと

巡礼の旅と銘打った「十和田・弘前」や直前で行く事が出来なかった「長良川」「屋久島」に、今回やっと二戸・八戸の二泊三日の旅に同行できた。どうしても再訪してみたいという思いが、実現させたのでしょうか。


「うずまき舎」での集合写真

「うずまき舎」での集合写真。
黒Tシャツ姿が栗林さん(クリック)

東日本大震災後、もっと、人とひとが繋がり、お互いに助け合う暮らしができないものかと考えていた時に、〈月〉の会・深谷の栗林さんが、二戸の古民家を「互恵社会」を目指して「縄文うずまき舎」を立ち上げたということを知り、是非開所式を祝いに立会い、その姿の始まりを見てみたいと思った。旧暦三月三日の雛祭に、柴田さんと共に行く事が出来、思っていた以上に地元の人々と和気あいあい祝う姿があった。

縄文うずまき舎を一人で立ち上げ、100人分以上の料理を地元のお母さんたちに作って頂き、かつては家庭でのいろいろな行事の場であったであろう広い座敷で、神楽の舞や、遠く八戸や地元からかけつけ、ハーモニカの演奏や太極拳で祝う姿は、昔の暮らしもこうであったかもしれないと思えた瞬間でした。

地元に溶け込み、そこまでに至る道のりは語りつくせない数々の物語があったでしょうが、栗林さんの人柄で、現実に目に出来たのでした。

地元の人々から折爪岳のヒメボタルの話を聞き、その季節の再訪を願い、地元の方々に再びお逢いできる事を願っていたのです。

種差海岸での月の会「戸の会」に立ちあえたこと

種差海岸にて
種差海岸にて。十三夜の
月を背景に集合写真


八戸の三陸復興国立公園の種差海岸は海と草原と山が連なり、野草が咲き乱れ、草原で馬がのんびり人を乗せてる姿は穏やかそのものだった。しかしここにもあの震災の津波が押し寄せたと聞き驚きと共に、東北の人々の元に戻そうという強い力を感じた。

夜には志賀さんが体調を崩しつつも、「戸の会」誕生を祝う優しいまなざしを感じる話を聞き、地元の方々、取材に来られた新聞社の人と共に「戸の会」発足の記念すべき十三夜の月を海岸で眺めた。東北の厳しい自然とみやこからの厳しい対応を受けた歴史、昔も今も深い暮らしの文化の中からどのような活動がなされるのか、楽しみと共に、祈り続けたい。

穏やかな縄文遺跡から待望のヒメボタルへ

次の日は思いもかけず立派な施設と広大な環境ごと遺跡とした御所野縄文遺跡へ。縄文の祈りの山は穏やかで丸みを帯び、広々とした敷地に「縄文人の好んだ環境はこの様なところ」と聞き、人々の戦いごとがなかったといわれる縄文1万年に納得。やっぱり日本人の原点はこうでありたいと思いながら。

二戸の瀬戸内寂聴さんが住職をしておられた、天台寺の桂の大木を荒削りにした仏様は、まさに桂の精のようで、再び出会えた事がうれしい。


折爪岳展望台からの眺め

折爪岳展望台からの眺め

待望の夜の折爪岳のヒメボタルに会いに。夏でも寒い山頂の展望台から、刻々と変わる夕焼けの色と遠くに見える超機械的な建物の対比が幻想的。源氏や平家ホタルの復元に携わったことはあるが、山の上のヒメボタルを見るのは初めて。山から湧き出た水で生きる小さなホタルが山道を円を描きながら横切っていく姿を不思議に思いながら、残された自然を大切にと思いつつ堪能した。

稲庭岳から懐かしいうずまき舎へ

稲庭岳は放牧された馬がのんびり草を食んでいた。「戸」は、難しい事はわからないけれど柵を表し、馬を飼っていた牧場とか。東北はみやこへの馬の供給地であり、みやこと戦った不屈の地でもある。そんな歴史を感じ心が傾く自分をみる。

うずまき舎の大きな大きな桂の木や楓が、春に訪れた姿から深い緑の姿で、迎え入れてくれた。300年を経た木のパワーは素晴らしい。

うずまき舎で手打ちそばを賞味
うずまき舎で手打ちそばを賞味

前回も頂いた手打ちそばは、変わらずとてもおいしく、地域のお世話役の方との久しぶりの再会を果たし、さらに農家の方達とのおしゃべりに、そして栗林さんが大事にしている、地域の人々が昔ながらに丁寧に作っている、消えそうになりつつある箕、箒、和ろうそく、竹細工、山葡萄つる籠等々の工芸品や味噌、漆の蜂蜜、雑穀水あめ等々の食べ物を見て、買って、その品々の由来を聞いて、みんな何だか楽しそう。私も箒を手にしての帰還です。

年中行事を「室礼」という形で伝えている私にとって、この「戸の会」や各地に誕生している月の会、縄文うずまき舎の活動は、人間や自然に対する「心根の本筋」を失わない指針となる事だとあらためて思う。そしてこの企画を推し進めて頂いたこと、地元の人々のあついもてなし、同行してくれた優しい人々に感謝で一杯です。また再訪出来る事を地元の方と確認できた素敵な旅でした。感謝です。

写真その6写真その7写真その8
八戸駅からJRリゾートウミネコ号に乗って種差海岸駅へ。
本日のメイン会場かつ一泊を過ごす民宿・石橋に到着!

写真その9写真その10写真その11

写真その12日本一の散歩道とも、ブルターニュ
海岸以上の自然美とも形容される
種差(たねさし)海岸。ウミネコ舞う
天然芝生地から、ニッコウキスゲなど
高山植物の咲き乱れる松林の中を歩きます

写真その13写真その14写真その15

民宿・石橋で志賀勝の記念講演の後、先ほどの天然芝生地へ。
潮風を受け、異例の明るいさなかの十三夜月待ち。わかりますか?

写真その16写真その17写真その18
「戸(へ)の月の会」結成式。印刷のようにも見える地図はなんと
石橋英子さん(本文参照)のお姉さんのパッチワーク作品でした!

写真その19写真その20写真その21
神秘的な民宿からの朝景色(手前敷地は画家・吉田初三郎の旧居跡)。
2日目はまず、大量の縄文土器を惜し気もなく公開する御所野遺跡へ

写真その22写真その23写真その24

呼び物のアジサイが真っ盛り。名誉住職・瀬戸内寂聴が再興した
ファンにはおなじみの天台寺。たくさんのお地蔵様には杉供養の意味が

写真その25写真その26写真その27

清冽で美味のわき水も、この地ならでは。夕刻は十四夜の月に
見守られて折爪岳頂上、そしてヒメホタルの生息地へ。
息をのむ美しさをデジカメ写真でお伝えできないのが残念!

写真その28写真その29写真その30

宿泊地を兼ねた「天台の湯」を出発し、3日目は稲庭岳を経由。
牧歌的そのものの空気を満喫しながら牛たちとの触れ合いを

写真その31写真その32写真その33

最後に「うずまき舎」にて自治会長さん(志賀=立ち姿の隣)
はじめ地元の方々と交流。再開を胸に誓いつつ、
短い夏の南部路を後にしました

後半「写真特集」は文・佐々木和宏(当ページ全写真とも)

≪ 第百十回へ 第百十二回へ ≫
志賀 勝のトップへ
Copyright(C)2013 月と太陽の暦制作室 志賀 勝