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月と季節の暦
-志賀 勝の講演後記-
2005年3月の講演後記

1、山形県・櫛引町で(3月7日)

櫛引町にて

役場にお勤めになりながら黒川能の役者でもある蛸井さんのご好意で、待望久しかった黒川能を参観できたのは2月1、2日のこと。それから一ヵ月、櫛引町で早速に講演の機会が与えられました。

講演のタイトルは「月と生き物」。会場は櫛引町「西荒屋地区公民館」。農家の方々などたくさんの方が集まってくださいました。

新月の樹木伐採がテレビで紹介され、月と農業の関係が脚光を浴びているタイムリーな状況でした。「朝日新聞」の昨年11月6日付夕刊にも、アカテガニ、カンモンハタ(魚のハタ科)、昆虫のフンコロガシの生命活動と月の関わりが手際よくまとめられていて、これらをもとにして月と生き物の関係が少しずつ明らかになってきている現状を説明しました。

講演会ではプログラムがプリントされていましたが、「農作物も害虫も月の影響を受けている」と講演会で得られるべき方向が記されていました。わたしの話が、農作業に少しでも役立てばと願わずにはいられません。

そのプログラムのなかに「〈月〉の会 農楽部の設立準備会について」とあるのに仰天。山形県の西部、鶴岡市にほど近い農村部の櫛引町、しかも黒川能で全国に知られている地域に〈月〉の会が考えられているというビッグニュースにはほんとうに興奮しました。櫛引町の方々がこういう方向を考えていらっしゃるとすれば、都市部でささやかに活動しているに過ぎない〈月〉の会にあらたな展望が拓け、月で結ばれる全国的なネットワークのさきがけとなるものです。想像がとめどなく広がり、ワクワクした次第でした。

当日は櫛引町以外でも有名になっているスローフード・イタリアンレストラン「アル・ケッチァーノ」の奥田シェフも見えました。翌日、お休みのところのお店を見せていただきましたが、この店の特徴を良く表している黒板に手書きされたユニークなメニューが見事でした。メニューには、20キロ以内で採られた素材で調理されたたくさんの品名がずらりと並んでいるのです。

その後、シェフが予定していた、山形の北部・最上郡金山町でメイプル・シロップ作りを手がけている「暮らし考房」の栗田さん訪問に同行することができ、カエデの樹液採取の現場を見せていただきました。栗田さんは、「二月泣きイタヤ」という土地に伝わる伝承の再生に取り組んでいます。二月とは月暦の二月のこと、泣きイタヤとはイタヤカエデがこの時期だけ樹液を生むたとえです。かつてはこの樹液が山人ののどを潤したにちがいありません。樹液採取の山にはカンジキをつけて入りました。知るばかりだったカンジキ体験をはじめてすることができていたく感激したわたしです。

後日、栗田さんからお便りを頂戴しました。注目すべきお便りでした。カエデの樹液は3月12日からたくさん出はじめ25日にピタリと止まったとのこと。そして21日に穴をあけた4本とも不思議なことに25日午前には穴が乾いた状態だった、とありました。この西暦日付けを月暦に直すと、二月三日の三日月から樹液がたくさん出はじめ、望(満月=26日)の一日前に止まったことになります。カエデの樹液の活動に月が関係しているのでしょうか?

カエデが芽吹く前に樹液を活発に生産する、「二月泣きイタヤ」というこの土地ことばにこめられた意味が、二月という季節的(太陽的)な要因だけによるのか、月のリズムもまた関係しているのか、先人の叡智を復権した栗田さんの今後の探求が実にたのしみです。

2、群馬県富岡市で(3月21日)

「ぐんま古里農園」の代表者・磯貝さんから昨年来月暦について話をとのお話がありましたが、休日の3月21日に富岡市の「宇田集落センター」で実りました。吾妻郡、利根郡、勢多郡といった群馬の広域から、また秩父からも磯貝さんとつながる方々20名ほどが参加されましたが、若い農家の方が多かったのが印象的でした。

わたしは、二十四節気や雑節の重視という、農事暦としての月暦の古来の使い方について説明し、同時にまた、月のリズムを重視するという月暦の二重の利用価値を強調しました。

講演後、現代ではめずらしくなった四世代同居の磯貝さん宅でご家族のみなさんといっしょに会食にあずからせていただきました。新鮮な収穫物を食材にした料理、そして玄米ごはん。都会人にはなによりのことでした。

磯貝さんはもう20年も有機農法を実践していますが、きっかけは農薬が原因と思われる体の不調だったとのこと。いまでは有機農法ということではなく、太陽や月や星々とともにある自然農法をめざしているというお話をうかがい、あたらしい日本農業の息吹だとの感を強く抱きました。

3、熱海で
(3月26日=月暦二月十七日 日付けは立待ちでしたが満月)

熱海1
熱海2
熱海3

月暦を使いはじめた方から、十五夜が満月でないことがあるのですね、という発見をよく聞くことがあります。天文学的な月の運行を暦という形で表現する際には小さな問題点がいろいろ出てくるもので、十五夜は円い月ですが、満月そのものでないことはしばしば。3月26日の満月もそうでした。月暦十七日は立待ちの月と日付けで決まった言い方があり、感覚的には右上が欠けはじめた月が想像されるのですが、実際にはこの日が満月。

熱海で2回目の満月の催しとなるこの日は、「熱海サンビーチジャンボ」という海を一望する施設が会場。講演タイトルは――「月映えの海・熱海」の意味と夢。

前回11月27日の満月は最北に近いところから月が上がりましたが、春分に近い満月はほぼ真東から上がります。太陽が真東から昇るのとおなじで、ですからこの春分時期(秋分もそうですが)には月と太陽が強力に地球を引っ張ることになります。年間最大の大潮が観察される時期です。

海から月をたのしめる熱海ですから、海と月の深いつながりを知っているとたのしみが倍加することまちがいなし。月の出の方位、月の出の時刻、朝の潮と夕べの汐、などの情報が事前にほしいものですし、現実に目にする月は、その日の大気の状況や天候によって色や光や月の道をさまざまに演出することでしょう。

当夜の月の出は18時25分。ムーンテラスに舞台を移して月見の催しとなりましたが、今回の月の出は雲が厚くてむずかしいかなと懸念されました。しかし、雲を通して赤い、ぼんやりした月光が現れ、しばしのあいだ月見をたのしむことができました。ムーンテラスのステージでは、ジャズシンガーの青木美恵子さん、クラシックシンガーのビクトリアさんの月の歌、そして韓国の月の歌も披露されました。

この日、〈月〉の会・熱海が正式に成立しました。世話人の梶さんのコメントを掲載します。

大勢のボランティアの皆さんにご協力頂きながら、よちよち歩きの<月>の会・熱海の起ち上げと講演会・音楽イベントが無事に終えることが出来ました。これもひとえに志賀先生と東京の会の皆さんのおかげと感謝しています。
それにしても<月>が人を引きつける力は凄い ♪♪♪
これがきっかけになって皆さんが『月映え熱海』に意識がむいていくことが可能になりそうだと手応えを感じました。反省することもありましたがみんなに喜ばれたのでまずは成功。今後やりたいことが沢山ありますが先ずは一歩一歩月の仲間造りから・・・。

<月>の会熱海  (世話人)梶 俊浩

4、名古屋で(3月27日=月暦二月十八日)

名古屋1
名古屋2
名古屋3

熱海の会を終えて温泉につかる暇もなく、翌日は「愛知万博」がはじまったばかりの名古屋。人の出の混雑が心配でしたが、スムーズに会場の八事山・興正寺に着きました。19世紀に立てられた、小振りではありますが造作の見事な五重塔を擁する立派なお寺が興正寺でした。

「夢講座」という講演の場をお寺は運営していますが、わたしは「月とゆめ」というテーマで講演しました。

夢ということでは、月のなかにさまざまな生き物が住んでいると想像したのも夢の類でしょう。カニやネコやネズミやイヌといった日本ではなじみのない動物が月にいると想像した民族もいますが、沖縄やアイヌ民族を除く日本ではウサギ以外に思いつく人はいないでしょう。そのウサギは餅をついているとされています。

月にいるウサギ、餅をつくウサギの伝承をさかのぼっていくと、歴史の糸はもつれにもつれていきます。ウサギ伝承はもともとは中国から伝わった話ですが、その中国ではウサギがついているのは餅ではなく、薬ということになっています。中国の伝承をさかのぼってみると、ウサギと薬の組み合わせは、なんとヒキガエルと薬の組み合わせに変わります。

このような伝承の由来は、月と不死、月と再生、月と多産、月と永遠、というような、人間が月に託した夢のようなテーマが浮かび上がってきます。

唐の時代に中国では、月には永遠のカツラが生えているという「呉剛神話」が記録されました。呉剛という仙人が月のカツラを切るのですが、切っても切ってもカツラは再生して切りつくすことができないという永遠のカツラのお話です。このお話にも、月と不死のテーマが生き生きと伝承されています。

その唐の時代の有名な皇帝・玄宗の見たとされる夢にカツラが登場します。

月暦八月の十五夜(仲秋の名月)、玄宗が月見をしているとき、ある仙人がカツラの一枝を月に向かって投げました。カツラは銀色の橋となって月につながりました。橋を渡った玄宗は、月宮殿で歌舞音曲を楽しみ、得もしれない妙なる音楽を月世界から地上に持ち帰った、というようなお話です。

仲秋の月見に夢見というのも心浮き立つ楽しみになりますが、そもそも夢は夜のもの、月もまた夜のもの。

月と夢とのつながりをもっとも示しているのが月暦正月一日に見る「初夢」。太陽と地球と月が真一文字に結ぶ新月の闇のなかで、あたらしいリズムを刻みはじめようとする月とともにあたらしい一年に幸あれと祈って期待するのが初夢というものでしょう。

以上のような話をしました。講演会では、真言宗阿弥陀寺の水野文人ご住職が真言の呼吸法などを紹介くださり、また本山・興正寺の吉田宏岳ご住職が最後まで講演に耳を傾けてくださったことは誠にありがたいことでした。

講演会が終わって、「月を楽しむ会」が正式に名乗りを上げました。八事山・興正寺で名古屋の〈月〉の会が誕生したわけです。その後、「晦(みそか)そば」を復活はじめたおそばやさん・「喜八」に場所を移して打ち上げの懇親会。ご主人・中村さんらの心こもった手料理の歓待のもと、たくさんの〈月〉の会メンバーがこの日を楽しんだことと思います。

「月を楽しむ会」の世話人・宮地さんのレポートを掲載します。この名古屋の会では、月暦の四月十五夜に当たる5月22日(日)にイヴェントを予定しています。これから先、名古屋独自のいきのいい文化が生まれてくるのを期待したいと思います。今後のスケジュール欄にご注目ください。

「月を楽しむ会」(名古屋)の宮地里永子さんのレポート

2005年3月27日(日)午後2時〜4時 名古屋・八事山興正寺にて

写仏と瞑想法を興正寺の水野僧侶に指導していただき、その後志賀勝先生の“月とゆめ”のお話になりました。40名程の会場を予定していましたが、2日前の参加予定者は30名。それが二日間でさらに増え、総勢53名の方々がいっしょに学ぶ運びとなりました。
前日は寒い日だったのですが、当日は暖かくおだやかな春の一日ということもあり、多くの方々が来てくださいました。志賀勝先生のお月様のお話も皆様に喜んでいただいて、先生のファンもさらに増えました。興正寺住職の吉田僧侶も、突然のお願いにもかかわらずお話してくださり、とても盛り上がりました。
「月を楽しむ会」を発足させたほうがよい、という皆さんの意見もあり、この3月27日に発足しました。会長もいない団体ですが。みんな一人ひとりが月と親しみ、楽しむきっかけをつくってゆきたいと考えています。お月様のご縁で、お月様の引力に引かれるかのように、とても自然な形で進んでいることを実感します。
6時からは「晦日そば」をしてくださっている「めんくい夢工房 喜八」さんでおいしい手料理やおそばをいただき、たのしい一日でした。
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