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月と季節の暦
志賀勝から一言
(2015年6月8日 月暦四月二十二日)

大阪・奈良へ、講演と調査の旅

大阪市「スペースふうら」
田中峰彦さんのシタール演奏
志賀の講演会場となった大阪市の「スペースふうら」と、そこでのコンサート(写真は田中峰彦さんのシタール演奏)の様子。ケセラン・ぱさらんのお二人は、創作楽器を演奏

大阪で講演した足で、知り合いの方々七人で、奈良県桜井市にある大神(おおみわ)神社の磐座(いわくら)に登りました(講演は「今、月は昇っていますか?──ライフスタイルを変える暦と月」のタイトルで、東成区にある「スペースふうら」で行ないました。5月30日)。古代出雲の勢力がはぐくんできた大神神社の信仰は、神体とされている山の頂上にある磐座が対象で、神殿を持たない神社として古体を伝えています。その磐座を確かめることが目的でした。

夕方下山して、先導してくれた人とともに散策。大和三山を間近に見る丘に案内されました。夕陽を見るポイントのようで、案内者はそれが目的だったっかも知れません。私はすぐ気がつきました。当日は十四夜、陽が沈むころ、反対の東側からは月が上がってくる!

5分、10分、三輪山の上には群雲がかかっていましたが、目ざとい人がついに月を発見。入日と昇る月の両方を期せずして楽しむことになりました(心地良いこの場所で 2時間も過ごしたでしょうか)。夕陽を見るためか、何人かの人が訪れてきました。太陽信仰が日本にあるとは私はあまり信じていませんが、景色としての夕陽(や朝陽)は喧伝されたブームとして確かに人の心を捉えているでしょう、しかし人びとは、同時に月がどんなに心に響くものであるかを知らされていない。そこで私は、一人の夕陽観望者に、「後ろを振り返ってご覧なさい」と教えてあげました。振り返って三輪山の上にかかる月を見たその人のおどろいた素振り。しばし月に見入っていました……

たまたま『唐詩選』を見ていたら、「時は十二月の、ちょうど十五日。太陽と月とが望みあう、満月の日である。」という崔曙(さいしょ)の詩句に出合いました(前野直彬訳、原文は杪冬正三五 日月遥相望)。月暦のひと月のあいだに何日かは目にすることができるこの日月(じつげつ)の相対は、古来地球人が拠って立つ自然環境を教え諭す白眉の光景だったに違いありません。そして、消費することを許さず、ただただ人を黙させる詩情がその光景のなかにあったに違いないのです。

中国古代の五言古詩がこの壮大な布置を詠い残したわけですが、周知のように私たちの古典のなかにも人麻呂の「東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」があります(この歌のように、月と太陽が東西逆に見られることもあるわけです。こちらは朝方の風景)。目に鮮やかに映ずるような歌なので、叙景歌として理解する人がもっぱらなのですが、それではこの歌の真価が理解できません。月信仰をバックに考えなくては本当の意義が分からないのですが、説明するには長くなってしまうので、とりあえずは白川静『初期万葉論』を見てください。

蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」も人口に膾炙していることと思いますが、これなども単なる叙景というより、「月に泣いた」蕪村のことですから一歩突っ込んで考えた方がいいのかもしれません。

以前私たち〈月〉の会は、西行の歌などで知られた歌枕の「小夜の中山」(静岡県)に立ち、月待ちをしたことがありました。薄雲のなかに輪郭も定かでない形が現われ、照度が低くなっていくにつれ存在感を増していく月影を追い、背中に目をやると茜色に地平を染めた夕陽! という光景に言葉を失う体験をしたことが思い出されます。忘れられない時間でした。人生のなかでこのような日月の光景を体験していないとすれば大変惜しいこと。皆さんはいかがでしょうか?

*       *       *

大阪での講演後、〈月〉の会に入会してくださった方がけっこういて、ありがたいことでした。催しは夜に入った時間帯のときでしたが、曇り空に邪魔されて催事のあいだ中、十三夜の月をともに味わうことはできませんでした。翌日から満月にかけては大きな月が連日現われ、その存在感を多くの人が実感したことと思います。同じ満月前後、各地で震度 5を上回る地震が頻発したのも印象的です。

次回大阪に行くチャンスのときは、月待ちの体験を皆さんとともにしようと提起するつもりでいます。


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