もう一つ、石川県在住の写真家・桝野正博さんから暦や手帳の注文をいただきました。その後、桝野さんのブログで暦を知ったという連絡を何人かの方から頂戴しました。早速そのブログを拝見したところ、暦のことを丁寧に紹介してくださっていました。来年の暦の読み物特集は生物時計に関わる「月時計」ですが、単細胞生物から人間に至るまで生物の世界が月の影響を受けている実体を研究成果に基づき編集したもの。特集の最後を「人間と月」でくくりましたが、桝野さんはその編集意図をよく酌んで、紹介の労をとってくださっています。この場を借り、感謝します。
(桝野さんのブログは、こちらです)
名古屋の講演で話したこと
今「かぐや」と「嫦娥」が月を周遊しています。「かぐや」が送ってきた動画は皆さんご覧になったと思いますが、月から見る地球の出や入りは感動的でしたね。
月暦神無月の満月(11月24日)に名古屋の催しに出向いて「月が教えてくれるもの」のタイトルで話しましたが、月から見る地球の映像がインスピレーションになり、地球で満月を見る当夜のようなときは月からは新月ならぬ「新地球」のタイミングで地球は真っ暗、反対に地球で新月のときは満月ならぬ「満地球」が月で見られる、という話からはじめました。
実はこのことは四百年も前、ケプラーが語っていること(ケプラー著『ケプラーの夢』講談社学術文庫)。月に行くお話しは彼以前にも神話、説話、小説の形でさまざまに綴られてきましたが、それらは主に地球から月を目指す視点からのもので(竹取物語の月の世界から語られた人間世界の批判はとても重要ですが)、月から見た地球という視点をもっぱらに、しかも科学的に記述したのはケプラーが初めてのことでしょう。地球が宇宙の中心ではなく、地球もまた宇宙のひとつの星に過ぎないことを明らかにしたものですが、それは月や宇宙から私たちを見つめなおす今日的な課題の嚆矢ともなるものです。「かぐや」が見せた地球の映像は、まさに「月が教えてくれるもの」であり、地球の置かれた現状を誰にも省みさせたのではないでしょうか。月や宇宙からの視点は地球の現状を憂うる私たちには欠かせないものになっていると思います。
ところで、「かぐや」や「嫦娥」(日本での読みは「じょうが」)の神話・説話は同じことを別な形で語っています。不死や永遠というテーマがそうですが、人間が月をどう見てきたかについてその共通性は驚くべきものがあります。その共通性を考えると、月が「資源」として考えられ、ナショナルな形で各国がその争奪に踏み出しかねない現状は、月からの視点どころか対立する人類同士が地球本位に「月征服」を企てるエゴイズムそのもの、懸念を禁じえません。現代のロケットに人類の夢が託されていたはずの「かぐや」や「嫦娥」という名が付けられているのは、この意味ではまったくおかしいことになります。
12月8日、ホームページアドレスが変わります
最後に、ホームページアドレス変更のお知らせです。プロバイダー側の事情に迫られたやむを得ない引越しですが、アドレスはずっと憶えやすいものになります。ビデオ公開などの新企画も予定していますので、2008年からの更新内容にどうぞご期待ください。新しいホームページのアドレスは、http://tsukigoyomi.jp(2007年12月8日移転予定)です。
名古屋の催しもいい月に恵まれました。〈月〉の会・東京が今年試みた十回ほどの月見はすべて成功、不思議な一年です。今回のこの「一言」欄も、暦販売の渦中で推敲ままならず、短時間に綴らざるを得ませんでした。皆様のアクセスに感謝します。
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