志賀勝から一言 (2005年9月10日)
〈月〉の会・三重「煌月一夜」の報告
昨年月暦七月の満月に開催した「月の高野山」(8月30日)から月暦のリズムでちょうど一年になる満月の日(8月20日)、鈴鹿市の真言宗・観音寺で〈月〉の会・三重主催による「煌月一夜」の催しが開かれました。
鈴鹿市の福楽寺ご住職加藤成範さんとわたしの講演、それにNOVAの音楽からなる催しでしたが、加藤さんのお話は「旧暦」が失われて以降のわたしたちの精神的貧しさや、現在起きているさまざまな社会的問題にも言及するなかなか鋭い内容のものでした。
NOVAはまだ若い世代のミュージシャン(ピアノとヴォーカル)、昨年の月暦七夕でも彼らとジョイントしましたが、成長著しく、これからがますます楽しみなグループです。
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「NOVA」はこの日のために作った曲も披露 (写真提供:<月>の会・三重)
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福楽寺の加藤成範住職は、講演で 西暦偏重への辛辣な批判を
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観音寺仁王門から黄金の満月が (撮影:穂盛文子さん、左も)
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わたしが講演するときは、その場所の状況に合わせてアドリブが多いのですが、観音寺から見渡せる西方に日の入りが見事な光景を見せている頃合いから催しが始まったもので、やがて東から昇ってくる満月と対照させながら、昼と夜の「時間」をテーマに話をしました。8月5日には長野県原村の「星まつり」で講演しましたが、このとき、星々は夜中天を巡るのに午前0時をもって昨日の夜、今日の夜を分けられるはずもないのだが、と現代人の奇妙ないち日の分け方を考えたもので、夜をないがしろにしている現代の「時間意識」を考えるにはちょうどよいタイミングと景色でした。この問題は人間の歴史を考えさせるとても興味深いものですが、ご興味おありのかたはとりあえずわたしの『人は月に生かされている』をみてください。
講演を終える頃、古刹である観音寺の仁王門に、大きな大きな黄金の満月が上がってきました。早速みんなで観月。集まった百人ばかりの人々の中には、こういう光景をはじめて目にする人もきっといるだろう、としばし催しの意義を感じていました。ふた月前、同じく見事な月に恵まれた「日月 二見」ですが、その主催者だった小西さんはじめたくさんの二見の方々がいらしてくださったのに感動。人のつながりを本当に大事にしてくださる方々だと、二見への想いを新たにすることができました。二見、四日市・鈴鹿、そして名古屋という、広域ではありますが同じ地域圏といってもいいところで月への関心が活発です。「月の文化」のための協同事業の展望を含め、これらの地域の今後がとても楽しみです。
当日のレポートを主催者の小林さんが送ってくれましたので、どうぞご覧ください。〈月〉の会・三重が計画し、大成功となった催しです。今後も、私たちの心に響く仕事をともに進めていきたいと思います。
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