志賀勝から一言 (2016年5月25日 月暦四月十九日)
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| 高崎市の多胡碑記念館にて (写真はクリックすると拡大 します。以下、当ページ同) |
| 群馬県の月夜野は、月が宿っているような土地。住んでいる人はいつも月が気になるだろうし、外部の人間はなぜこういう地名なのかとやはり気になっているものです。月が地霊になっている土地、それが月夜野なのです。
卯月の十五夜、明け方には満月を迎えようという西暦5月21日、月夜野に〈月〉の会が誕生しました。正式な名は「みなかみ〈月〉の会」。地元の方々と東京の会の方々合同で会の結成を祝い、終わってからは〈月〉の会恒例の月待ち。この月待ちの面白さを私たちはずいぶん体験してきましたが、最近は「月見」というのは人間中心主義で人間の都合で月に対するものだと反省し、月を中心として私たち自身を月のリズムに合わせていく月待ちこそ月に対するあり方だと考えるようになっています。古来人びとはこのように月に対してきたのだし、そしてじっさい月待ちして月の出を体験してみれば、その色、その大きさ、その方角、周囲の景観とのその調和、どれをとっても一期一会の歓びを与えてくれます。
何十人かでの月待ち。NHKの秋放映の大型企画のためテレビマンユニオンの方々がカメラをまわすなか、小一時間月を待ちましたが、懇親会のため移動せざるをえずマイクロで移動。そうしたらなんと十五分後に月が顔を出し、惜しいこと、惜しいこと。上がってきた十五夜の月は全天を覆うかのような光の放射で月夜野を照らしていました。人を魅了する月夜野という地名に住民の月の営みが加わり、月夜野が文字通りの月の聖所になっていくことが期待されます。
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| | 「真田丸」ファンにも知られる、みなかみ市随一の史跡・名胡桃(なぐるみ)城址を月待ち会場に。篠笛演奏を聴きながら待つこと小1時間、厚い雲に阻まれ、参加者一同は結局、断念。残った番組スタッフが約15分後、お月様を映像に収めてくれたとのこと |
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| | 交流会場および宿泊先の「みねの湯つきよの館」。みなかみ〈月〉の会の発起人・星野さんの発声で乾杯へと、宴は最高潮に。ようやく旅館前で十五夜の月を拝む参加者たち |
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| | この日15時から行われた、みなかみ〈月〉の会発足記念の催し。星野さんによる入会案内の後、志賀による記念講演への関心も高かった。催しの最後には〈月〉の会・東京のメンバーが立ち上がって紹介を受け、都市と中山間地の交流を印象づけた。その右は、多くの〈月〉愛好者に月夜野に来てほしいとの思いが込められた、ライブラリーコレクションの一部 |
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| | 一夜が明け、ツアーのもう一つの目玉であるハイキングでは、古代に群馬県における渡来人との密接な交流を物語る「上野三碑(こうづけさんぴ)」を実見。上段左から金井沢碑、山上碑、多胡碑の写真。多胡碑は「羊太夫(ひつじだゆう)」伝説や「お羊さん」信仰の発信源となっている。三碑がすべて建屋で保護されている(下段左写真は多胡碑)のも興味深い。旧鎌倉街道の歌碑を巡るコースも、いい思い出に(写真キャプション:佐々木、当ページ同) |
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「月の道、人の道 2016」と題した連続企画の第一回目の催しが今回でした(第二回目は埼玉県日高市・高麗神社の催し、スケジュール欄参照=クリック)。みなかみの会の星野上さんのあいさつ文、それにこの結成のためにエールを寄せてくださった岩手県二戸市の栗林さん、岐阜県郡上市の石神さんの寄稿ともども、今回の更新で以下に紹介します(了) |