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月と季節の暦
志賀勝から一言
(2006年8月12日)

1月の『月的生活』刊行から半年がたちました。「一言」の今回はこの本が契機となって生まれ、今後が楽しみな出会いを三つセレクトしてお届けします。

埼玉県小川町、伝統旅館との交流

割烹「二葉」からのお便り

最近〈月〉の会・佐世保を作った田中さんのご縁で、埼玉県の小川町にある割烹旅館・二葉を経営する八木さんご夫妻と交流がはじまっていますが、こちらは十四代を数える古い割烹旅館で、山岡鉄舟とも深い縁があったとのこと。

いただいた旅館の資料を見ると、五節供をはじめさまざまな行事を年間を通して企画なさっていて、お仕事にかけた情熱には並々ならぬ熱意が感じられます。ご主人の八木さんはとても研究熱心な方で、江戸時代の料理の復元などに取り組んでいらっしゃいます。

(「二葉」のHPはこちらです)

八木さんは毎月「和み風」という通信を発行なさっていて、新しい号では拙著を紹介して勧めてくださっています。その紹介の文の中に、運営なさっている五節供についての実感が記されていました。とても重要なことなので、引用します──

「(五節供は)現在は新暦(太陽暦)で行われており、元々旧暦で進められてきたことなので何となくしっくりまいりません。旧暦(太陰暦)で考えてまいりますと、きちんと収まります。元来人の体は、月の周期に影響されてきたようで、胸・腰・腹など月偏の漢字が多いですね。二十節気なども旧暦に読み替えてみるのも面白いことです。」

五節供を現行の西暦から心身ともに納得できる月暦リズムに戻すことはなかなか厄介なこともあるでしょうが、ご苦労を重ねての折角の良きものの復活ですから、可能なものは是非試みていただきたいものと心から願っています。

「月的生活」読者とのうれしい出会い

鹿児島市で教員をなさっている西村さんは、拙著をお読みくださり、東京にいらした折にオフィスを訪ねていらっしゃいました。「地域経済」を教えておられるとのことで、西村さんが力説した沖永良部におけるサトウキビ産業の未来図はとてもワクワクするものでした。お寄せくださった西村さんのお便り、どうぞご覧ください。

「月的生活」を読んで

鹿児島市在住:西村富明

1947年、鹿児島市から550キロ離れた奄美群島の沖永良部の農家の次男として生まれた。島にひとつしかない高校を卒業するまでの18年間、沖永良部で生活した。それから敗戦後の日本経済の歩みを、今日まで団塊の世代として経験したことになる。これが私の原点である。

今年の5月「月的生活」を読んだ。「月を楽しむゆとりを持つことは、人生最高である」と、直観的に悟った。著者(志賀勝さん)と語りたくなり、5月末の東京出張の折実現できた。初対面で、突然の訪問にもかかわらず、二人とも熱い思いで人生を語ることができました。食事を挟んで3時間ほど語りました。私は志賀さんに強烈な印象を受け人間的魅力を感じました。

地球の生き物は、男性的な太陽と女性的な月の両方の「恵」なしには、生きていけないことを、私たちは忘れがちになっている。この原因のひとつは、日本の近代化を追い求めて明治5年に、日常生活の基本である暦を「旧暦」から「太陽暦」に変えたことだと思う。旧暦、明治5年12月3日を太陽暦、明治6年1月1日と定めた。日本の近代化は何をもたらしたか。経済成長が人間の豊かさをもたらしてくれるという錯覚を生み出してしまった。地球破壊が進み、私たち人間の存在基盤が揺らぎ、精神文化が崩壊してしまった。このことに気づき、疑問を持った仲間たちが、生き方を変革し生活の再建に取り組み始めている。経済成長神話へ疑問を投げかけた。その流れが「スローライフ」である。

今日、大空に月があっても、月を見たり、月について考えたり、月について語る日本人は少なくなった。明治以降120年たった現在、「旧暦」を復活させ、江戸時代までの日本人ものの考え方、「月の文化」の生活習慣を取り戻したい。月の文化ルネッサンスである。心のゆとりを創り、月を見、考え、語ることを楽しみましょう。このことが第1次産業に目を向けることに繋がってくると思われる。

この先導役を担っている志賀さんの仕事は貴重な存在である。月を楽しむゆとりを持って、人生を楽しみましょう。「月と季節の暦」や「月的生活」を仲間に紹介したい。(2006.8.9.記)

メールでも「月的生活」の反響が

日本の南からのお便りに続き、次に紹介するのは北からのお便りです。札幌でアロマテラピーのサロンを開いていらっしゃる所さんのお便りで、所さんは拙著を読んですぐ暦を注文くださいました。所さんのブログも是非ご覧ください。

志賀 勝様

月暦届きました。
手にとってパラパラめくって、しばらくながめているとからだがストンと落ち着いたような気がしました。。
なんというか、腑に落ちたというか。。安心したというか(笑)「これでもう大丈夫。。」なんて言葉が、頭の中に浮かびました。
(本を読ませていただいたあとの、からだがとても納得して満足しているような感じ。。と、同じでした)

月のリズムと呼応して生きることで人のからだはいのちを活性化するようにできているのかもしれないと思いました。
「ほんとうの時間さがし」のなぞなぞを紐解いて、わかりやすく伝えてくださる・・・
すごいことです・・・ありがとうございます。
いのちの恩人(大袈裟でしょうか?)、いいえきっと月のリズムを取り戻すことで、失われた何か。。。あたたかいいのちの脈動のようなものを取りもどせた・・・と感じる人は、わたしだけではないと思います。

 ………………(中略)………………

昨日私のブログで本と月暦のHP、紹介させていただきました。
ブログは「気取らずに、気負わずに、あるがままの自分をいつものとおりに。。」というスタイルで運営しています。。。
でも油断するとついカッコつけてしまうんですよね(笑)
清明の朝は焚き木をするとか、眠れない夜は寝ないでダンスするとか。。
そんないままでの暮らしぶりも過去ログにありますのでお時間のあるときに、遊びにいらしてください。

日々のこと楽しむ心が続きますように。。

オレンジ*スウィート 所 潮美
http://www.h4.dion.ne.jp/~orange.s/index.html

もう一つ、版元の新曜社に届いた読者カードの一文は是非紹介したいものです。拙著で三日月信仰について触れましたが、大学の先生をなさっていた文中80歳とあるその方はこの点に触れて次のように書いてくださいました――

「群馬県多野藤岡町(現藤岡市)に生れ、数え18才までそこにをりました。町内にNという豆腐屋があり、毎夕ラッパ、鈴で、天秤でかつぎ売り歩いてゐました。物心つくころからS16・12戦争に突入するころまでのことですが、三日月の夕にはその豆腐屋が、母と特約でもしてゐたのかいつも豆腐を届けに来たものです。丼に受けたその豆腐を母がどうしたか記憶にありません。祈ってゐたかも覚えてゐません。母は明31・4、隣村の生れですが、20才代に東京に出てゐたことはあります。妹もよく覚えてをりました(S4・9生)。長い間の疑問が80才になって解けた思ひです」。

恒例・原村の星まつりにて

第十三回原村星まつりにて
8月4日〜6日に長野県原村で「原村星まつり」(第十三回)が開かれました。初日に「異常気象と月暦」という難しいタイトルを与えられて話しました。十一日の月が青空に透き通る色で現われ、夕闇とともに濃い白へ、やがて黄色から紅に変わる変化を見せて落ちていきました。一番高い高度でも地平から30度くらいだったでしょうか、低く低く滑っていく月は見物でした。望遠鏡を月に向けている人が多く、とても印象的な光景でした。写真は講演後、電波天文学で著名な森本おじさんこと森本雅樹さん(向かって左)、パイロットの伊藤寛さん(同右)との座談会シーン。運営者の堀内重樹さんもおっしゃってますが、この星まつりはいい出会いのある催し。来年、皆さんも是非どうぞ。

(「原村星まつり」のHPはこちらです)
甲田さんからの暑中はがき

天然酵母パンで有名な「ル・ヴァン」の甲田さんは月暦の愛好家ですが、星まつりを機に、甲田さんの紹介で原村で「カナディアンファーム」を営む長谷川さんと知り会うことができたのは収穫でした。廃材を活用して長谷川さんらが自ら建てたという木造建築群には感銘を受けました。荒々しくも野生的で、それでいて人にやさしい、死にかけてよみがえった「廃材」たち!

(右は甲田さんからの暑中はがきです)


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