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月と季節の暦
志賀勝から一言
(2013年2月23日 月暦正月十四日)



正月明けの餅搗き、新月・
太陽も拝んだ(写真はクリック
すると拡大します。以下同)

新年行事のご報告

月暦新年(2月10日)が明けて、明日ははや小正月。立春前から寒がゆるんで春を実感する日々が続きましたが、昨今は寒返り、寒の戻りが強烈で、春の身体になった身にはとてもこたえる寒さです。西暦4月まで寒さが続いた昨年が思い出されます。

春めいた新年明け、私たち〈月〉の会は飯能市で見えない新月と最初の太陽を拝み、餅つき、お屠蘇で新年を迎えました。その後秩父市に向かい、秩父神社、武甲酒造を訪ねました。秩父神社では、暦利用のご縁の方がアレンジくださったお蔭で、権宮司の方から神社の由来や社殿について懇切な説明を聞くことができました。武甲酒造は190年を超える昔に建築された建物とのことで、行動を共にした「ぐるーぷ『倶楽志』in 飯能」の計らいで、ここでも酒造りについて有益な話をきくことができました。建物も立派ですが、商売はあくまで地元を中心にしているのだという話を聞き、商売の倫理を失って久しい日本の現状の中でその心がけに共感を覚えました。


チチブはアイヌ語という説明を
権宮司から聞きました




(上2点)武甲酒造で杜氏の方から
酒造りについて話を聞く



新年会の最後に、秩父最奥部にある
尾ノ内の見事な氷柱を見学した


武甲酒造の酒造りの命は武甲山の伏流水(硬水)。その水が湧き出る井戸が三つあり、〈若水〉はここでいただくことにしていました。

私たちの新年迎えでいちばん重視しているのがこの若水で、伝統の習俗に新しい工夫を考えて毎年若水汲みに取り組んできました。ほかのことは何もしなくても、この若水をいただくことだけは欠かせないと考えているほどですが、それは新年を迎えて心も身体も新しくなろうとする人間の願望をもっとも典型的に示しているのがこの習俗だからです。

新年前日の忘年会ではこの若水について集った皆さんに話を聞いていただきました。骨子は、沖縄に月がもたらす不死の水についての神話があり、『萬葉集』にも「月読の持てるをち水(をち水とはよみがえり、若返りの水のこと)」を詠った和歌があるように(詳しくは私の「月の三部作」を見てください)、生命を新たにする水は月にあるとも考えられてきた、というものでした。文献に記録されたものでは、立春の行事でその後正月の若水汲みとなったと解説されることもありますが、月の水を崇める催事は相当に古い時代から営まれていたに違いありません。記録された習俗の中で、若水汲みは月の水をいただくこと、と理解されていたかは覚束ない話ですが、正月一日はまさに新月の日、神話を思い起こしながら月が恵む新年最初の水に親しもうと現代的に解釈して営むことが私たちの若水汲みとなっています。

「をち水」と「若水」

若水の若ということばは白川静などによれば語源不明とされている言葉ですが、「をち水」と「若水」は同じ意味を荷っています。実は、若は月を意味した古語に近い言葉という説が最近出てきていますが、そういえば一昨年の「月と季節の暦」で月の名所として取り上げた和歌の浦は別名明光の浦(明光の読みはアケ)と言ったといい、明光とは月の光に違いありません。和歌の浦がよみがえりの場所として尊ばれたという史実も月との深い関連(月は再生の象徴でした)を示しているだろうと考えています。

西暦で営まれる正月行事はますます風化していく有り様で、何とかしなくてはと思っている人も多いことでしょう。若水への着目は、私たちにとって正月の本来の面影を取り戻す大きな可能性を秘めたものです。同時にまた、文明によって損なわれた私たちの身体を思い、水と通して自然環境に思いを致すことができるものでもあります。

こうして奥武蔵で生命の水をいただき、すがすがしい気持ちで新年を迎えました、私たちにとって正月とは月暦のリズムでなければならない、という感覚がすっかりなじんだ年明けでもありました。先は長いですが、どうぞ皆様も次の新年には若水!と心がけください(笑)。本年も宜しくお願いします。(了)


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