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志賀 勝
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月と季節の暦
志賀勝から一言
(2007年12月2日)

本日の「天声人語」は大問題

今朝(12月2日)の朝日・天声人語を見て仰天しました。

……猫の手も借りたい師走が、たった2日しかなかった年がある。1872(明治5)年だ。旧暦から太陽暦に改暦され、あす12月3日が明治6年1月1日になった。つまり、きょうが「大みそか」だったことになる。……

天声人語はこのように書いています。月暦(旧暦)の時間と西暦の時間は根本的に異なる別個な時間システムですが、人を惑わすこの二つの時間の詐術に天声人語子はまんまとはまっています。

「あす12月3日」と書かれると、読んだ人はだれでも文字通り明日のことと思ってしまうでしょう。しかし改暦が行われたのは月暦の十二月三日のことで、西暦の12月3日、つまりあすのことでは決してありません。ちょうど伝統的な七夕を西暦化して7月7日にしてしまったような数字の詐術(最近流行のことばでは「時間の偽装」といってもいいでしょう)が始まった記念すべき日付が「じゅうにがつみっか」なのです。

区別のために私は十二月三日という漢数字で月暦を表現することにしていますが、当年の十二月三日が西暦1873年1月1日に相当したのです。この月暦の十二月三日と西暦12月3日を天声人語はごっちゃにしてしまいました。西暦の12月3日なら、1872年の月暦では十一月三日のことです。霜月十一月が始まったばかりですから大晦日はまだまだ大分先、西暦よりは大分遅れる月暦では1873年1月28日が当年の大晦日に当たりました。伝統的に真冬の季節感を育んできた師走の「失われた28日間」がむしろあったわけで、「きょうが「大みそか」だった」はずもありません。この一文を目にした読者に、へえ、今日が大晦日だったんだととんでもない誤解を与えてしまうことになるでしょう。

2008年版カレンダー・手帳への反響

11月初旬から「月と季節の暦」、「月暦手帳」を売り出して一ヶ月弱、恒例にならって利用者の方々のさまざまな反響を掲載したいのですが、未整理のためふたつだけ紹介します。ひとつは徳島県の方からのお便り。

徳島県阿波市 Fさんのお便り
昨年、「月的生活」を買って友人に見せたところ、みんな気に入ってまわし読みをしたそうです。そして、今年は嬉しい相談ができました。
松茂の空港の近くに、去年(2006)月見ヶ丘公園という広大な敷地の公園が完成し、バンガローも建ち並んでいるので、友人の中にお世話してくださる方があり、四人で月見に出かけました。
長月十三夜(10月23日)早々と昼頃には到着して十三夜というバンガローが当たりました(それぞれみんな月の名前がついています)。
テラスに萩、栗、お団子など飾り、よく晴れた上々の月見の夜でした。海の上から出た月が、遠く山の端に沈むまでたのしみました。
部屋に入ってからも月光の余韻で、かねて用意していた一葉の『十三夜』を輪読するなどして、とてもとても楽しい夜を過ごしました。

その結果が「月と太陽の暦」を是非注文して、ということになりました。とてもよろこんでいます。

もう一つ、石川県在住の写真家・桝野正博さんから暦や手帳の注文をいただきました。その後、桝野さんのブログで暦を知ったという連絡を何人かの方から頂戴しました。早速そのブログを拝見したところ、暦のことを丁寧に紹介してくださっていました。来年の暦の読み物特集は生物時計に関わる「月時計」ですが、単細胞生物から人間に至るまで生物の世界が月の影響を受けている実体を研究成果に基づき編集したもの。特集の最後を「人間と月」でくくりましたが、桝野さんはその編集意図をよく酌んで、紹介の労をとってくださっています。この場を借り、感謝します。

(桝野さんのブログは、こちらです)

名古屋の講演で話したこと

名古屋の会場で講演する志賀
名古屋市青少年交流
プラザにて(11月24日)
今「かぐや」と「嫦娥」が月を周遊しています。「かぐや」が送ってきた動画は皆さんご覧になったと思いますが、月から見る地球の出や入りは感動的でしたね。

月暦神無月の満月(11月24日)に名古屋の催しに出向いて「月が教えてくれるもの」のタイトルで話しましたが、月から見る地球の映像がインスピレーションになり、地球で満月を見る当夜のようなときは月からは新月ならぬ「新地球」のタイミングで地球は真っ暗、反対に地球で新月のときは満月ならぬ「満地球」が月で見られる、という話からはじめました。

実はこのことは四百年も前、ケプラーが語っていること(ケプラー著『ケプラーの夢』講談社学術文庫)。月に行くお話しは彼以前にも神話、説話、小説の形でさまざまに綴られてきましたが、それらは主に地球から月を目指す視点からのもので(竹取物語の月の世界から語られた人間世界の批判はとても重要ですが)、月から見た地球という視点をもっぱらに、しかも科学的に記述したのはケプラーが初めてのことでしょう。地球が宇宙の中心ではなく、地球もまた宇宙のひとつの星に過ぎないことを明らかにしたものですが、それは月や宇宙から私たちを見つめなおす今日的な課題の嚆矢ともなるものです。「かぐや」が見せた地球の映像は、まさに「月が教えてくれるもの」であり、地球の置かれた現状を誰にも省みさせたのではないでしょうか。月や宇宙からの視点は地球の現状を憂うる私たちには欠かせないものになっていると思います。

ところで、「かぐや」や「嫦娥」(日本での読みは「じょうが」)の神話・説話は同じことを別な形で語っています。不死や永遠というテーマがそうですが、人間が月をどう見てきたかについてその共通性は驚くべきものがあります。その共通性を考えると、月が「資源」として考えられ、ナショナルな形で各国がその争奪に踏み出しかねない現状は、月からの視点どころか対立する人類同士が地球本位に「月征服」を企てるエゴイズムそのもの、懸念を禁じえません。現代のロケットに人類の夢が託されていたはずの「かぐや」や「嫦娥」という名が付けられているのは、この意味ではまったくおかしいことになります。

12月8日、ホームページアドレスが変わります

最後に、ホームページアドレス変更のお知らせです。プロバイダー側の事情に迫られたやむを得ない引越しですが、アドレスはずっと憶えやすいものになります。ビデオ公開などの新企画も予定していますので、2008年からの更新内容にどうぞご期待ください。新しいホームページのアドレスは、http://tsukigoyomi.jp(2007年12月8日移転予定)です。

名古屋の催しもいい月に恵まれました。〈月〉の会・東京が今年試みた十回ほどの月見はすべて成功、不思議な一年です。今回のこの「一言」欄も、暦販売の渦中で推敲ままならず、短時間に綴らざるを得ませんでした。皆様のアクセスに感謝します。


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