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月と季節の暦
志賀勝から一言
(2006年4月8日)

5月12日開催予定のイヴェント「ATAMI 月映え――木が匂う 月が出る ピアノが響く」は、チラシなどの仕上がりが遅れウォン・ウィンツァンさんのHPやわたしのHPだけの告知に留まっていましたが、一生懸命知恵を絞って作ったチラシもきれいに仕上がり、ようやく正式な宣伝開始です。

ありがたいことに、「月の高野山」を体験した方々から早々と予約をいただいています。今回の「月の熱海」もまた一期一会の会心作となるよう精出さねばと発奮させられます。「新月の木国際協会」と協同した企画や講演の準備も鋭意すすめています。特に、木の匂いが漂う会場の空間作りを楽しみにしています。

ウォンさんのコンサートは150名限定。狭目な空間なもので少人数限定はやむを得ませんが、かえって親密な空間が生まれるだろうと期待されます。席も徐々に埋まってきています。ご予約なさる方どうぞ急いでください。

「ATAMI月映え」のチラシ

以下、この1ヶ月間のお伝えしたい情報を「仏教と月」「長崎の会から」「月暦ということばの定着」の順でレポートします。

仏教と月

「月的生活」

拙著『月的生活』(新曜社刊)では、ひとつのテーマとして仏教と月という問題を提起し、仏教関係者に注意を促しました。拙著を読んだ京都のあるお寺の方がわざわざ訪ねてくださり、斯界の方ならではの貴重なお話をうかがい、歓談することができました。なかでも国連が「ヴェサックの日」を決議していたというのはとても重要なものでした。

ヴェサックはサンスクリット語で成道を意味するものと記憶しますが、この国連決議はバングラディッシュ、ブータン、カンボジア、インド、ラオス、モルジブ、ミャンマー、ネパール、スリランカ、タイなど仏教国の代表の提議により採択されたということで、次のような文が含まれています――「国連総会は、毎年5月の満月の日であるヴェサックの日が国際的に、特に国連本部及びその他の国連事務所において認知されるようにとの、1988年スリランカにおける国際仏教会議によって表明された希望を承認し、毎年5月の満月の日が仏教徒にとって最も聖なる日であり、仏教とはこの日に仏陀の誕生、悟り、入滅を祝うものであることを認識し……ヴェサックの国際的祝典のために適切な用意がなされるべきであることを決議する」(1999年12月15日、第54会期、議題項目174)。

もう7年前のものなのに知らなかったことが不思議ですが、多分多くの方々がご存じないことと思います。西暦一本やりで来て月を忘れた日本の現状を示しているのでは、と危ぶまれます。

貴重な事実を教えてくださった方はご高齢の方ですが、この方は小学生のころ、明恵上人の「あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月」、西行法師の「ねがはくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月のころ」の有名な二つの歌をお父さんの蔵書のなかから見つけて知っていたとのことで、子どもの頃から仏教と月の深い縁を感じておられたとのことでした。

南アジアをはじめとする仏教が月を非常に重視していることにはかねて関心を抱いてきたことですが、このような仏教のあり方を日本の仏教界にも是非考えてほしいものだと思います。

長崎の会から

長崎のヤマサキ・ユズルさんからうれしい便りが届きました。長崎市に「長崎伝習所」という制度があって、これに「長崎・月の文化研究塾」という塾の案を申請したところ認められたとのこと。ヤマサキさんが塾長になって、これから活動がはじまるというのです(長崎伝習所のホームページもご覧ください)。

塾生は長崎市の広報誌で募られるなど、財政的支援を含む市の支援があり、塾の活動では「月の文化(月暦)の視点から観光など長崎の街づくりに生かせないかという地域に根ざした月の文化興隆、月の文化で街づくり」に取り組んでいくとのこと。

ヤマサキさんのこれまでの活動実績がこういう形で実を結んだと思うと、敬意を覚えます。とともに、日本中どこを見渡してもかつては月の文化が息づいていなかった地域はないわけですが、長崎というところはとりわけ豊かな文化的歴史に彩られた土地柄なだけに、日本での月の文化の目覚めに資するところが大きいだろうと大きな期待を抱かせてくれます。

このニュースをいろいろな方に伝えましたが、みなさん興奮気味にこの報を喜んでいます。塾活動の一環として、11月23日にはわたしを講演に呼んでくださるとのお話。久しぶりに長崎の方々を前にお話できることになり、本当にうれしいことです。

今年の桃の節句は西暦3月31日に当たりましたが、長崎の〈月〉の会はこの日に例会をもったとのこと。東京でも、少人数でしたが、暦制作の打ち合わせにかこつけて、白酒などを楽しみました。

「月暦」ということばの定着

長崎の塾の話に「月暦」のことばが見られましたが、最近わたしが関わったメディアでもこのことばを使っています。ソニーの広報誌のタイトルは「月暦と暮らしのリズム」。3月12日に掲載された「中日新聞」「東京新聞」のインタヴューでも月暦の表現でわたしの暦を紹介してくれています。

「現代農業」誌で今年から、月のリズムに関わる祭事などを取り上げる連載がはじまっていますが、そのタイトルは「月暦」。(最新号の5月号では「月を見てガの産卵・孵化を知る」という内容の農事に関わる話題を取り上げています)。

また、藍生俳句会主宰の黒田杏子さんは、「藍生」誌4月号に「月暦 睦月十五夜 古机」の句を載せています。

このように、月暦ということばが普通に使われるようになったことは喜ばしいことです。旧暦ということばには月の暦をネガティブに感じさせるさまざまな問題が孕まれているのですが、新しいコンセプトとしての月暦ということばが普及・定着していくことは新しい生活の可能性が生まれ、育っていくことにほかなりません。

どんなことばを使うかは小さなことではなく、とても重要な態度です。月暦大晦日に名古屋の興正寺で除夜の鐘をついた話を以前載せましたが、連載中の雑誌でこの画期的な除夜の鐘を「春告げ鐘」と名づけて紹介したことがあります。最近訪ねてきた大阪の知人にこれを見せたら、えらく感動してくれました。冬から春への季節の交代をはっきりと示し、年の交代をわたしたちがもっとも鋭敏に感じ取る月暦の新年、それを告げるのが除夜の鐘であり、春告げ鐘のことばは西暦に優越するわたしたちの感覚にぴったりではありませんか。

ことばは生命力の更新してくれるような力を秘めています。どうぞ皆さん、月暦の表現を愛用し、広めてください。


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