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月と季節の暦
志賀勝から一言(2004年12月3日)

第一回熱海〈月〉の会
熱海の満月

神無月十六日(西暦11月27日)、熱海で感動的な満月を見ました。

冬に入って(月暦では十月から冬、異常高温で冬どころではないのですが)、月はだいぶ北に進路をとっています。そして冬の満月の出はとても早いのです。この日は4時40分ごろ。夏場には6時、7時ごろの月の出なのに、おもしろいもので冬の出は早くなる。以前書籍のなかでわたしは、「月の七不思議」という、月が人間にわたしを見なさいといっているかのような不思議な現象を列挙したことがありますが、夏と冬の月の出のちがいもそのひとつに加えるべきかもしれません。早く暗くなる冬場、まだ明るさの残る早い時間に月は出て、さあわたしですよ、といっているかのようなのです。

赤の月から橙へ、そして黄色にと月は光を変えていきました。海がその月を映して、忠実に橙、金色の月の道を作りました。まさに、「月映え 熱海」です。

催しについては、「熱海新聞」が二度にわたって報じました(チラシとともに別掲)。

打ち合わせが不十分なまま短時間で開催した催しで、予定していた会場の起雲閣が変更というアクシデントもありましたが、月の町・熱海の実験がともかくスタート。反省点を踏まえ、来年の月の熱海のイメージ作りのため、12月19日6時から「テールエメール」であらためて懇談会が開かれることになりました。月の町づくりに関心お持ちの方、梶さん(090−1540−0006)もしくは〈月〉の会・東京(03−5246−5588)までご連絡ください。

(各写真はクリックすると拡大します)
写真14時半過ぎ、見事な月の出 写真2

観月会の参加者たち
写真3
写真4釜鳴屋平七夫妻の像
呼びかけ人の梶さんと
写真5月映えの熱海ビーチ
写真6

黄金色に輝く月の道
写真7
写真8テールエメールでの懇親会
いきいきプラザでの講演会

「2005年版月暦」ご注文者からの声

「今年から月暦を見ています。世界が変わったような気がします」という文を添えた暦の注文をいただきました。北海道のOさんからです。

今しがた長野の90歳になるUさんから電話の注文がありました。耳がだいぶ遠いご様子で電話での注文を恐縮なさっていましたが、「年寄りはこういう暦がいいわな」と一言。

朝のファックスに、「今朝(6時10頃)とてもきれいな有明の月に出会えて幸せな気持ちになりました。神無月の8日から今日まで15日間続けてお月様を見ることができます。こんなに毎晩お月様を見ることができるのは珍しいことです」という一文とともに、福岡のOさんから追加の注文がありました。福岡とおなじように、東京でも神無月の月が毎日見事です。今年の天候異変は月をも隠して夜の寂しいことが多い年でしたが、いま月は挽回してとても元気です。

月と暦で全国の方々とつながっていると実感する時季です。つながりの尊さを確かめるのが毎日のことで、わたし一人で自足しているのはもったいないとつくづく感じます。このホームページで一部でも公表できることが幸いです。

さらにいくつか、印象深い会話を紹介しましょう。

屋久島のKさんから追加注文があって、電話で話しました。何人かの方が暦を使っているので、屋久島はわたしたちが話題にすることが多い土地ですが、わたし自身は未知の土地です。以前話したことがある東京から移り住んだ方と勘違いしましたが、Kさんはもう何年も暦を使っている土地の人で、はじめてお話しする機会になりました。屋久島は今日も雨、というような話からはじまりましたが、島でこの暦が話題になり追加注文とのことでした。屋久島では、「今日は旧の何日」という会話が普通に交わされるといいます。屋久島についてわたしが感じていたことがはっきり確認できてうれしい情報でした。冬場の「いざり」と呼ばれる漁について教えていただきました。大潮で海が引いた後、岸に残されたサカナなどを採るのがこの漁とのこと、なるほど大潮がいつかを知っていることは島民の基本的生活情報なわけです。

屋久島の〈時間〉と関係の濃い沖縄からも昨日連絡いただきました。NPOの「OKINAWA あおい地球(ほし)」を運営しているYさんからで、那覇にLOHAS(ロハス)というフェアトレード&カフェがあって月の満ち欠けに合わせた献立作りをしているとのこと(お店の電話番号098−859−1923)。Yさんは知り合いであるこのお店に是非暦をプレゼントしたいとのことでした。

6月に京都・知恩院で講演する機会がありましたが、この折いらしてくださった京都の汐崎さんから、つぎのようなお便りをいただきました。

京都での御講演の折にはわざわざ御案内を戴き拝聴致し、はじめて御挨拶をさせて戴き有難うございました。またこのたびは東海大学出版会の「望星」十月号で「月と暦と日本人の多彩な暮らし」を拝見させて戴きました。家内が生け花を教えており、それを手伝っておりますが、「五節句の花」の江戸時代からの伝承があり、毎年その花をいけています。しかし上巳には桃、端午には菖蒲などの花材が、花屋さんでは新暦で出回ってしまい、入手がむつかしく困っております。

ハウス栽培ものを扱うことで自然の秩序に反したお花屋さんの現状は本当に嘆かわしいことですが、自然のお花は自前で調達しなければならないというのが現状です。汐崎さんは、月の暦を愛する輪を少しでも広げたい、とあたたかいおことばを書いてくださっています。

このほか、「都心から千葉の海辺の町に住み着き1年、子供の頃に見たお月さんにまた出あえました。新しい暦を開く日を楽しみにしております」とお便りくださったAさん、わたしの事務所は浅草の花川戸ですが、「今年度版、愛用しています。とても気に入っています。しかも小生、御近所の今戸(注 花川戸の隣町)の育ち。今は茅ヶ崎で海と月と太陽を思う存分味わっています」と伝えてくださった神奈川のYさん、おなじく花川戸に親戚がいらっしゃるという京都のMさんは、「この所連日明けの明星を見るために毎朝早く起きて望遠鏡で金星・木星・三日月(注 ほんとうは逆三日月)を眺めて実家の舞鶴の海の上で見ていた星空を懐かしんでいました。京都の空でも早朝の星空がこんなに綺麗に見える事を知りませんでした。早起きで三文の得を致しました」とのお便り。みなさま、どうもありがとうございます。

山古志村からのお便り

中越大地震が発生したのは10月23日。月暦では九月(長月)十日のことでした。新潟県内には150人ほどの暦利用者がいらっしゃいますが、暦の発送を控えました。11月下旬、被害が予想される方々に連絡を取り、ご無事を確認して了解を取ったうえで発送を果たしました。なかには、山古志村の方がいらっしゃり、このSさんには、長岡市で長く暦を使ってくださっているさとうくみこさんの手をわずらわして震災お見舞いとして避難所に届けていただきました。さとうさんは「元気ネットワーク」という子育て支援などのヴォランティア運動にたずさわっている方ですが、地震後ヴォランティアとして奔走中で、さぞご面倒なお願いだったことと思います。

今日、そのSさんがわざわざ礼状を送ってくださったところです。文面には、「月の満ち欠けを観察するゆとりの気持ちを取り戻し、再建に向いたいと思っています」とありました。被災されたみなさま、心よりお見舞い申し上げます。

地震、噴火と月

中越大地震に触れたので、地震・噴火と月の関係について一言します。

この間、浅間山の噴火を注視してきましたが、中噴火といわれる噴火が起きたのは、9月1日、13日から16日、29日、11月14日のことでしたが、月暦ではそれぞれ七月十七日、八月の新月時期、八月十六日、十月三日に当たる日で、どれも新月・満月後の大潮のときだったのです。

11月29日夜半、北海道東部で震度5強の地震が発生しましたが、これも月暦十月十八日の大潮で、昨年9月26日の十勝沖地震とおなじ性質のものと伝えられましたが、その十勝沖地震は新月の日のことでした。北海道東部地震の翌日に三宅島で二年ぶりの小さな噴火がありましたが、これも大潮時期でした。わたしは、素人目で地震や火山噴火に注意しているにすぎませんが、その道の専門家からまだ明快な説明を聞くことができません。地震、噴火と月の関係について、一部でその関係を指摘する研究があり、全体としては否定的というのが現状でしょうか。三宅島の噴火についても、当初気象庁の研究者が月の影響を指摘しましたが、その後確かな証拠がないということで立ち消えになってしまいました。

最近、カリフォルニア大学ロサンゼルス校と日本の防災科学技術研究所のチームが、潮汐力(つまりほとんどが月の重力)と地震に明確な関連があるとの研究を発表しました("Sciencexpress" 21 October 2004)。納得いく研究結果です。地震、噴火のすべてに月が関係しているとはわたしも思いませんが、月という巨大な重力がこのような現象に影響していないと考えることはばかげているのではないでしょうか。新月、満月のときは、心配される地震についても一応考慮するようにしているわたしですが、みなさんはいかがお考えでしょう?

出雲の「神在祭」を取材しました

暦の発送で多忙な時季でしたが、出雲の「神在祭」の神迎えを取材してきました。月暦神無月(十月)十日(西暦11月21日)夜の行事でしたが、出雲の月のリズムをしっかりと確認してきました。次回の暦作りのための取材。十日の月がとても印象的でした。製材業をいとなむ「こびき屋」の安達さんが車で案内してくださり(安達さんは木材と月の関係について思いをめぐらしらっしゃる方で、地元紙に「木の語り部通信」を連載しています)、大助かりでした。

出雲でも暦を使っていらっしゃる方はけっこういますが、かねてよりやり取りのあるIさんに神在祭参加をお誘いしました。後日お便りが届きました。下の文面にもあることですが、神在祭は関東でかつてにぎやかに行なわれていた十日夜(とおかんや)とおなじ日取りの行事です。

神迎えの神官の祝詞に篝火の炎の形が変化してゆくのには、何か神秘的なものを感じ、鳥肌が立ちました。04年の暦、ありがとうございました。節句、雑節の項で十日夜、「亥の子」云々とあり、子供の頃「亥の子さんになってからこたつを出そう」と祖母がいっていたことを思い出しました。鳥取県米子市のことです。月暦を見るまでは「亥の子」がいつなのかも知らないままでした。少しずつ気持ちに余裕が出来てきました。

Iさん、よく思い出してくれました。日本人の生活史をきちんと振り返ることができれば、わたしたち自身の生活をかならずや豊かにしてくれることになると思います。 ところで、神は闇のさなかにやってくるわけですが、神の来臨を写真に撮ろうとする人がたくさんいるのには、心底驚愕しました。

最近の執筆について

俳句誌「藍生」に一年間連載していた「月をリズムに」は、最後の原稿を渡したところです。月暦正月から師走までを追った連載になりました。

JA香川の広報誌「Kilari」連載の「月と暦の歳時記(ダイアリー)」は三月号までつづきます。

来年1月より、全国農業共済協会の月刊誌「NOSAI」で一年間連載をはじめます。 12月中旬発行予定の「花筐(はながたみ)」6号に、「月の高野山」というタイトルで8月30日の満月の催しについて長いレポートを書きました。発行連絡先は伊藤道子さん(TEL0425−91−6581)。催しに出席された方、どうぞご一報してください。

「深大寺十三夜」など報告したいことはたくさんあるのですが、もう十分書きすぎてしまったようです。ご愛読ありがとうございました。

わたしの大好きな下弦の月がかがやいています。電気を消すと、月の微光がうっすらと壁を照らします。その光の、淡く、おだやかなこと。では、次回更新をお楽しみに。


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