4、名古屋で(3月27日=月暦二月十八日)
熱海の会を終えて温泉につかる暇もなく、翌日は「愛知万博」がはじまったばかりの名古屋。人の出の混雑が心配でしたが、スムーズに会場の八事山・興正寺に着きました。19世紀に立てられた、小振りではありますが造作の見事な五重塔を擁する立派なお寺が興正寺でした。
「夢講座」という講演の場をお寺は運営していますが、わたしは「月とゆめ」というテーマで講演しました。
夢ということでは、月のなかにさまざまな生き物が住んでいると想像したのも夢の類でしょう。カニやネコやネズミやイヌといった日本ではなじみのない動物が月にいると想像した民族もいますが、沖縄やアイヌ民族を除く日本ではウサギ以外に思いつく人はいないでしょう。そのウサギは餅をついているとされています。
月にいるウサギ、餅をつくウサギの伝承をさかのぼっていくと、歴史の糸はもつれにもつれていきます。ウサギ伝承はもともとは中国から伝わった話ですが、その中国ではウサギがついているのは餅ではなく、薬ということになっています。中国の伝承をさかのぼってみると、ウサギと薬の組み合わせは、なんとヒキガエルと薬の組み合わせに変わります。
このような伝承の由来は、月と不死、月と再生、月と多産、月と永遠、というような、人間が月に託した夢のようなテーマが浮かび上がってきます。
唐の時代に中国では、月には永遠のカツラが生えているという「呉剛神話」が記録されました。呉剛という仙人が月のカツラを切るのですが、切っても切ってもカツラは再生して切りつくすことができないという永遠のカツラのお話です。このお話にも、月と不死のテーマが生き生きと伝承されています。
その唐の時代の有名な皇帝・玄宗の見たとされる夢にカツラが登場します。
月暦八月の十五夜(仲秋の名月)、玄宗が月見をしているとき、ある仙人がカツラの一枝を月に向かって投げました。カツラは銀色の橋となって月につながりました。橋を渡った玄宗は、月宮殿で歌舞音曲を楽しみ、得もしれない妙なる音楽を月世界から地上に持ち帰った、というようなお話です。
仲秋の月見に夢見というのも心浮き立つ楽しみになりますが、そもそも夢は夜のもの、月もまた夜のもの。
月と夢とのつながりをもっとも示しているのが月暦正月一日に見る「初夢」。太陽と地球と月が真一文字に結ぶ新月の闇のなかで、あたらしいリズムを刻みはじめようとする月とともにあたらしい一年に幸あれと祈って期待するのが初夢というものでしょう。
以上のような話をしました。講演会では、真言宗阿弥陀寺の水野文人ご住職が真言の呼吸法などを紹介くださり、また本山・興正寺の吉田宏岳ご住職が最後まで講演に耳を傾けてくださったことは誠にありがたいことでした。
講演会が終わって、「月を楽しむ会」が正式に名乗りを上げました。八事山・興正寺で名古屋の〈月〉の会が誕生したわけです。その後、「晦(みそか)そば」を復活はじめたおそばやさん・「喜八」に場所を移して打ち上げの懇親会。ご主人・中村さんらの心こもった手料理の歓待のもと、たくさんの〈月〉の会メンバーがこの日を楽しんだことと思います。
「月を楽しむ会」の世話人・宮地さんのレポートを掲載します。この名古屋の会では、月暦の四月十五夜に当たる5月22日(日)にイヴェントを予定しています。これから先、名古屋独自のいきのいい文化が生まれてくるのを期待したいと思います。今後のスケジュール欄にご注目ください。
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